「神代」「審神者」からの連想で

分類1-6
質問「神代」「審神者」からの連想ですが、一人で行う白川流の自問自答法みたいなものはありますか?また、自問自答に関して白川の考えを教えて頂けないでしょうか?
回答神が発動するのは「中今」です。したがって、問うて答えるまで時間があると、その間に時間のエネルギー(霊)のエネルギーが入ります。そうすると、霊的なメッセージを聴くことができます。自問自答によって、そういったものを得たいのであれば問題ありませんが、神の働きを発動させたいのであれば、問うてから答えまでの時間が「ゼロ」でなくてはなりません。それが本来の言霊です。発したと同時に現象化するもの。白川の審神者神代の行では、祓詞を審神者があげると同時に、神代が聴きます。その間に神が発動します。一人で奏上する時も実は同じです。祓詞をあげている審神者としての私と、祓詞を聴いている神代としての私が、「た」と声を発した瞬間に「中今」に同時に存在するのです。そして、祓詞奏上が終わった後に、ふと何かを思うことがあります。その直感の中に、神の叡智が含まれていることがあります
回答講師七沢智樹

二項対立の統合について、二項対

分類1-6
質問二項対立の統合について、二項対立の審神者の関係となるものは、主体と客体と同じ階層にあると考えていいのですか?
回答審神者神代の間に神を観るということは、おっしゃる通り、主体客体、有と無、善と悪などの二項対立を統合することを意味しています。「憶」「効」については、分かりにくいと思います。不明な場合は聞いてください。
回答講師問答集

情報も神とのことですが、テキス

分類1-6
質問情報も神とのことですが、テキストの内容からみると、土蔵の中に隠されている情報(例えば古い文献)は誰も自由に取り出せないから神じゃないってことでよろしいんでしょうか。
回答情報は神というのは、情報には、端的には、時間や空間が関係ないためということです。しかし、失われた書物に書かれた情報は、「今此処」に見ることはできませんので、
回答講師七沢智樹

中今を生きるのか、時としてあせ

分類1-6
質問中今を生きるのか、時としてあせりや不安から未来を思ってしまいます。何か中今に心を置くコツというのはございましょうか?
回答意識には顕在意識と潜在意識があります。顕在意識は焦りや不安が出ていたとしても、潜在意識では、もっと違うことを見据えているかもしれません。(白川の門をたたこうと思った最初の意志を振り返るといいかもしれません。) そして、祓詞の奏上や言霊の力は、潜在意識に働きかけます。中今を本当の意味で掴むことは、果てしない旅のようなものであり、一生かけて取り組むようなものです、まずは気楽に考え、「祓詞奏上」を日々積み重ね、潜在意識レベルで意識を祓っていきながら、「神を掴む」その意志を道しるべに、道を進んでいくことが、中今を掴む近道かと思います。
回答講師七沢智樹

神、霊、魂、情、体に出現の順序

分類1-6
質問神、霊、魂、情、体に出現の順序はありますか?神が霊、魂、情、体の順番に創造していったものでしょうか?それとも最初から同時に存在していたものでしょうか?
回答最初から同時(中今)です。
回答講師七沢智樹

神の働きは「意志」により「発動

分類1-6
質問神の働きは「意志」により「発動」します。とありますが、この場合の「意志」は通常行うところの意志決定との違いがあればお教えください。
回答通常の意志と同じですが、その「決定」するということに、深い意味があるということです。量子力学の世界では、「決定」することで「観測」が生まれます。すなわち、「決定」することで初めて「宇宙」が立ち現れるのです。現象化する前の宇宙は、混沌として漂っているだけですが、そこに「決定」が加わることで、形が生まれ、現象が生まれます。それが「意志」です。何かを決定しない限り、私の目の前の世界は変わりませんし、創造されません。すべて「意志」「決定」によって生まれています。ということは、すべての「意志」を持つものが「神」なのです。
回答講師七沢智樹

信託について、「人は皆神である

分類1-6
質問信託について、「人は皆神である」ならば、なぜ信託ということによって第三者が神の言葉をひろうのでしょう 自分自身の声として自分が受け取っていく・・・とは違うのでしょうか よく霊的に、神示を降ろしたりする人がいますが、その神の声と自分の内なる神の発動とは違うような気がしますが・・・
回答まさにそこがポイントです。第三者におりた神託を、神の言葉とするかどうかは、私の判断です。 その神の声と、自分の内なる神の発動は別物なのです。 それを神の言葉であると強制的に信じさせると宗教になります。
回答講師七沢智樹

神道を極めるためには「私心」が

分類1-6
質問神道を極めるためには「私心」があってはならないと云うことですが、これは「公」即ち社会貢献のみ行うことで、自己実現を考えてはならないと云うことでしょうか?
回答ここは誤解を招きやすい点です。正確には「私心」を治めた上での「公」です。自己実現を礎にした社会貢献です。自己実現を横に置いた社会貢献は、返って情緒的混乱を生み出します。私からでないと何も始まりません。なぜなら、私の意志であり使命がスタートだからです。それは、外にいる神ではなく、自分の中にいる神と繋がることと同じです。
回答講師七沢智樹