火打作法における柏手のその本

分類2-3
質問 火打作法における柏手のその本質について、「結界」「感謝」「けじめ」と教えていただきました。まだ私自身、言葉の理解が曖昧な状態ですが、私なりの解釈ですと「祓い清め」「神と人の境を明確にする」「意識を高める働き」「あらゆるものに対する尊重の心」というような捉え方で宜しいでしょうか?間違っていること、抜けていることがありましたら教えて下さい。
回答仰るような解釈でよろしいかと思います。あとは実践と理論を通じながら、神を掴む体感を深めていってください。
回答講師斉藤亘弘

①近隣の、一宮市にあります一之

分類1-3
質問①近隣の、一宮市にあります一之宮の真清田神社 には、現在、「天火明命(饒速日命と同一神?)」がお祀りされています。以前、熱田神宮の文化殿に置いてあった本をなんとなく手に取り、たまたま開いた頁に、真清田神社の御祭神は、以前は、「国常立尊」と書かれていました。御祭神が変わるというのは、どのような理由が考えられますでしょうか? ②上記を受けて「饒速日命」と「国常立尊」の両神に共通する関係が気になりますが、宜しければ、簡単に関係性を教えてください。
回答①歴史上、神社の祭神と云うものは、何度も替えられていることが珍しく ありません。 まず、最初は大体西暦でいう500年代、大和朝廷が全国を統一するにあたり、 ニギハヤヒの系譜をはじめとした、旧来から大和地方に祀られていた 神、スサノオをはじめとした出雲の神を、 意図的に別の神々の名に替えます。 一例として 奈良桜井市の大神(おおみわ)神社は、今「オオアナムチ」 という大国主命の別名の神が祀られていますが、 元はニギハヤヒだったという説があります。 また、アラハバキという東北から関東北部にあった 古来からの神も、多くが消され、道教に由来する星の神など よくわからない別の祭神にされたり、大きな神社の末社に 降格されたりしました。 理由は、すべて、皇室の祖先神である「天津神」の信仰の広がりを重視 するためでした。 次に中世から江戸前期。 元々教えがなかった神道が、仏教の影響で「教説」というものを立て始める ようになったころ、具体的にいうと1400年代頃以降から、1600年代の終わり頃までの 間に、吉田兼倶(よしだかねとも)他代々の吉田家当主を中心とした神道思想家たちが、 特に地方の小さな神社の祭神名をいろいろと変えました。 なぜなら、地方の小さな神社では、その神社の権威を高めたいがために、 記紀に出て来る、名前のよく知れた祭神名を欲したからです。 また、明治時代にも祭神名の変更がよく発生しました。 国費の削減のため、全国の神社がかなり統合された際に、 混乱のため、消えてしまった祭神名があったり、江戸時代と同じように 社格を高いものにするため、著名な祭神に替えることもあった のです。 以上、人間側の都合で祭神名は幾度もかえられた例が あることは知っておいてください。 ②ニギハヤヒとはご存知のように、神武天皇が大和にやってくる以前に 今の大和地方を納めていた実在の人物が神とされた存在です。 ①で前述したように、幾度も、この神の影響力を 極度に小さなものとするための意図的な祭神名の変更がなされました。 このことは、ご存知とは思いますが、名著 『消された覇王 伝承が語るスサノオとニギハヤヒ』小椋一葉著 に、わかりやすくのべられています。 國常立命は、日本書紀の冒頭にも出て来る、国土の初発の 神、国土の永遠不変を示す神として著名な神ですが、 ニギハヤヒ神話を多く載せている物部氏系の神話 『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)にも、 最初のほうに登場します。 つまり、大和朝廷も、それ以前からあった豪族も 共に信仰の対象としていたといえます。 にもかかわらず、国常立尊も、熱田のように、祭神としては よく別の神に替えられています。 この理由についてはわかりませんが、①のような 人間側の都合が様々に入っていると考えられます。
回答講師斉藤亘弘

9年程前、「饒速日命」「国常立

分類1-2
質問9年程前、「饒速日命」「国常立尊」「瀬織津姫」等が封印されていたがその封印が解かれた、というようなことを少し耳に挟んだことがありました。その「封印」と、白川伯王家が以前、神職を解かれたこと、そして、またこのように新たに活動を公にされ始めたことと同意味のことでしょうか?
回答ご指摘の三神の封印が解かれたことと、白川伯王家が明治になって神祇伯(※神職ではありません) を解かれたこととは、時代的にだいぶ異なるものであり、関係はございません。 三神の封印の解除と、白川の叡智やおみちの公開にも関連性はございません。
回答講師斉藤亘弘

