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質問 | テキストにて歴代天皇の名前が記載されていますが、これはなにか意味があるものなのでしょうか。単に知識として、という以外にこれを記載した理由などがあれば教えていただきたいです。また、テキストの最後に「神と一体となり国を守る、ことを国民が行う時代になったのではないかと書いてありますが、天皇がその働きをなすことは十分に理解できますが、「国を守る」という発想は世界の安寧の実現に資するものなのでしょうか。それとも、何のために神と一体となるのかという対象の範囲を個人→国→世界へと広げていくとの意味合いでしょうか。 |
回答 | 入門講義集に歴代天皇を記載したのは、宮中祭祀を通じて日本に貢献されたことを表敬して掲載させて頂きました。また、白川はもともと宮中で祭祀を執り行っており、天皇に修行をして頂く関係にあった為、必要性を感じ掲載いたしました。 一口に「国を守る」と言っても、抽象的でなかなか捉えにくいかもしれません。具体的に何をすれば「国を守る」ことになるのか? 少なくとも白川学館では、祝殿講習における「神と一体となる」ことを通して、最終的には「国を守る」「人類の為に」といった「公の精神」を培い、そして行動していくことが出来ればと考えております。 |
回答講師 | 櫻井慎也 |
カテゴリー: 1-4
第4回「白川伯王家の歴史と役割」
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動画の中で、「カミ」「キミ」「オミ」
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質問 | 動画の中で、「カミ」「キミ」「オミ」を背負ってタミが存在するというようなことをお話されていますが、これはどのような意味でしょうか。「オミ」は「カミ」と「キミ」を結びつける役割を担っていましたが、「タミ」である我々にとっての「カミ」「キミ」「オミ」との関係はどのようなものなのでしょうか。我々が「カミ」と「キミ」を結びつけるような役割を担っているわけではないと思うので、教えていただきたいです。 |
回答 | カミとキミを結びつける役割を担っていたのが、オミとしての白川でありました。当然、白川は江戸時代までは宮中において、そのような働きをしていたかと思います。現在、我々が継承しているのは、あくまで白川の中身であって、国の機関における役職、任務をしているわけではありません。 時代における主体の変遷として、カミ・キミ・オミ・タミといった概念があり、我々は、まずは概念としてそれらを認識いたします。また、カミ・キミ・オミ・タミの各働きを理解し、それぞれの社会的役割を確認します。 その上で、我々はタミでありながら、必要によってはカミやキミ、そしてオミとしての役割も果たすことが出来るように準備をしています。 一人、あるいは少人数によって担われていた各役割を、時にはより多くの人で、力を合わせていくことも今後は可能になるのかもしれません。 |
回答講師 | 櫻井慎也 |
この講座に申し込む前に、知人と
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質問 | この講座に申し込む前に、知人と話していましたら、偶然にも白川神道と吉田神道の名称が出てきました。(この時点では、まだ白川学館が存在し講座を開いていることは知りません) その知人曰く「岐阜県にある石徹白には、かつて白川派がいたけれど、吉田派に攻められて、石徹白を出て行かなかればならなくなった。そして行き着いたところが、今の白川郷である」と。 かつての石徹白には白山信仰の御師が多数いたようですが、この御師が白川派だったのでしょうか。 白山信仰について、関心がありますので、教えていただければと思います。 |
回答 | 質問を頂いてから白川学館でも色々と調べてみたのですが、現時点において、白山信仰と白川との関係を特定する資料や書籍はございませんでした。 ちなみに、平成25年7月に発行された白川通信「白川探訪記」で水無神社のレポートをさせて頂きました。 |
回答講師 | 櫻井慎也 |
江戸時代中期から白川家の学頭が
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質問 | 江戸時代中期から白川家の学頭が創設されたとのことで、おそらくこのときにはじめの白川学館が創設されたのだと思いますが、学頭となった方々は白川家に縁のあった方々なのでしょうか。また、江戸から明治期に白川学館で学んだ人々は、どのような身分の方々だったのでしょうか。やはり公家など宮中神事にかかわりの深い方々だったのでしょうか。 |
回答 | 学頭は、白川の血縁ではありません。 白川家の血統ではないにしても、学頭が白川に関わる役職についていることを考えると、白川と何らかの関係があったと考えるのが妥当かもしれません。霊統で繋がっていたのかもしれません。 宮中神事に深い関わりがあったかどうかは詳しくはわかりませんが、平田篤胤や臼井雅胤、森雅胤といった方々は、学者や医者でありました。 |
回答講師 | 櫻井慎也 |
明治に入り、孝明天皇が学頭の高
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質問 | 明治に入り、孝明天皇が学頭の高浜氏をこっそり宮廷から逃がしたとありましたが、なぜこっそりとなのかが気になりました。何か危険が迫っていたというニュアンスなのでしょうか? |
回答 | 御所を東京に移すなどして、明治政府は、京都の御所で天皇家を囲っていた公家と天皇家を離します。また、白川家も当然ながら公家であり、明治後は子爵となりました。明治四年の大嘗祭をもって宮中祭祀からも遠ざけられます。薩長による明治維新によって旧来の宮中祭祀の伝統が失われることを、孝明天皇が予見していたことは想像にかたくないのです。 |
回答講師 | 七沢智樹 |
明治時代より、白川伯王家の祝の
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質問 | 明治時代より、白川伯王家の祝の神事が天皇家で行われていないとのことですが、そのあたりの事を詳しく、お教え頂けないでしょうか。 |
回答 | 白川伯王家の秘伝とされる祝の神事の作法は、白川伯王家が、皇太子に授けたとされる神事で、この作法を行うことで、天皇が国体と一体となり、神人合一の状態となって国を治めることができるようになるとされています。白川神祇伯は、明治4年の明治天皇即位の大嘗祭に列席しておりますが、明治天皇は皇太子の時に高濱清七郎先生から祝の神事を受けたと伺っています。祝の神事は、本来、皇太子のみが授かるもので、民間のものが授かるものはありません。民間で同じ行を行う場合は、単に御修行と言います。 |
回答講師 | 七沢賢治 |
孝明天皇が高濱清七郎先生に宮中
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質問 | 孝明天皇が高濱清七郎先生に宮中を出るように命じられた際の一筆などはあるのでしょうか?今でも残っているのでしょうか? |
回答 | ありません。但し、宮中での御修行の際に使用していた御国体机を、孝明天皇の命により高濱清七郎先生が持出したという事実があります。 |
回答講師 | 七沢賢治 |
明治天皇すり替え説は、天皇即位
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質問 | 明治天皇すり替え説は、天皇即位前後の天皇の行動の特徴の違いを比較したり、薩長とのあまりにも親しい関係性を考える時、説得性のあるものと考えられる説もありますが、すり替え説を前提にすると「祝の神事」をどの時点で受けられたのか矛盾が生じるようにも思えます。白川学館の現時点でのこの説に対する立場[見解]をお教えください。 |
回答 | 白川学館では、明治天皇すり替え説の立場はとっておりません。明治天皇は、皇太子時代に高濱清七郎先生から祝の神事を受けたと、私の先生からうかがっております。 |
回答講師 | 七沢賢治 |