どう考える事、どう行動すること

分類1-12
質問どう考える事、どう行動することが一人のタミが成すことのできる高等国策なのでしょうか?
回答タミ、即ち我々の特徴は、まず超多人数性です。「それは同時に大可能性を持つ」という観点に立っての論です。タミの知と志、意志を限りなく磨き上げ、その力を広く大きく統合し得れば、この二十一世紀の国難を乗り切れるはず、という思いです。「自分の生活、仕事を通して」とありますが、その通りです。与えられた条件や場を土台として、磨きをかければ、道が見える。見えれば歩む。時に霧がかかれば立ち止まり、晴れれば再び歩む。その方向に、「タミでありつつ、タミを超える」世界があると存じます。
回答講師能澤壽彦

天皇は神が選ばれたのでしょうか

分類1-12
質問天皇は神が選ばれたのでしょうか?権力争いの勝者(裏支え者)が天皇になり神になられたのでしょうか?
回答皇室の世界最長期存続は、只ならぬ事で、それには諸々の裏支えあり、と私は考えます。それは、過去・現在の人々、更には祖霊、諸族祖神、他の諸神格による支えとも言えましょう。その意味では、仰るように「神が選ばれた」とも言えましょう。「権力争いの勝者」云々の件は、古代東アジア危機の状況下、「軍事力や内政指導力の卓越者たる大王、天皇が時代要請された」という意味では、権力的勝利としての側面無しとしません。なお「天皇となり神となり」云々は、課題が大きすぎ、今は何とも申せません。ある意味、ナカツオミ(中臣)は、「キミ(天皇)のカミ化」の方向で奉仕努力した役柄です。因みに、左翼は天皇即権力者論(歴史期~昭和期)に立脚するようです。共に注意を要します。
回答講師能澤壽彦

高等國策の考え方として、弥生中

分類1-12
質問高等國策の考え方として、弥生中期以前を考慮することは、難しいのでしょうか。天照大神と瀬織津姫の陰陽二神で一つと考える、古くからあるらしき祭神の形態と、天武天皇の御代以降に変革された、「アマテラスオオミカミ」という一神様(しかも男神から女神へ)の祭神形態を考慮することは、諸事情から、余り触れない方が良いのでしょうか。
回答1、弥生中期を起点にしましたのは、一応列島内の原始国家の成立(小規模ながら、それなりの地域祭政体の確立)を区切りとしたきゆえです。将来、「縄文期国家論」なりが出現するならば、私も大いに再調整を求められるかと存じます。 2、天照大神と瀬織津姫の件、私もかつて神祇文化史系の高著を読んだことがあります。伊勢内宮の荒祭宮は天照大神の荒魂を祀る、とは「巨大な光の神格を裏支えする、ある種影の大神格かもしれぬ」とは感じられます(それ即ち瀬織津姫とは断定はせずとも)。ともあれ、両神格の関係性の解釈は、仮説提示として、今の時代かまわないのでは、と私なりには考えますが。 3、天武朝の伊勢神宮大画期と天照大神の神格解釈論は、巨大かつ微妙なテーマです。「男神から女神へ」は、私も諸書で目にした記憶があります。海人族系の日神かもしれぬアマテル神の微妙な存在が絡みそうで、古代史最大級の謎の一つです。海人族は天孫族への裏支えに回った部族で、こういう神格統合の如き形で形而上的に支えた、と解することも、論理的には可能です。なお、男神・女神については、神格理解の境地という事柄も絡みましょう。人間的性別の反映を超えた次元で、霊妙に感得する境地、というものもありましょう。だが、ともあれ、この辺りは記紀に記載のない神話世界ですので、仰るような御配慮も、一応必要かもしれません。少なくとも一般紙での活字公表といったレベルにおいては。
回答講師能澤壽彦

