図24のタイトル「私から公への

分類1-8
質問図24のタイトル「私から公への転換」の部分と、図右側の「私→公」は100%公になってしまうような印象を与えてしまう気がします。「人→神」についての理解は一個人としての意思を100%持ちながらも神の視野、精神に立って公に貢献するという意味で正しいでしょうか?
回答ここは表現の仕方が難しいところで、どこかで補足したいところです。公は、私が土台となり、神は、人が土台となります。その器がなれば、公、神へ移行することはできません。しかし、公と私、神と人の間には明確な境があります。なのでそこは「転換(階層を超える)」するしかありません。私が満たされ、公の意志が発せられることで、公に転換し、私はないかのようになるのです(私→公)。神と一体となる場合も、神と一体となるための魂の器が出来上がり、神と一体となった時、それは、人ではなく神です(人→神)。まとめると、 1、公、神となった後では、私、人の存在が消えてしまったかのように見える。 2、公、神となるのは、四六時中ではなく、中今に発動するものである。なので、普段は、私であり人であってもよい、むしろ自然。 3、神道の惟神の教えは、人は本来、神であり、神が人になったというもの。それを、逆にたどって、神まで至るのが「おみち」。しかし、あくまでも、最初にあるのは、神→人。そこを、単純に、人が神になると捉えると、慢心を産んでしまう。人が神になる(もどった)とした場合、人ではなく神が主体となる。
回答講師七沢智樹

統合とは、みな元で繋がっている

分類1-8
質問統合とは、みな元で繋がっているワンネスの考えと似ていますが、そういった理論理屈の理解よりは日々の実践を無心で行った方がいいでしょうか?
回答そういった統合が元にありますが、ワンネスに至るまでにありとあらゆる統合がありますし、統合から創造も起こります。統合されてすべてが一つになるというよりも、統合され創造され、そして破壊され、また統合されるという循環が、ありとあらゆるところで同時に起きているというように捉えると捉えやすいかもしれません。そういった感覚も日々無心で実践を行うことで、自然と養われると思います。
回答講師七沢智樹

たまたま、苫米地さんの「アイン

分類1-8
質問たまたま、苫米地さんの「アインシュタイン脳を超えて」という動画を見る機会がありました。この動画では、抽象度の高い五次元空間から情報を持ってくるととてつもないエネルギーとなることを、科学的に話していました。その、具体的なワークについても言及していましたが、非常にあいまいです。私としては、毎日のお祓いこそが、まさにそれであるように思えています。
回答毎日の御祓こそが、無限のエネルギーを生んでくれる、五次元の技です。言霊が扉の鍵です。
回答講師七沢智樹