0064話:2017年02月21日

昨日からいらっしゃっているN君、一言どうぞ。

●Nさん

はじめましてNと申します。熊本県から引っ越してまいりました。研究所関係はワープ2期生で知って、それから白川やロゴスタディを学んでいます。昨日、Tさんに心構えをお聞きしました。君は社会人経験があまりないんだから、しっかり働くつもりでいて下さい、ということを言われました。新鮮な気持ちを忘れずに、慢心しないように仕事していきたいと思います。

 

【七沢代表】

今日はSさんにはじめて来てもらいました。時々、こちらの面倒も見てもらうことになりました。S君の朝のお祓は速度が早いので、みんなは速度がゆっくりなので丁度良いかなと思いました。何か一言どうぞ。

●Sさん

Sです(笑)。お祓いをこちらに来てから、祝殿ができる前は、母屋の御神殿で毎日お祓いを朝させて頂いてから仕事をしていました。僕も何も知らないでゼロからやってきました。声に出すことによって、色々と言ってもらえる。来た頃、先生と一緒にやっていて、お祓いはこういう感じでやってというようなルールというか、最低限のものがあるわけですね。自分が声を出していかないと、相手にも分かってもらえないし、指摘もしてもらえないわけですね。どんどん声を出して、最初は当然、僕も覚えていなかったですが、間違えても、どんどん声を出してやってきました。それで何となく今のお祓いが自分のやり方になってきました。

私もこちらに来て5年が経ちました。日々、変化していくと思うし、自分のお祓いのやり方や声の出し方がですね。声を出していないと、自分でも客観的にわからないし、相手にも分かってもらえないわけですね。コミュニケーションと同じですね。声を出して言わないと、それに対してレスポンスをしてもらえないし、気づいてもらえない。最低限、それはやった方が、僕は早く白川のお祓いだったり、白川の神というか、そこに近づけるというか、そこを掴むというか、そこにいけるのではないかなと思います。決まったことを毎日、声に出しているだけで、新しい言葉を言っているわけではないので、そんなに難しいことではないなと僕は思います。なので、どんどん声に出して、思ったこととか、気付いたことを声に出して、人に話してコミュニケーションするのと同じような感じで、お祓いも声に出していくと良いかなと思います。僕は声に出してそのようにやっています。間違えても良いので、どんどん声に出して、自分の表現というか、今その時の声を出して、自分を客観視して、そして周りの人達から何かを言ってもらうというのがすごく僕は大切だと思います。

先生もコミュニケーションプラットフォームということでやっているというのはそういうところにもあると思います。その基本として、白川のそういうところを感じながら、普段の仕事もやると良いのかなと思います。またお邪魔させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

【七沢代表】

何か言いたいことはありますか。

●Aさん

昨日、Nigi神話を読んでいたのですが、今この瞬間に声を出すということと、父韻と母音で太陽系と関係があって、それが呼応しているという感覚を持ちながら、宇宙と自然と呼応しながら自分が決めるということを、そこに創造の源があるというようなことを今日は感じたお祓いでした。ありがとうございました。

【七沢代表】

惑星の振動と「アイウエオ」の相関関係が、どこまで科学的に証明されるかは、まだ先の話だと思うのですが、その前に人文科学や社会科学で見ると、人間の科学だから、一番進んだものが言語学というかね。言語学の先に言霊というものがあると思いますが・・・。それも結局は秘密とされてきました。言霊は日本語の中にしかないから、これから言霊というものがどう証明されるのか、あるかどうかというのは、全くこれも人文科学では、先の先のような話となっています。その間にあるのが言語学ですね。

私は言語学者である奈良毅先生から学びました。それがコンピューターの研究の始まりでもありました。一番進んだ人文科学は、言語学だと思います。言語学の中ではしっかりとした科学となっています。みんなが常識となるというところが、だから絶えず科学では進んでいるのだけれども、そこが丁度、我々の思考実験の中身としてハッキリしてきたというかですね。

要するに、我々が布斗麻邇(フトマニ)とか、布留部(フルベ)とか、鎮霊(チンレイ)という、白川の一番古い伝承というか、三種、二種、一種というような世界のことが、実は証明というか、現代の言語学の中でいよいよそういうものが証明されていく過程が始まったのではないのか、という風に僕は考えています。脳科学でも意識の問題や脳波でもそうだけれども、意志もそうだけれども、結局は言語というものが深い関わりがあって出来るわけだけれども。

元の言語というようなものが言霊というかね。それは単音でも意味がある。昔だったら、言語学では「あ」は明るいの「あ」というようなね。現象とか、情緒とかを捉えていく。一音一義という江戸時代からの捉え方があるんだけれども、そういうものがハッキリとしてくる。ハッキリしてくるということは、そういう階層というか、テキストとして、階層がハッキリと掴める時に今、来ています。それはもちろん哲学でもそうだけれども、そういうものが我々の言霊や、白川をやるにあたっての一番の科学というか、証明方法だと思います。それがようやく見えてきた。これからみんなが学んでいく上で、その一つ一つの段階が納得できるようなものになっていくのではないか。

