高等国策という概念を持って民が日々

分類1-12
質問高等国策という概念を持って民が日々を生きることで身の回りのことに主体的になれると感じました。国家100年の計のお話がありましたが、100年後どのような世界になっていてほしい、とお考えでしょうか。
回答「身の回りのことに主体的に」云々 1) ツボを押さえて頂きました。<民こそが>というニュアンスに、私なりの力点と含みがあります。 裏返せば、戦後<臣が臣らしくなくなったゆえに>という含みがあります。敗戦の意味とは、それらも含めてなのかと察しますが、連合国(特に米国)からの日本弱体化政策(傀儡政府化、民族分断策、左翼育成《日教組育成、大学、学会、論壇での左派育成なども含む。この背景には、ソ連の日本領土化を辞退させるべく、大幅な米ソの裏取引があった》)などが功を奏しすぎたゆえに、と申せましょうか。 2) 一見、民は無力です。しかし量として主体的かつ有機的に結集し得れば、 途方もない力を発揮し得ると存じます。巨大な質へと転移します。文明推進力の鍵となるはずです。学館はそうした機能を果たす社会機関だと存じます。 3) ゆえに「日々を生きる身の周り」を巨大な天意(天則)から割り振られ、 支えられた営為と解して頂きたきものです。因みに仏教には「大願」という概念があり、法界(宇宙)に大きな誓願を立てると、順序だって(易から難へ 私から公へ 顕から密へ…)的確に仏の力が宿ってくると申します。それと似た世界像かと存じます。 「100年後どのような世界に」云々 1) 今日の日本の行政・政治世界を考えますと、そう輝く日本の100年後は、 予測し得ぬ印象を抱きます。ともあれ、大局的に見た米国の退潮、中国(漢人世界)の台頭は確かです。日本は極めて厳しい民族的試練にさらされている最中かとも察します。 2) 大計(高等国策)は危機の実践知として、そうした試練の厳しさをあえて想定しつつ、小生なりに発想した面がございます。ゆえにダーク・トーンの印象が否めません。しかし、それは真の光明を求めるがゆえの叫びであると解して頂ければ。
回答講師能澤壽彦