0062話:2017年02月16日

●門人の質問1

朝のお祓いをしている時に、自分の中から今日やるべきこととか、やろうと思っていることが浮かび上がって、頭の整理をしている感覚なのですが、そういったことはよく見られることなのでしょうか。

 

七沢代表】

非常に大事なことで、祓いというのは、鎮魂もそうだけれども、一種のゼロポイントフィールドに意識をもっていくわけですね。ということは、考えない状態になるのだけれど、普段は考えていることを、自分でいくつも貼り付けているんですね。ずっとつまらないことも、良いことも全部繋がているんですね。そうやって、脳が動いている。それを一旦、切るという方法が祓いなんです。言霊もそうだけれど。大祓そのものが全部切るという方法ですね。意識で切るということが祓いになっています。だから、今、言われるように、それが一種の悟りなんですね。本当は、お祓いは悟りへの一番の近道なんですね。切っていくんですね。自分の中で勝手に繋げている、その持続している意識を切ってしまうんですね。これが切る方法なんです。だから、切ると一番今やらないといけないことが浮かんでくる。それが悟りと同じ意味。それは非常に大事なことです。今までは説明としては、脳波が低くなるからと、どうのこうのと言っていましたが、そうではない。メディテーションとか、禅とかが出来なかった悟りのようなものを出来るようにするものです。意識をズタズタに切れるんですね。それでゼロポイントになる。

一番の効果というか、人類に高度にもたらされた文明というものがあるとするならば、一番の人類の悩みは悟れないことですね。祓いは悟りですね。悟りというものは意識が繋がっているものをズタズタに切っていくことなんです。そして、最後は一語を切る。父韻と母音、子音に切るという技なんですね。それが人類に最後に残っている方法なんです。それを我々は持っていて、日常的にやっているんですね。これは宝だからね。それを手に持っているということを、みんな自覚したら、とんでもない価値のものだと思います。だから、分かるはずですね、その日にまず何をするかということが。それが生き方に繋がるんです。非常に良い質問でしたね。

 

●門人の質問2

賢治先生はお祓いをあげている間、どのような体感や感覚がありますか?

 

【七沢代表】

僕は統合というか、それを仕事としているところがありますから、鎮魂も言霊も白川も、あげながらその究極は一体何か、さっきの話ではないですが、お祓いというものの究極は何かという問いが絶えずあって、それが30年、40年、あげているテーマですね。悟りも禅のように、いくつもの悟りがありますが、我々の階層の中で、科学もあれば、神の世界もあるわけです。そういうものの悟りというのは階層的で大量にあるんですね。毎日、毎日が悟りの修行だと思っています。それを一回、一回のお祓いの中で掴んでいく。この味は言いにくいところもありますが・・・。今日も言っていいのか、悪いのかと悩んだりもします。30年、40年やった境地というのを言わなければいけない部分もあると思うんですね。

大祓の言葉というのは、みんな変なことが書いてあるなと思っているかもしれませんが、極端なことを言うと、悟りという切り方で捉えると、全部理解できる言葉でもある。畔放ち、溝埋、樋放ち、敷蒔、串刺とか、生の膚断、死の膚断、己が母を犯しとか、非常におどろおどろしい世界のように聞こえるのですが、それが全部、言霊というものの使い方とか、その時その時に悟りのようなことがふっと出てくる。そういうものがお祓いの時に出てくる。

今日、やることということもあります。別に、今日話すことというのは、何も考えていないわけですが、先日の大津皇子の話がしたいと思ったら、その話をするんですが、その他は、その時に言いたいことを言うんですけれど。たぶん私の場合は、悟りの色んな階層もありますが、いつもいつも新しい気付きで、いつもいつも毎回毎回掴もうという意識はあります。境地を掴まないと意味がない。

みんなの気持ちになって、中身を考えることはありますが、それに対する答えは全部あります。大量の知的体系だから、いくらでもあるんですね。それは先生も私に分からないという時も全部教えるというようなことを言ってくださいました。だから、私は困ることはない。先生というのは神知ですね、神様ですね。あらゆる智恵があり、それをもたらしてくれます。そういうエネルギー場というか、知の体系を使うそういう技。久久能智(くくぬち)と言っていますが、膨大な全ての知の体系があるから、何でも欲しいと思うものは取ってくればいい。そういうことがあるということは、どこか片隅に入れておいて頂ければと思います。

 

久子先生

私は後ろでいつもあげさせて頂いていますが、御修行をしていた時は、ずっと中に入る時に火を打って、今日は何の神様が出てくるのかな、私の知識がこうだからこの神様を迎えようなどと、自分の欲を持って入るのではなく、無になって何も考えずにお祓いをあげる。今日やることは何かなということは、ふいに浮かんでくることだから、この神様を迎えようなどと自分の我を出さないで、澄んだ水のようになってお祓いをあげると、ふと思うは神心を感じると思うんですね。欲を出さない、自分で決めつけないということですね。

 

【七沢代表】

それはだいぶ悟りを掴んだ人の方法だから、みんなは大変ですね(笑)。だから、みんなはゴチャゴチャとあって、祓って切っていくんですね。お祓いで切ればいい。バラバラにして無になればいい。悟りを相当開いた人の話ですね。それはその通りです。

 

【久子先生】

中に入る時は、全部自分の知識を捨てていかないといけないですね。

 

七沢代表】

火打ち石を打つ前に、頭の中にゴチャゴチャあるものを外に置いて、さらに、火を打って入るということを先生は仰っていましたね。

ありがとうございました。

本日もどうぞよろしくお願いいたします。