0060話:2017年02月14日

◇日本の商道は、三方一両損

昨日、銀行に行きまして隣の土地を購入いたしました。今度、一気通貫ではないですけれども、道路を隔てて繋がりました。三方一両損という言葉があります。貸した銀行も普通は金利とか考えないで、普通だと高い金利らしいのですが、金利を下げたそうです。連帯保証人は、借りた方が親戚だからということもありますが、損をしていますよね。私は普通の地価より高い金額で買うという損をしました。それぞれみんな損をして、うまくいくんですよね。そして三者がそろって、最後にテーブルに着きました。そして、最後ですね、決済の時間がなくなってきてしまいました。決済を同時にしないといけないんですね。連帯保証人が向こうに払う、向こうが銀行に払う、解除通知をもらう、これを同時にやらないといけないんですね。なので、全部の書類を集めないと処理できないんですね。そこで時間切れになりそうになったんですね。普通は315分までという銀行の内規があるのですが、それにトラブルで2分遅れたんですが、普通はシステムが動かないのですが、その時は動いたんですね。無事できました。そんなことがありました。

本当に色々と神懸かり的なことがあるけれども、日本の商道というのは、最終的には三方一両損という世界なのではないのかと。みんな少しずつ損をしても、みんなが合意して、納得して、そして、次の段階に行けば良いということになろうかと思います。そんなことを思いました。これから我々がイソノミヤと言っている社会での、そういう一番古いが、これからも納得して、世界がそのようになっていくことが一番いい社会の姿かなと感じた日でした。それはとても不思議なことでもありました。そんなことがありました。非常に参考になりました。

世界でも多分そういうことを納得しないで、奪うとか、奪われるとかいうことで起こっているというかね。それを複雑系というのですが、そういう人間社会の情緒や生き方、経済というものが統合的に理解できないことになっているのではないのかと。そういう中で、我々がそういうことを経験させられたではないのかなというように思っています。それが一つありました。

今日はまたそれが、我々がですね、鎮魂のコンサートで、ロゴストロンから見たら、あるいは、七沢研究所から、または金さんのTAIIプロジェクトから見たら全て法人が違うわけですね。一つのところだけでやると、それでは100人以下しか集まらなかったわけですね。我々は、三社どころか、鎮魂協会から、ワープからと、最後はワープに助けられたわけでしょ。あるいは、七沢研究所や金さんのTAIIプロジェクトなどのものが、三方一両損ではないけれども、我々は和器出版の本を買い入れて、それを今回、お渡しするわけでしょ。プレゼントとして渡すんですけれども、それは一見、損に見えますが、よく考えてみると、それはグルグルと経済的にはそれぞれが回っていくわけですね。それが資本主義として見ると、宣伝広告費というか・・・。それはグループ全体の中での宣伝広告となっています。それは損かと言うと、損ではない。みんなが次の仕事のとき助かるということがある。そうした時に、それは三方一両損ではないですが、グルグル複雑系の形をとっている。それを悪用する企業もありますが、我々はそんな単純なことをやっているわけではなくて、あくまでも株式会社という形だけではなくて、社団法人や財団法人を通じて、そういうこともやっているわけですね。非常にもっと位相・階層の複雑系でもって生きるということをやるということですね。そういうことをやっているわけです。

◇発想を自由に持つ

それがまた大きな違いなんだけれども、一見、それは我々の頭の中で、そういうことがどの立場に立っても、自在に考えられるような、そういう動きというか、思考が、実験が、出来ないと、大概はどうして自分だけが苦労してとか、不満を抱いてしまう。そういうことではない。深くもやらなくてはいけないこともあるけれども、浅く広くやると色々な学びが出来る。これからも自分がそれをやり切るということもいいんだけれども、もっと自在に考えて、もっと色々な部署でやってもいいよということにならないといけないわけですね。

たまたま昨日の銀行の担当者というのは、システムエンジニアなんですね。銀行のシステムを考えているのですが、そういう窓口の仕事なんて始めてだそうですね。たまたま窓口に来てやることになった。それがとんでもない大きな額となったわけですね。担当者も初めてのことなので、どんどん遅れてしまいました。危うく成立しないようなことになってしまいました。だから、色々な仕事があると思いますが、全体の中の動きで、各業務の仕事は仕事でもってまた学べばいいというか、それにすごく時間がかかるわけではないですから。要は、発想を自由に持っているということが大事なんです。

◇お祓いの循環の中で自分自身が自然の中に入る

お祓いも音波としての祓いもあれば、瞬間のそういう父韻・母音がくっつく時の速さの周波数もあれば、テレパシーのようなそういう速さで動くものもあります。そういう速さであっても、自在に捉えて、その階層性でお祓いがあがっているということだと思うんですね。階層性で、振動数だけではないですが、そういうもので全体のお祓いというものが進んでいるということを知った方がいいのではないのかなということを今日は感じました。

そして、お祓いがより心地よいものになっていくという技を身につければいいのかなと。ポイントは、今日、感じたのは、自己主張というか、自分が自己主張をそのままお祓いに出すと、人の邪魔になるから、心地悪い。自己主張というのはありながら、自然に統合するような祓いになるということが一番のポイントだと思います。それは声の強さやそういう色々なもので、この音階でも出てくるんだろうと思います。だからと言って弱い声ではない。弱いのではない。ハッキリとありながら、自己主張を先に立てないということですね。あくまでも自然、地球、宇宙の、あるいはお祓いの循環の中で、自分自身が自然の中に入っているという感覚であげるのが一番いいお祓いなのではないのかと。自己主張すると、どうも一番影響を与えるというか・・・。その自分がいいと思ってやっているわけですから、そのままいくと、他の人がみんな辟易してしまう。そういうことが起こります。ですから、不思議と大きい小さいは関係ないのだけれども、それが合っていくということを考慮に入れた方がいいかなと。それも徐々にだから、いっぺんに合わせるという合唱ではないという前提として考えるということが大事です。

でも、存在としては、はっきりと自己がないとダメでしょ。この宇宙に存在できないから。自己を消すというのは、そういう宗教や色んな悟りということの中でやっている中身は、根本の中でそういうものを掴みたいという意志があってやっているといいんだけれども、そういうものがない状態でやっていると、それは宇宙の存在から消されますね。それが弱いと消されます。それは単に、自己主張が強ければ良いということだけのものではない。ですが、自己主張がある程度強くないと、そういうものが消されてしまう。命ごと消されてしまうこともある。いわゆる今の宗教で言う、神や仏や天使や霊に頼るわけではない。しっかりと生きるという意欲と意志がありながら、自己を見つめる、そこを自分自身が捉えていくという客観視が、非常に大事なことになるのではないかと思いました。

ありがとうございました。