①近隣の、一宮市にあります一之

分類1-3
質問①近隣の、一宮市にあります一之宮の真清田神社 には、現在、「天火明命(饒速日命と同一神?)」がお祀りされています。以前、熱田神宮の文化殿に置いてあった本をなんとなく手に取り、たまたま開いた頁に、真清田神社の御祭神は、以前は、「国常立尊」と書かれていました。御祭神が変わるというのは、どのような理由が考えられますでしょうか? ②上記を受けて「饒速日命」と「国常立尊」の両神に共通する関係が気になりますが、宜しければ、簡単に関係性を教えてください。
回答①歴史上、神社の祭神と云うものは、何度も替えられていることが珍しく ありません。 まず、最初は大体西暦でいう500年代、大和朝廷が全国を統一するにあたり、 ニギハヤヒの系譜をはじめとした、旧来から大和地方に祀られていた 神、スサノオをはじめとした出雲の神を、 意図的に別の神々の名に替えます。 一例として 奈良桜井市の大神(おおみわ)神社は、今「オオアナムチ」 という大国主命の別名の神が祀られていますが、 元はニギハヤヒだったという説があります。 また、アラハバキという東北から関東北部にあった 古来からの神も、多くが消され、道教に由来する星の神など よくわからない別の祭神にされたり、大きな神社の末社に 降格されたりしました。 理由は、すべて、皇室の祖先神である「天津神」の信仰の広がりを重視 するためでした。 次に中世から江戸前期。 元々教えがなかった神道が、仏教の影響で「教説」というものを立て始める ようになったころ、具体的にいうと1400年代頃以降から、1600年代の終わり頃までの 間に、吉田兼倶(よしだかねとも)他代々の吉田家当主を中心とした神道思想家たちが、 特に地方の小さな神社の祭神名をいろいろと変えました。 なぜなら、地方の小さな神社では、その神社の権威を高めたいがために、 記紀に出て来る、名前のよく知れた祭神名を欲したからです。 また、明治時代にも祭神名の変更がよく発生しました。 国費の削減のため、全国の神社がかなり統合された際に、 混乱のため、消えてしまった祭神名があったり、江戸時代と同じように 社格を高いものにするため、著名な祭神に替えることもあった のです。 以上、人間側の都合で祭神名は幾度もかえられた例が あることは知っておいてください。 ②ニギハヤヒとはご存知のように、神武天皇が大和にやってくる以前に 今の大和地方を納めていた実在の人物が神とされた存在です。 ①で前述したように、幾度も、この神の影響力を 極度に小さなものとするための意図的な祭神名の変更がなされました。 このことは、ご存知とは思いますが、名著 『消された覇王 伝承が語るスサノオとニギハヤヒ』小椋一葉著 に、わかりやすくのべられています。 國常立命は、日本書紀の冒頭にも出て来る、国土の初発の 神、国土の永遠不変を示す神として著名な神ですが、 ニギハヤヒ神話を多く載せている物部氏系の神話 『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)にも、 最初のほうに登場します。 つまり、大和朝廷も、それ以前からあった豪族も 共に信仰の対象としていたといえます。 にもかかわらず、国常立尊も、熱田のように、祭神としては よく別の神に替えられています。 この理由についてはわかりませんが、①のような 人間側の都合が様々に入っていると考えられます。
回答講師斉藤亘弘