明治に入り、孝明天皇が学頭の高

分類1-4
質問明治に入り、孝明天皇が学頭の高浜氏をこっそり宮廷から逃がしたとありましたが、なぜこっそりとなのかが気になりました。何か危険が迫っていたというニュアンスなのでしょうか?
回答御所を東京に移すなどして、明治政府は、京都の御所で天皇家を囲っていた公家と天皇家を離します。また、白川家も当然ながら公家であり、明治後は子爵となりました。明治四年の大嘗祭をもって宮中祭祀からも遠ざけられます。薩長による明治維新によって旧来の宮中祭祀の伝統が失われることを、孝明天皇が予見していたことは想像にかたくないのです。
回答講師七沢智樹

明治時代より、白川伯王家の祝の

分類1-4
質問明治時代より、白川伯王家の祝の神事が天皇家で行われていないとのことですが、そのあたりの事を詳しく、お教え頂けないでしょうか。
回答白川伯王家の秘伝とされる祝の神事の作法は、白川伯王家が、皇太子に授けたとされる神事で、この作法を行うことで、天皇が国体と一体となり、神人合一の状態となって国を治めることができるようになるとされています。白川神祇伯は、明治4年の明治天皇即位の大嘗祭に列席しておりますが、明治天皇は皇太子の時に高濱清七郎先生から祝の神事を受けたと伺っています。祝の神事は、本来、皇太子のみが授かるもので、民間のものが授かるものはありません。民間で同じ行を行う場合は、単に御修行と言います。
回答講師七沢賢治

昭和初期に白川家は絶えたという

分類1-4
質問昭和初期に白川家は絶えたという事ですが、現在、白川家の血統を受け継がれていらっしゃる方はいらっしゃらないのでしょうか?白川伯王家の方々は、現在、宮中では関わりを持っていないという事でしょうか?
回答昭和34年に資長さんが亡くなり白川家は絶家しました。受け継がれている方はおりません。白川邸は現在の新宿区にあたる場所にありましたが、現存しておりません。現在、白川家は存在しないので、宮中との関わりはもちろんございません。
回答講師櫻井慎也

タミ→オミ→キミ→カミを理解・

分類1-4
質問タミ→オミ→キミ→カミを理解・体感して国家を建て直すということが、おみちによって分ってくるのでしょうか?
回答「公」や「私」といったことを通して見えてくるのではないでしょうか。もちろん、白川学館の教えによってわかってきます。
回答講師櫻井慎也

白川神道は現在は皇室・宮内庁の

分類1-4
質問白川神道は現在は皇室・宮内庁の神事や祭祀では関わりがないのですか? 実際にはお手伝いやお役目はないのでしょうか?
回答現在は皇室、宮内庁との関わりはございません。白川の祭祀を宮中に戻した方がいいという声もありますが、現在、その働きがけはペンディングの状態となっております。
回答講師櫻井慎也

徳川幕府がお墨付を与えていたの

分類1-4
質問徳川幕府がお墨付を与えていたのは吉田家とありますが、幕末の動乱期に孝明天皇が白川家の学頭を宮中から逃がしたという事実から考えると、あくまで白川家が天皇家と結びつきが強いということでしょうか?
回答天皇と直に関わり、祭祀を行うという役割を担ってきたのが白川伯王家でありました。江戸時代に学頭制を取り入れてからは、神官等の人達にも伝授をしたようです。 白川学館では、口伝や口承を通して伝わってきた作法を始めとする実践知を、より多くの方に知って頂く為に、文献として残されている中身も合わせて、伝えていきたいと考えています。
回答講師櫻井慎也

現在は白川家が行っていたような

分類1-4
質問現在は白川家が行っていたようなことは宮中で行われていないとのことですが、それによる国や国民、時代への影響とはどんなものでしょうか?最終的に長い目でみれば、神君臣民の民が神君臣の部分も担い、民が神であることを思い出す時代への変遷と捉えられるのかもしれませんが、秘伝とまでされていた祝の神事が行われなくなったことによる影響があるとすれば具体的に知りたいです。
回答国や国民、時代への影響の度合いを、我々が現時点で判断することは難しいのではないでしょうか? 白川学館としましては、今に至るまでの間、残されてきた白川のおみちを、何とか後世に残し、天皇家には、いつでもお使い頂くことが出来るようにしておきたい、と思っております。とにかく、より多くの門人の皆様や関係者に白川のおみちを知って頂き、皆様のお力で白川を検証・検討し、共に伝えて頂ければ幸いです。
回答講師櫻井慎也

孝明天皇の命により伯家神道が民

分類1-4
質問孝明天皇の命により伯家神道が民間に下った真の理由と、それにより、以降の天皇家にどのような変化が生じたのでしょうか?伯家神道が民間に下った真の理由は何でしょうか?
回答幕末や明治初期の動乱期の事実や真の理由を知ることは簡単なことではありません。今なお研究が行われ、様々な書籍が出版されております。 少なくとも我々白川学館では、これまでの間、白川に関わってきた人達によって伝えられたものをもとにしております。 入門講義集にも記載させて頂きましたが、孝明天皇の命により、高濱清七郎は宮中を後にしたと聞いております。何をもって真の理由とするのかわかりませんが、祭祀を守り伝える為と聞いております。 白川学館としましては、今に至るまでの間、残されてきた白川のおみちを、何とか後世に残し、天皇家には、いつでもお使い頂くことが出来るようにしておきたい、と思っております。とにかく、より多くの門人の皆様や関係者に白川のおみちを知って頂き、皆様のお力で白川を検証・検討し、共に伝えて頂ければ幸いです。
回答講師櫻井慎也