お土産についていた熨しに書かれ

分類1-9
質問お土産についていた熨しに書かれていた、「白川学館」の文字は、神代文字ですか?また、これを書かれたのはもしかしたら、写し祝詞の西村先生でしょうか?
回答写し祝詞を担当する西村先生によるものです。西村先生の完全オリジナルな文字の為、神代文字とも異なります。 西村先生による写し祝詞の実践講座を祝殿で行いました。その時の模様は白川通信ネット内(写し祝詞実践)の動画にて掲載されております。ご興味がありましたらご覧頂ければと思います。今後も、不定期ではありますが、写し祝詞の実践講座を予定しておりますので、お時間が合えばご参加頂ければ幸いです。
回答講師櫻井慎也

「鏡」で組み立て直すという事で

分類1-11
質問「鏡」で組み立て直すという事ですが、神道的にはどのようになることが正しい道という事でしょうか?
回答講義で説明した「イソノミヤ」が理想だと思われます。「イソノミヤ」は、「五十音宮」であり、鏡は五十音の象徴です。では、五十音とは何でしょうか。普段私たちが話している言語は日本語であり、五十音です。話し言葉、書き言葉という表現がありますが、それらは次元の階層を降りた結果としての五十音です。では、耳に聞こえる、あるいは目で見える文字になる前に、五十音はどのような形になっているでしょうか。そうです。形はありません。霊(たま)という振動ならあります。振動の前には何があるでしょうか。何もないでしょうか。いいえ。意志の存在があります。もはや振動ともいえない状態です。言霊学ではこれを神と呼びます。その子供や孫が文字になったり話し言葉になったりしますが、神の子はやはり神です。普段会話をしたり、何かを書いている時は、全く無自覚に言葉という神を使っています。神というよりは、道具といった感覚です。道具という感覚のため、ぞんざいに扱う傾向があります。しかし、それが神だと知ったら、どうでしょうか。もちろん、口にしないまでも、心の中であれこれ考える時にも言葉は使います。そうした心の声にも神が使われていると知ったらどうでしょうか。そうですね。いい加減な使い方はできないはずです。しかし、神を使う自分という言い方はピンと来ないかもしれません。人間である自分が神を使うことはありえない、と。神を扱えるのは神だけです。とすると、自分は実は神ではないでしょうか。言霊五十神、言霊百神といいますが、五十神を認めているのは誰でしょうか、五十神を使って会話をしているのは誰でしょうか。自分以外、人間以外ありえないのではないでしょうか。結論として、五十音は神である→人間は五十音を使える→人間は神である、ということになります。なぜなら、次元の階層上、神でないと神を扱えないからです。少し強引でしょうか。ここで、最初の「五十音は神である」に引っかかると、次に進むことができません。しかし、自分に把握できるにせよ、できないにせよ、古事記にもあるように歴史的に「言葉は神」だといわれているわけです。聖書も言っています。「初めに言葉ありき、 言葉は神と共にありき、 言葉は神であった」と。仮に言霊の体感がないとしても、これだけ言っているわけですから、頭の知識として入れておいてもよろしいかと思います。ここでご質問に戻ります。鏡のことを踏まえ正しい道は何か、ということですね。それは、「言葉は神であり、自分は神である」という自覚を持って生きることではないかと思います。その自覚があれば、人は外部の環境に影響されず、真に主体性を持って生きることができます。これが、無支配という意味を持つ「イソノミヤ」のあり方なのです。イソノミヤ=五十音=鏡=神=自分ということです。
回答講師小野寺潤

ホツマツタエという文字がありま

分類1-11
質問ホツマツタエという文字がありますが、これを「言霊の書」だという人がいますが、白川ではどのように考えておられますでしょうか?やはり「偽書」扱いでしょうか?
回答ホツマツタエですが、白川がそれを偽書と見ているのではなく、学術の世界で偽書とされているものは、公で通用しないという観点から、あえて話題にすることはありません。白川が長い歴史の中で集めた資料には、当然神代文字も含まれます。しかし、天皇祭祀では公が了解する集合意識の場にもアクセスするため、公で認められていないものは、原則的に採用しないという立場を取っています。
回答講師小野寺潤

