高等國策の考え方として、弥生中

分類1-12
質問高等國策の考え方として、弥生中期以前を考慮することは、難しいのでしょうか。天照大神と瀬織津姫の陰陽二神で一つと考える、古くからあるらしき祭神の形態と、天武天皇の御代以降に変革された、「アマテラスオオミカミ」という一神様(しかも男神から女神へ)の祭神形態を考慮することは、諸事情から、余り触れない方が良いのでしょうか。
回答1、弥生中期を起点にしましたのは、一応列島内の原始国家の成立(小規模ながら、それなりの地域祭政体の確立)を区切りとしたきゆえです。将来、「縄文期国家論」なりが出現するならば、私も大いに再調整を求められるかと存じます。 2、天照大神と瀬織津姫の件、私もかつて神祇文化史系の高著を読んだことがあります。伊勢内宮の荒祭宮は天照大神の荒魂を祀る、とは「巨大な光の神格を裏支えする、ある種影の大神格かもしれぬ」とは感じられます(それ即ち瀬織津姫とは断定はせずとも)。ともあれ、両神格の関係性の解釈は、仮説提示として、今の時代かまわないのでは、と私なりには考えますが。 3、天武朝の伊勢神宮大画期と天照大神の神格解釈論は、巨大かつ微妙なテーマです。「男神から女神へ」は、私も諸書で目にした記憶があります。海人族系の日神かもしれぬアマテル神の微妙な存在が絡みそうで、古代史最大級の謎の一つです。海人族は天孫族への裏支えに回った部族で、こういう神格統合の如き形で形而上的に支えた、と解することも、論理的には可能です。なお、男神・女神については、神格理解の境地という事柄も絡みましょう。人間的性別の反映を超えた次元で、霊妙に感得する境地、というものもありましょう。だが、ともあれ、この辺りは記紀に記載のない神話世界ですので、仰るような御配慮も、一応必要かもしれません。少なくとも一般紙での活字公表といったレベルにおいては。
回答講師能澤壽彦