0061話:2017年02月15日

◇鎮魂組曲コンサート

昨日は無事、鎮魂組曲コンサートを終えることが出来ました。立ち見が出るほどと言いますか、立ち見は消防法上、駄目だということで出来なかったのですけれども。あと20件くらい、当日に、お電話いただいたそうです。残念ながら、満席となってしまっていましたので、お断りするしかなかったのですが・・・。特にIさんは、きりきり舞いさせられて大変でしたでしょう。ご苦労様でした。

鎮魂組曲コンサートの最初に、本当に挨拶という形で概略ですね、それをお話ししました。肝心の言いたいことが言えずに、消化不良で、今ここで話したいと思います(笑)。金さんとの5枚目のCDとか、あるいは、映画祭にノミネートされたとか、そのような話をしました。

そのあと、鎮魂ということが、僕は一番古い方の文書にも、万葉集の中に出ている中では、大津皇子と大来皇女という天武天皇の子どもなんですけれども、そこの中だと思います。弟と姉という関係で、早くにお母さんである皇后が亡くなったので、二人で育てられたんでしょうけれどもね。大津皇子が、今の時代から遡ると、万葉集にも出ているわけですから、1350年とか、1400年くらい前のことなんですけれどもね。その時に、大津皇子が謀反ということで、天武天皇がお亡くなりになったあと、謀反ということで罪に問われて、結局、自害を承ってしまうことになるのですけれども。その時に、お姉さんである大来皇女が、最初の伊勢神宮の斎宮であったんですね。第一代目ですね。神事で斎宮になっていたんですね。それで発覚する前に、奈良から伊勢にお姉さんのところに大津皇子が話に行ったんですね。神事を受けたのかはよく分かりませんけれども。その後、都に帰って、捕まってしまうということになるんですけれど。その後、大津皇子が自害するということになります。

お姉さんは伊勢に来られた時からの歌を6首、万葉集の中に残しているんですね。その辺の歌の最初のビックリしたところから、嘆きや、何もしてあげられないという、心の止むに止まれぬという思いとかもあるんですけれども、それが公死を知らされて、自分も職を辞して都に帰るわけですけれども。あとは、葬られるというか、葬るところを変えるんですね。

二上山の雄岳雌岳とあるんですけれど、高い方の頂上に大墓を移されました。その間の6首の歌を見ると、鎮魂ということがテーマとなっていた。今用意している鎮魂組曲から、大津皇子の悲劇を物語にした死者の書という折口信夫(釈迢空)が作った作品があるんですけれど、それを映画化しようということでやっています。どうも私は、先ほど言ったように鎮魂という中身になるのではないかと思います。これは簡単に、昨日は自己の鎮魂と他者の鎮魂という形で大きな分け方で話をしたのですが、どうも大来皇女が自分自身の嘆きというか、心の変化というものと、亡くなった弟の鎮魂ということを両方兼ねているというかですね。和歌というものは、そういうものが正直に出る歌なんですね。和歌を作りなさいとよく小笠原先生にも言われました。その6首の中に残っている大来皇女自身の心が、悲哀からだんだん立ち直っていった時の歌は、

「うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)とわが見む」

となっています。二上山に大津皇子が祀られているわけですが、二上山と神をかけているのではないのかと思うんですね。明日からは、今からはということですね、神として見ようと、感じようということですね。いつも二上山を見る時は、神としての弟、神になった弟を拝するというような意味だと思うんですね。そういう世界にまで行き着くんですね。それは時間がかかったんでしょうけれども。

それは仏教も入ってきた頃だから、そういう49日ではないですが、そういう法要のようなことがあったと思いますが、神道にもそういうことがあったと思います。大来皇女はきっと、大祓をあげたと思うんですね。

ですから、万葉集の柿本人麻呂という人は、言霊の神様みたいな、沢山の歌を作った方がいらっしゃいますけれども、その方が大祓を修正したのではないのかと、小笠原先生に聞いた噂話みたいなものなのかもしれませんけれども。そのくらい古いものなんでしょうね。

◇六種鎮魂の意味

僕は大来皇女が大祓を含めて当然、伊勢の斎宮だったわけですから、沢山のお祓いをあげたのではないのかと。たぶん謀反というものは、実際はどうだったか分かりませんが、そういう罪にさせられたということは、日本の代表的な悲劇の一つだと思います。そういうことが史実として残っています。それに対応しているのが草壁皇子ですね。大津皇子の異母兄ですが、その方も天皇にならずに亡くなってしまったわけですね。草壁皇子のお母さんが、持統天皇になるんですね。そういう歴史を見ると、何か争いが異母兄弟ですからね、あったんではないのかなと。そういうことが言えるんですけれども、いくらそういうことを考えても、詮索に過ぎないのですが・・・。僕はそこに一番隠れていたのが、鎮魂ということではないのかと。大来皇女が自己鎮魂といいますか、自己の心を鎮めていくのと、弟の御霊を鎮めるというレクイエムと第6種鎮魂の意味が、二通り、自己自身を鎮めるのと、他者を鎮めるのとあると思います。それが他者というものが死者である場合もあれば、生者でもあれば、自然でもあれば・・・極端に言うと、神の荒魂を鎮めるというところまであるわけですから。当然、そういうものが時代に色濃くあったのではないのかと。

それが鎮魂ということの本当の我々の普段、毎日やっているような第6種鎮魂の中に、操作方法の技術だけではなくて含まれているということがあるのではないかと。昨日はそんなことを言いたいと思っていました。今日は言いたいことを言えたのでストレスが発散できました(笑)。ストレスというわけではないですけれども。

昨日の鎮魂組曲コンサートの話と合わせて読んでみてください。

本日もどうぞよろしくお願いいたします。