言霊は階層性とも関わりを持って

分類1-11
質問言霊は階層性とも関わりを持っているのでしょうか?そうなら、どのような形で関わりを持つのか教えてください。
回答言霊は階層性そのものでもあります。どのような切り口で階層を捉えるかで、分け方も変わりますが、言霊学における代表的な分類方を紹介します。 イ:意志・・・神・・・総持 エ:結合・・・霊・・・道徳 ア:精神・・・魂・・・芸術 オ:情動・・・心・・・科学 ウ:生命・・・体・・・産業 「ウ」は赤ちゃんの生命の響きである「うぅ~」、「オ」は、何かに対して「お~」とか「おう」と応じる声の響き、「ア」は、「あっ、わかった」の「あ」、「エ」は「え~と」の「え」で選ぶ作用、「イ」は縦に中心を貫き通す意志の「い」です。テキストにも書きましたが、言葉の響きがピタリと合っていることに感動し、歌を詠んだのが、たとえば山上憶良でした。(なにやらマンガチックですが、そのような当り前の世界から言霊学は始まります)本来このイエアオウは、微妙な振動であり、イとかエという形で一括りにはできないはずです。なぜなら、イという形で括ってしまうと他の可能性を全て排除することになるからです。しかし、総括して五階層・五次元に分けられることを発見したのが、先人(神)の知恵であり、言霊の妙でもあります。すると、この五つの音には何らかの真理が隠れているのではないか、と見ることができるわけです。そして、その五段を上記のような性格/性質に分類できる、というのが「言の葉の誠の道」の教えです。これにより、人間の性格や能力、文明のあり様、未来を合わせ鏡として分析できるようになるといわれます。(ただし、全ての説明には膨大な文量が必要になりますので割愛させていただきます)一般的には、自分の状態をこのイエアオウで確定させることができます。お腹が空いていれば「ウ」の自分が出てきますし、怒ったり後悔などしている時には「オ」の自分、何かが閃くと「ア」の階層となります。たいてい人間は、ウかオの階層にあり、よほどのことがない限りそこから出ることはありません。つまり、「ウ=体」か「オ=心、感情」のどちらかに囚われているわけです。まれに絵を書いていたり、音楽を聞いていたりする時に、心も体も忘れて気持ちのいい状態になることがありますが、その時は閃きがあるなしに関わらず、ウとオの次元を超えた「ア」の次元にいるということができます。「エ」は「選ぶ」なので、それほど次元が高そうにも思えませんが、いわゆる一般的な「選ぶ」という行為は、ウかオの階層に所属します。夕食はラーメンかチャーハンか、この人に感じるのは怒りなのか悲しみなのか、といったレベルです。ここでいう「エ」の次元とは、叡智の階層であり、ウオア全ての次元の中から、然るべきあり様を選ぶという意味合いになります。「イ」は本来説明の許されない階層でもあるのですが、あえて申し上げれば、全ての階層を超えて意識の形を発動するもの、となるでしょうか。この図式でいうと「ア」の階層が、仏教でいう「空」=悟りの実現まで入っていますので、それ以上はある意味、神の領域といえるかと思います。しかし、それが自分の外にあるのではなく、内にあるというのが、言霊学の教えの肝の部分でもあります。人間は実は無意識でこの五つの階層を使って生きているのですが、それを自覚しようというのが言霊の学びです。常に自分がどの階層にいるのかを“観る”ことにより、現実がどのように創造されているのかを掴むことができ、それにより新しい現実を創ることができるといわれます。
回答講師小野寺潤

生まれが京都の伏見で、現在の住

分類1-6
質問生まれが京都の伏見で、現在の住まいの隣がお稲荷さんのため、何か縁がある気もしております。お稲荷さんの話題がありましたので、差支えなければご教示いただければ幸いです。
回答伏見稲荷大社は、江戸時代は、公家、白川家が教えていた神社(当時は、白川家か吉田家が免許状を出していた。)です。しかし、稲荷神社でお祀りしているのは、「狐」であるため、神道の神観の講義でもお伝えしていますが、太陽や月、地球、木火土金水や宇宙創造の働きのようなよりスケールの大きな神々ではありません。同じお祀りするのであれば、よりスケールの大きな、宇宙自然の働きをお祀りしたほうが、宇宙自然の働きと一体となりやすいということがあります。白川では、造化三神(宇宙創造の神々)と天照大御神(太陽)、豊受大神(大地の恵み)をお祀りしています。
回答講師七沢智樹