0001話:2016年11月17日

◇祓詞奏上の速度

お祓いを奏上するときの最初の速度が、お祓い全体の速度になっていきます。奏上における速さは重要です。本日の速度は心地良くはありますが、雑念が入りやすい速度でした。速度には、脳が集中するような速度があります。ゆっくりになるに従って、雑念とか、眠気が出て来る場合がありますので、もう少し早めのほうが良いと思います。

◇情緒を祓う大祓

大祓は、天皇が神からいただいた詞(ことば)ということであります。昔の言葉ですので、現代の私達からすると、若干、違和感がある言葉かもしれません。そのような大祓で、感情を流し、消していくことができます。感情には、嫌な感情も良い感情もあります。感情の元は、五情に分けることができます。「覚える、畏れる、恥じる、省みる、悔いる」です。問題が起こったとき、まず、自分を責めてしまう人が多いと思います。自分を責めるということは、自己自身を客観視できていないわけです。そして、自分自身の中で争いを起こしてしまうわけですね。グルグル頭の中で考えてしまい、全然、解決に結びつかないわけです。感情は、他の一方の自己が、今、主管している自己を責めるという行いのため起こります。これが一つ目です。

もう一つは、外側からの問題ですね。自己の内部ではなく、外からやって来ている場合です。それが、他者の誹(そし)り、すなわち呪詛(じゅそ)にあたるものです。これは他人が起こすものでありますね。五情とは「覚える、悔いる、恥じる、省みる、畏れる」。省みるという感情を使って、自分自身が恥ずかしいことをしたなぁ、と自己で落とし込みができればいいわけですね。そういうものを使うと、自分の中の五情で、ゼロポイントに戻れるわけですね。

自分が悪かったんだ、ということがわかったとしても、それでもなお、何かおかしいな、ということがあれば、外からの問題の場合があります。それが咎めるということです。自分自身の咎めと同時に、外からの咎めもあります。この両方を祓うことができるというのが大祓です。罪事・咎・祟り、それを大祓で祓うわけですね。大祓で祓っていき、自分自身の不確かさを確認し、自己自身の問題を解消していくわけですね。

自己自身を分け、あるいは、それを意図的に分離させることができないと、それは精神病となってしまいます。感情を伴った思考は、正常な論理が働かないで、滑ってしまいます。そして、自分自身の中で対立を起こして、せめぎ合う問題の中に入り込んでいくということになってしまいます。我々は、当たり前にそのような方法をやっています。

今の時代においては、納得できるような形での絶対論理を自分の中で構築していく必要があります。それが最初の出発点となるわけです。その発生の仕組みが分かっていれば、精神分裂しないで、他者から批判を受けたとしても、自分自身で解消することができるようになっていきます。白川は、そのような世界を掴めるし、また、そのような体系となっています。

◇確信があるからやっている

この時代でも、これをやる意味がある、と確信しているから私はやっております。古い神話の教えだけれども、そこに深い意味があって、この社会問題を解決するものをもっていると私は思っています。そういうことでないと、皆さんに勧めることはしないです。それを皆さんと共に、世の中に出していこうということをやっている。半端なことをやっているわけではない。白川や言霊を掘り下げていく意味でも、もっともっと勉強していただきたいなと思っています。白川通信や書籍の中に、沢山のヒントが出ています。

これからは、世界が求めているロゴソロジーとかロゴスタディとか、鎮魂ということをしながら、我々自身も高めていかなければいけません。「おみち」というものはそう簡単には分からないし、そう簡単には全体像は掴めないと思います。しかし、これをやっていくということに対して、自分自身で納得があるならば、それを核として、そこを主体として、自分自身を見つめるということをしていくことができます。そのときの自己の見つめ方が、さきほどの五情であります。自己自身を責めるでもない、褒めるでもない、情緒をゼロリセットするということですね。どんな宗教、どんな哲学、そしてどんな道徳よりも、簡単にサラッと行うことができるのが、白川の「おみち」である、と私は確信しております。

◇〝ただ〟生きるのではない

五魂の精魂のように、これまで隠されてきたものもあります。そういうものを使って、人生をよりよく生きてほしいと思います。私が特に思うのは、今が一番良いときなんだ、と。

若いときは、希望と幻滅の繰り返しだと思います。〝ただ〟生きるのは「平(へい)」です。平和ではありません。〝ただ〟長生きしても仕方がありません。中今の中で充実したときを過ごしていただきたい。そのためのあらゆる手立てというか、思考というか、インフラを用意しないといけないのは当然なことです。それが、白川というもの、言霊というもの、鎮魂というものの中身であります。それをシッカリと掴んでいただくためには、ある程度の学びは必要。皆さんには、白川や言霊の中身を掴んでいただきたい。それが私の想いです。

◇〝自分〟として生きる喜びを掴む

現在、一番良い水を創ろうと研究開発を進めています。その水を飲んだだけで、養老の滝のように若返るではないですが、健康になるような水を創ろうとしています。その方法が白川の祓いの中にあるわけですね。我々のその意志に、神が働くわけです。その神が宇宙創造の神である。神というものを一神、一者と見立ててみますと、その神は「全知」であるが、「全能」ではないのです。我々が、神を全能にすることに関わらないと、神が全能にならないようになっています。そして、宇宙創造の意味がなくなってしまう。これは、論理的なことであるし、神学的なことでもあると思います。物理学は最終的にそこに帰結すると思います。全能にするには、神によって創造された意志を知り、実現していくということが大切です。その方法を人間は持っていると思っております。ゼロポイントにいって、綺麗になって、またより良い宇宙創造というかですね、全知全能な世界を実現するということだと思います。神が全知全能であったら、あらゆる修行はなくなります。ただ、ずーっと「平」な状態であると思います。活き活きと生きるというか、ハッキリと自分のミッションというものを掴んで、喜んで生きていて、また元に戻っていくということが我々の目的であります。

◇最後に

その過程で色々起こるのは些細なことではありますが、五情で解消していけばいいだけです。悔いてもいい、反省してもいい、あるいは恥ずかしいという思いがあってもいいです。自分自身を客観視して、そういう中でやっていきましょう、ということです。大祓は、自分自身が謗られたり、自分で自分自身を非難したりしたときに、それが一番の罪だといっています。罪・咎・祟りといっています。祟りということは自分自身を非難すること、他者から非難されることもあります。それを大祓で祓っていかなければいけません。それを考えると解決の幅がグッと拡がります。

今日も一日、宜しくお願いします。