世間話に関心が持てず、特に女性

分類2-7
質問世間話に関心が持てず、特に女性が二人以上集まると、話のテンポが速く感じ、合わせるのに困難を感じます。仲良くなっても、一対一で話していると、聞き役になるか、アドバイスをする立場のどちらかになってしまい、人といて幸せを感じることができません。御祓作法を継続していくことで、道は開けていくと信じていれば大丈夫でしょうか?
回答「おみち」は、日々淡々と行うことで、道が開きます。これをやってみようと思った自分の直観を信じて継続することが今は力になると思います。
回答講師七沢智樹

第一回講義において、「魂という

分類1-7
質問第一回講義において、「魂という器が出来上がってから、結びの働きを使って神々と一体となる」とおっしゃっていました。神々と一体になっていきますと、不得意なことも改善がされたりということもあるのでしょうか?それは、「自分の意思」を基に調整がされていくものなのでしょうか?もしくは、自分の意思とは別に、深層まで見通すことのできる神々(宇宙)の采配により、魂にとってふさわしい調整がされていくものでしょうか?
回答自分の意志と神々の意志が一体化しているので、これもまたそのとおりです。
回答講師七沢智樹

所作についてです。 着座と起座

分類2-5
質問所作についてです。 着座と起座の動作をした後に、座る時の立ち位置から立った時の立ち位置が後ろに下がっていますが、何故なのかと疑問に思いました。この動作では下がるのは当たり前なのですが元の位置に戻らずに一歩下がっているということが疑問です。ささいなことですが気になったので、もし意味があるのなら教えていただきたいなと思います。 よろしくお願いいたします。
回答回答としましては、起座の際の立ち位置については、元の位置に戻る(前足に揃える)所作と、一歩下がる(後ろ足に揃える)所作と2通りございます。起座のあとに前進する時は元の位置に戻り、後退する時は一歩下がる所作となります。その他、前面に意識が偏りやすいことから、一歩下がることでもニュートラルな心身の一致になりやすい意味もございます。
回答講師斉藤亘弘

ヒトの想念が溜まっている神社な

分類2-9
質問ヒトの想念が溜まっている神社などで、 神様だけに意識を向ける方法は、ありますでしょうか。 斉藤先生も感じていらっしゃることと存じますが、 有名な神社では、完全に観光地化されていて、 海外の人の物見遊山的な意識や、 遊びに来た、という念が、溜まっていて、 本来の神が居る場所では、なくなっています。
回答仰るとおりのような現状が、昨今の神社などの場所では見受けられると思います。特にその場の空間がゼロ・ポイントとして祓い清められていることは大事なことでございますね。 一方で、いついかなる場所・時・状況であろうとも、必要な時には自在に瞬時に本来の神の働きと繋がり結ぶことが、神を掴むことでもあります。そして、本来の神の働きとは、様々な感情想念や指導霊等といった4次元時空間の相対的な領域に存在するものではなく、5次元・空・中今からの神の働き、つまり自分自身の中にある創造意志から発動することを、白川のおみちを通じて明確にすることも肝要となります。その上で、いかなる時も自分自身が神の社となり得ることになります。
回答講師斉藤亘弘

祭祀と暦の関連について 明治以

分類2-2
質問祭祀と暦の関連について 明治以降、新暦になりましたが、祭祀を行う際に、日付と季節(地球の運行)どちらが重要でしょうか。 日付を重要にした場合、祭祀に影響はありますか。
回答明治期からの改暦(新暦への移行)は、古来からの暦に沿ってきた各種大小の年中行事のあり方に少なからず影響を及ぼしていることにもなるでしょう。太陽や月、地球などの運行に合わせて随時に微調整されながら日付も割り出されてきたことからも、各種の暦に沿って祭祀を行うことの意義はそれなりにあると思います。ただ、従来のすべての祭祀のあり方・方法だけが絶対的に正しいとする見方ではなく、しかも従来の旧暦、新暦という次元を超えた、今の時代に見合った新たな祭祀のあり方・方法も常に創造されていくことが、自然の働きとしてのプロセスでもあると思っています。
回答講師斉藤亘弘