高濱清七郎の歌の解釈について

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質問高濱清七郎の歌の解釈について質問です。「知る人ぞ神」の部分は、「そのように知っている人にも神が宿っている(神の社)」と言う意味なのか(講義ではそのように説明されていたように思います)、それとも、「そうであることを知っている人は既に神なのである(神と一体化している)」ということなのでしょうか。前者は人を含めて神が宿る客体として表現されているように感じますが、後者については主体が確立されているように感じます。わかりにくい表現で申し訳ないのですが、教えていただきたいです。
回答高濱清七郎先生の歌は、ご自身の境地を表わすとともに教導を示してもいます。 よって、教導という前提から、読み手の側によってはどのようにも解釈でき、真意を問い任せる歌でもあることをご理解ください。ご質問の「知る人ぞ神」は、神の働きの側から、或いは人の側からと、主客転換自在に解釈できるところでもあると思います。教導もあることを前提に歌の境地の深さを味わってみてください。
回答講師斉藤亘弘

森顕胤の表現において、「神道は天道

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質問森顕胤の表現において、「神道は天道の神気循環して・・・」との表現が出てきますが、「神気」とは何を指し示しているのでしょうか。神の働きをもって「神気」としているのか、エネルギーをそのように表現しているのかが気になったのでこの点を伺いたいです。
回答先人の言葉は、読み手の受け取り方の世界観によって解釈が異なるものだと思います。それを前提としますと、「神気」は、神の働きでもあり、或いは電磁波や光、周波数のようなエネルギーを感得して表現しているとも言えるでしょう。
回答講師斉藤亘弘

なぜ、神道学科で白川神道の講

分類1-2
質問なぜ、神道学科で白川神道の講義が行われていないでしょうか。また、神社本庁にも「高濱家和学教授所」にある初心者への心得が唯一掲載されているのみで、多くの掲載がないのは、どのような理由からでしょうか。
回答現行の大学機関の神道学科において、白川伯家神道の講義が行われない理由としましては、一つは時間的スケールが明らかに異なるからです。つまり、現在の学説は、講義の説明にもあるように7世紀から8世紀頃を神道の起源の始まりとみなします。一方で、白川伯家神道の歴史的な時期の確立は平安期頃とみなされますが(テキスト参照)、その本質的な内容としての実態的な起源は、縄文期といわれる少なくとも5000年から1万年以上前まで遡ることにもなり、現在の学会での有史(歴史時代)論の基準からは論外とみなされるからです。しかも、その本質的な内容を持つ白川伯家神道、白川のおみちは、縄文以来の古神道の精髄を集めながら宮中という特定の場において純粋培養されてきた存在でもあり、文献実証型の学説を前提に成り立つ学問界においては学術的に検証できないことがあげられます。
回答講師斉藤亘弘

9年程前、「饒速日命」「国常立

分類1-2
質問9年程前、「饒速日命」「国常立尊」「瀬織津姫」等が封印されていたがその封印が解かれた、というようなことを少し耳に挟んだことがありました。その「封印」と、白川伯王家が以前、神職を解かれたこと、そして、またこのように新たに活動を公にされ始めたことと同意味のことでしょうか?
回答ご指摘の三神の封印が解かれたことと、白川伯王家が明治になって神祇伯(※神職ではありません) を解かれたこととは、時代的にだいぶ異なるものであり、関係はございません。 三神の封印の解除と、白川の叡智やおみちの公開にも関連性はございません。
回答講師斉藤亘弘

既に講義の中でお伝えいただいて

分類1-2
質問既に講義の中でお伝えいただいていたら、申し訳ありませんが、神道と言霊学の発生は同じなのでしょうか?また、白川伯王家では、両方が伝承されてきたのでしょうか?
回答神道の起源は、学問的には、明確にいつはじまったということは わかっていません。 ただ、神道基礎講義で触れたように、現代の神道とつながるものの形態としては、だいたい文献考証学上は、6世紀ごろまでさかのぼって推察でき るということ、 また、それより以前は文献がないが、考古学から類推して、 九州の沖ノ島の祭祀遺跡などから、4世紀ごろまでは祭祀の起源を科学的にさかのぼることが できます。それより以前については、日本書紀などではたとえば 紀元前600年代に神武天皇が初代天皇として即位、とありはしますが、 あくまでも神話であって、科学的、歴史的見地からみた神道の起源とは 別物とされています。 そして、言霊学の起源は現代の学問では起源はわかっていません。 というより、言霊学自体が今日の学問の世界では顧みられておりません。 ですので、小笠原先生とお弟子さんである七沢先生の見解、さらにそのお弟子さんである小野寺講師の解説が最も正しいといえます。 小笠原先生説では言霊学は神武天皇の即位よりももっと古いころからとされています 。 これに関しては小笠原先生の言霊三部作をぜひお読みください。 または、小野寺講師あてに改めてご質問下さいませ。 神道と言霊学の起源は同じであるかどうかはわかりません。 神道には学問的意見が様々にあるが、言霊学にはないため、比較が困難なためです。 神道も大陸の祭祀の影響など、相当な変遷があって、今の神道に至っているため、 一概にどこが起源という線引きができないこともあり、起源は別であると 私は考えます。
回答講師斉藤亘弘

今、沢山の神社で願い事を叶えて

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質問今、沢山の神社で願い事を叶えて貰うためにお賽銭をはずみお守りを買い求めていますが、どうのように理解すれば良いのですか。ある神社では、お守りをしていると交通事故に遭わないと言われて余分に買い求めて配っている姿を見ると疑問に思います。それもその御利益を講演会でどうどうと話されているのを見るとこれで良いのかと感じてしまいます。どうなのでしょうか。
回答確かに、場や物に情報が記憶され、神社に言ったりお守りを買うと、その情報が作用し、「幸運」をもたらすということはあります。しかし、そういった御利益を外部に求めているようでは、いつまでたっても、本当の意味で「幸福」になることはできないでしょう。また、本当にそういった御利益のある神社はほとんどないとも聞いております。 また、神社によくいるのは「神」ではなく、「霊」ですが、「霊」の力は分かりやすく発動したりします。そのため、また次もといってご利益を求めますが、霊の階層のものを求め続けると、「依存」するか「不幸」になるかどちらかだと思います。講演会でそれを語るというのは、いかがなものかと思います。
回答講師七沢智樹