0063話:2017年02月17日

◇お祓いは名人芸

お祓いというのは音楽ではないんですよね。だから、良い音楽ということはないんですけれども・・・。悟りというか、名人芸から見たら、日本のオペラ歌手の方が、感極まって、オペラを最初歌うんですね。自分の感情が感極まらないようになるまで、何度でも練習するそうです。名人たちはオペラの言葉に感動というか、役になりきることが出来るんですね。主人公というか、あるいは配役に対して、最高の情緒を作れるんですけれど、それをそのまま出していくというのでは、結局、客観視ですね、自己と他者の。自分の中で配役を客観視できないと駄目なんだということだと思うんですね。自分の中で、自己と他者をやることが名人ということですね。

名人になった先が、このお祓いですね。言ってみれば、お祓いというのは、はじめから名人芸なんですね。毎回あげる度に、悟りが含まれているということもあると昨日言いましたが、名人芸なんですね。それはなぜかというと、言葉というものを全て一旦解体できるのが大祓ですね。そこまで用意された元の言葉というか・・・。

◇感情を込めずにあげて解体する

僕は最初にお祓いをあげた時、先生は感情がお祓いの中に入ったら駄目だということを言っていました。本当に罪が水で流されるように、感情を込めて言うから、感情というものが極まってくると、感情が出現してくるんですけれども・・・。ということは逆に、すごい悪い言葉が書いてあるでしょ、大祓にね。そんな言葉は言えないという人もいます。神道に造詣の深い人でも、そのフレーズを汚いものと感じて、あげないこともあります。母と子と犯しとか、獣を犯しとか、あの言葉の意味にみんな引っかかっちゃうんですね。いわゆる、一番悪い言葉と捉えるんですね。それに引っかかってしまう。だから、日本の新宗教などの団体では、大祓のその部分を江戸時代に消しちゃったんですね。それはいささか、短慮だと思います。その想いが解体できないからですよ。意味がまだ張り付いているということですね。意味と繋がらないように解体出来るのが、唯一言霊をもつ日本語なんですね。バラバラに出来る。父韻と母音とにバラバラに出来る。

そういうものが情緒の世界というか、ある面ではみんな均一な幅で、同じ音階であげるというところが所謂、一つの、私が機械的に、システム的にやろうとしたということで、コンピューターで作曲するということにしかならなかったんですが・・・。ボーカロイドがそうですね。誰かの音が大きくなっても、小さくなっても駄目なんですね。30、40年も色々なあげ方を悩みながら、色々と試してきました。どうもそういうところで、機械的な面でもありますが、それがある面では平均化、均一化の弊害になりかねない。最初からみんなそういう悟ったようなというか・・・。それも早い方が良いかなというのが、システム学習にするメリットなのかもしれません。

だから、たぶん演歌では、感情でもってポロポロと涙を流すという歌い方が良いと思っている人が多いですが、でも、駄目でしょ。賞をもらった時に、泣きながら歌えないですね(笑)。感情を込めてということが良いように思っているところがありますね。それが今日の話の肝要なところかなと感じたんですけれどもね。誰かが大きい声や強い声ということではない。その時の一定でやると解体しやすいということがあります。

日本語のフトマニに戻って、そしてそれをまた自分の生き様に変えていくという変換をしなければいけないんで、大変なんですね。それは必ず出来るので、またやりたいと思います。今日はありがとうございました。