白川神事の心得である「それ神の

分類1-2
質問白川神事の心得である「それ神のことは、いささかも私心なしを尊ぶ」の教えは、現在でも神職を志す大学でも伝えられているのでしょうか?また現代の神道学の基である文献実証主義というのは、わかりやすく考えると「文学的」に近いという意味合いなのでしょうか? 神道の本質となりますと祭祀などいった行いも重要になってくるのではないかと考えています。
回答白川の教えとしての「それ神のことは、いささかも私心なしを尊ぶ」が、神社本庁が出している神事心得に掲載されていますが、大学の講義では説明されてはいないと思います。 現在の神道学は文献学に基づく研究が中心となっているようですが、文献学による実証だけでは得てして時系列的な次元の枠に偏重しやすく、古神道が本来備える本質的な普遍性を見い出しにくいことから、文献実証主義と表現しました。 祭祀は古神道の本質でもありますが、祭祀の本来のあり方や意味合い、その実践活用方法は、入門講義での核心となる学び、つまり日本文化の真髄ともいえる白川のおみちと言霊学から見い出していただければと思います。
回答講師斉藤亘弘

約800年にも渡り白川伯王家が、

分類1-4
質問約800年にも渡り白川伯王家が、神と天皇の間にたち天皇を補佐されて来たのに、何故その職を解かれたのか、少し話を聞いた事がありますが、その辺も詳しくお聞きしたいと思いました。
回答覇権主義時代という二項対立観の器の中においての出来事であり、その時代の価値観ゆえの一経緯であったと推測されます。そして、その覇権主義による複雑な政治的主導は国外にもあるのかもしれませんが、いわゆる一神教的な支配世界の限界期に差し掛かっていたがゆえの、二項対立を超える必然的なターニングポイントでもあったのかもしれません。
回答講師斉藤亘弘

曖昧さのある考えるための余白があること

分類1-2
質問曖昧さのある考えるための余白があることが、神道神学の難しさと面白さがあると思うのですが、自分なりに知識を広げるために、参考になる文献を読んでみたいのですが、一般人でも目にすることが出来る参考文献があれば教えて頂きたいです。
回答解釈として難解な傾向のあった神道神学を容易に取り組めるように試みた、阿蘇谷正彦氏の著書がよろしいかと思います。例えば、『現代社会と神道 神道神学試論』、『神道とはなにか』(いずれも「ぺりかん社」)等が神道神学関連の参考書籍となると思います。
回答講師斉藤亘弘

昔は‘神人合一’で最重要儀式である

分類1-3
質問昔は‘神人合一’で最重要儀式である大嘗祭とよばれていた名称が、現在は「新嘗祭」に名を変えたのは何故でしょうか?
回答諸説はあるとは思いますが、日本が国家として律令を基本法とする法体系及びに政治制度を本格的に導入することに沿って、大嘗祭を新嘗祭と区別したのではないかと思います。いわゆる践祚大嘗祭と新嘗祭も祭祀制度に従い分けたのだと思います。一方で、このような祭祀制度上の名称区分の変遷はあったとしても、大嘗祭の秘儀にあたる神事は古代から伝わる神人合一の重要な神事として存続していたと思います。
回答講師斉藤亘弘

かなり酷い喉の痛みと頭痛が、

分類1-13
質問かなり酷い喉の痛みと頭痛が、2月末からずっと続いていました。ロゴストロンでの発信や、飲薬でも治りませんでした。大病ではないかと心配し、また、呪詛と思っておりました。(それもあると思いますが)しかし、熊本地震が落ち着いてきた頃に、それら体の症状が突然消えました。(喉の痛みだけ、まだ僅かに残っておりますが)賢治先生の卯月月次祭文より、自然の強い動きゆえに、何処か共鳴した部分もあったのかなと、思ったことです。そこで、自然の動きを体で感じ取ることは、御祓の進んでいる一つの証でもあるのでしょうか?(神の)「働き」と「体感」につきましても、何かご教示のお言葉をいただけましたら幸いです。何卒宜しくお願い致します。
回答自分の身体状態、精神状態は、重層的な複雑な要因によって生まれていることを知ることで、短絡的な判断や思い過ごしを減らすことができます。しかし、それでも人はその理由を判断したいと思ってしまいます。そのためにあるのが「漂わせる」という技術です。何か気になることがあっても、自分の周りに漂わせるのみで、中に入れず、観察します。そうすることで、それが実際にどう言う意味か自然と見えてきます。祓いが進むことで、意識空間が広がり、漂わせることも容易になっていきます。
回答講師小野寺潤

「五魂を通じて自己の魂の在り様

分類1-8
質問「五魂を通じて自己の魂の在り様を客観視する」という講義を聞いてふと思ったのですが、五行(木性、火性、土性、金性、水性)の性質と五魂のハタラキについて、類似性を感じたのですが、白川の教えではこの関連性について何か伝承や言及はありますでしょうか。特に「精魂」と「土性」。「一霊四魂」の観点では気づけなかったのですが、「土性」は他の四性を常に引き付けていると考えます。土性(大地)がなくしては他の四性はありえないというわけです。この点は非常に「精魂」のハタラキとの類似性を感じましたので、質問させて頂きました。
回答これまでにこのような素晴らしい直観に基づいた質問があったでしょうか。まさに、「精魂」は、「土」の働きで、「精魂」は、江戸時代「泥魂(ぬるみたま)」と呼ばれていたと口伝で伝わっているほどなのです。「土性(大地)がなくしては他の四性はありえない」まさにその通りです。私も気付きをいただきましたありがとうございます。
回答講師七沢智樹

一音一音が言霊神だということを

分類1-11
質問一音一音が言霊神だということを学びました。その一音一音を運用して連ね、意思を持って、意味のある文章、言葉とすることは、一体どういうことであるのか。(どこの階層からの意思による言葉か、何の音図を用いた所からの言葉か、ということは重要かと思いますが)意宣り直す、ということにも繋がるのでしょうか。この事につきまして、何かご教示のお言葉をいただけましたら幸いです。何卒宜しくお願い致します。
回答一音一音が神であることを掴むには、自分自身が完全に祓われ「空」の状態になっていることが必要です。雑音がある状態で掴むことはできません。また、どのような答えを申し上げたとしても、まずはご自身がその階層にいることが重要です。
回答講師小野寺潤

毎日の御祓についてです。最近は

分類2-1
質問毎日の御祓についてです。最近は、①祓詞を言葉として発する前のスポット、瞬間、言葉になる前の意識、意志に、自分の意識を置いて奏上しております。(言葉ではどうも説明しにくいのですが。)ゆえに、奏上される前の一瞬に、もう奏上は終わっている、という感じです。そして、②神にご加勢いただき、自分で祓うという力みは手放し、「神のお働きのままに」という意識で、作法をたんたんと行っております。だからなのか、発された言葉そのものには、「力」のようなものを感じません。ただすらーっと口からただ流れ出ているような感じを、客観的に感じます。無味無臭といった表現が当てはまるような、毒にも薬にもならない、そこに心も意志も感じないかのような言葉です。この事につきまして、何かご教示のお言葉をいただけましたら幸いです。何卒宜しくお願い致します。
回答本来の言霊や意志には、重さがありません。が、軽さもないのです。重く感じるのであれば、はじめからそれは違うとわかりますが、軽いと感じるのも実は間違いです。重くも軽くもない、ただそれが瞬間的に宇宙全体に広がるという感覚です。実際にご自身が発した意志が実現するかどうかで、それは確認できます。
回答講師小野寺潤