これまでは、直感という能力でもって、そういうものを掴もうとしてきたけれども、それだけではなくて、論理技術も含めたところで理解していける中身をいよいよ始められるということがあります。そういった意味では、非常に面白い時が来た。ここでやろうとしていることと科学が一致してくるというかですね。その上で、次の次くらいで言霊の中身ですね、白川の神というような中身を掴むということが、具体的な視野にあがってくるというかですね。僕は決して信ずれば良いというような、そういうものだけを使う方法は取らないということですね。

我々は、最先端の物理学でも、科学でも、例えば放射線物理学でも、我々が話すとヴィソツキー博士は真剣に耳を傾けて聞いて下さるというレベルなんですね。今回のNigi神話という風に言ったけれども、ああいう風なものを専門家でない者が2年くらいかかっていますけれども、ああいうものを書けるというのはそれなりの最先端の学びをしているということで、システムにしていくのはこれからの話です。

コンピューターのシステムを我々は30年前からやっていますが、その中身はまだまだです。論理構造だけではなくて、一番効果のある言霊としてソフトウェアが作動していく。間違っていなかったということを今は感じているような状態であって、でもその中身をこれからいよいよみんなにソフトとしても、ハードはこれから進化していくので、我々だけではない人たちが関わると思うけれども、ソフトウェアだけは、おいそれと放さないでいようと思っています。それは役割として、言霊というものの一番の肝のところを世界に出していく、それがロゴストロン株式会社であり、七沢研究所であるわけですけれども。やっていることはソフトウェアの開発であります。

みんなそれぞれの仕事を学んだら、それだけのプロフェッショナルになるということではなくて、あらゆることを経験してもらおうと思っています。俺はこれだけをやっていればいいということは、だいたい3年ぐらいで、また変わるかもしれません。その時はまた自由にやって頂くということにもなろうかと思います。みんなが白川をやっているから任せてしまえばいいとか、言霊を任せてしまえばいいとかいうことはあり得ないわけですね。柔らかな精神というか、意識進化の一番の肝要な部分というのは、融通無碍、フレキシビリティを持った意識というもの、あるいは情緒もそうだし、そういうものが一番進化する為の肝心なところだということですね。

ですから、そういう融通無碍というか、自分自身とはこうである、というものはなるべく早めに掴んじゃうというかね。それは一つの経験というか、いわゆる悟りのようなものだから、これで充分とか、これを一生やっていくんだと思った時、一つが出来たという時であって、それが3年でも、2年でも、1年でも、あるいは1ヶ月でも良いわけです。そういうものを掴むということが、この時代の意識進化というものを目指すとすると、それが肝要なところだと思います。ですから、その辺の時間というものの捉え方は難しいと思います。

Nさんみたいに全然社会経験がないけれども、社会はこのようなものかと1ヶ月で感じてもいいし、3年でもいい、そういうことですね。柔らかな意識が、その人の意識進化というか、人類が今必要としている経験だと思います。あまりとらわれないで生きるということを知ってほしいと思います。

僕も今まで生きてきて、定年が55歳、60歳、65歳など色々とありますが、何回も定年を迎えているわけですね。また今年も迎えています。その人の命運ということもあると思いますが、年をとっても働かないといけない過酷な人生かもしれませんが(笑)。その中でもフレキシビリティを失わない。みなさん若いわけだから、融通無碍ということ、頑なにならないということ、こうだと決めつけないで生きるということで、あらゆる可能性が拡がるということがある。それがもし神から宇宙と人間が創られたとするならば、きっとそういう進化というものが無限に可能で、神というものは創造の元ですから、無限に進化していくことが可能だというように思っているわけですね。人間の進化というものが起こるんだということですね。進化というDNAを体的にも、精神遺伝子にしても持っているから可能だということだと思います。人類が考えたことが実現できるということが、端的に言うと、もちろん途中は妄想やパラノイアというような、人格的な障害に捉えられたりするかもしれないし、またそういう精神の分裂というように捉えられる場合もあるかもしれませんが、それはその時であって、実際はそういうものの進化というものをやっていけるだけのDNAというものを持っているということの方に私は与していると思っています。

ですから進化をするというか、仏教的に見れば、どんな人も唯一の存在だという「しゃべつ」に繋がっているところもありますが、神道の一人ひとりが神だというところから見れば、その特徴の神の働きがあるということになるんだけれども、それは唯一無二な働きであり、そういう存在に向かって進化するという働きをですね、DNAを持っているとすれば同じだと思いますので、そういう観点から見ると、我々が一緒に学んでいく中では、一人ひとりの役割があろうかと思います。その前提に立つのは、どんな場合でもそのところで掴んだと思ったら、それはまた次の段階にいくという時の一つのキッカケになるということですね。それが簡単な悟りから、だんだん複雑な悟りになるけれども、そういうことも含めて学んでいくと。その辺の内容をテキストとして、みんなに伝えられるようなところまで今、来ています。今、いい時代にきているのではないかなと思います。

どうもありがとうございました。