0013話:2016年12月08日

◇清め、許す、ということ

我々は、こうやって、今日お祓いをあげております。お祓いの一番の極意は、清め、許すということ。今、それをロゴストロンでもやろうということになるわけですが、機械は基本的には一〇〇%でないと。完結していないといけない。誤りがあってはいけないということになるのですが・・・。誤りがあってはいけないということでは、人類はある面では誤りの連続、試行錯誤の連続であるわけです。そうやって、我々は試行錯誤しながら生きているわけです。たった一つ、そこを越えられる道を創っていただいたのは、宗教もやっていますけれども、結局は、許しと清めるということだと思います。それは、このお祓いの一番の基本。祓いを見ると、言霊によって祓われるということができるのですが・・・。そのことを我々は、毎日大祓を通して、清めと許しを自分自身が毎日宣言しているようなものです。

これはデジタルとアナログという、この僅か七十〜八十年の世界ということではなくて、もちろん自然の法則を掴んだものをデジタルといえばデジタルですけれども、こういう時代の中で、機械の中に置き換えていくということをやっている。人類の過ちの歴史の中で、苦難の中で、悲しみの中で、そうやってきた中身を一遍に解決させることはなかなかできることではありません。我々は、唯一残された祓い、大祓というものの中で、清めと許しをですね、消していただくという神の働きというか、ご加護というか、そういうものをひとつのとして生きるというかですね・・・。

傲慢にならないために一番大事なところではないかなと思います。その想いを毎回毎回、表明するというかですね。

◇罪(つみ)・咎(とが)・祟(たたり)

罪・咎・祟といいますが、我々は自分自身ができるという範囲の中で、人ができないとそれを咎めるということをしますけれども・・・。まぁ、できなくても咎めるということをすることもあるかもしれませんが()。要するに、咎めるということを罪としているわけですね。完璧でありたいという想いは大事なのですけれども、そこは我々の閉じられた世界での、人工知能の中では機械は咎めないわけですね。人間は咎めるということをしている。そのことを許すということをですね。そこを消していく、清めていくということが可能なシステムを、我々は持っています。それを普段から使うことを許されている。非常に素晴らしい文化ではないかと思う。そのことによって、みんなが許し合いながら、認め合いながらコミュニケーションをすると。

◇言向け和す(ことむけやはす)

昨日もいいましたが、死者と生者とのコミュニケーションの中にあるものは、死者の完璧でなかったということの、例えば、長く生きられなかったというようなこと、そういう意味での死者の嘆きがあるわけですね。そんなことないよ、というように、消すというかですね、柔らかくお慰めする。そういう精神というものが我々の中の大事なところ、部分なのではないかと思っています。そのことができるようになると、人類が苦しんで亡くなってきたという想いを、一つひとつ消して差し上げるというかですね。今の段階でもって、お慰めするということができると、生者と死者、生者と生者、人と人というようなコミュニケーションが上手くいって、その結果、豊かな神という概念をお迎えして、自分がその気持ちになれるということが本来の世界であると。それが全知全能といいますかね。人類が能力をフルに発揮するといって、神が全知全能になっていくということを可能にするということであります。

人類の全ての過ちをなくすというような、デジタルの世界に踏み込んだときに、我々は咎めないで、それをより良いものに変えていくという技があるわけですから、それを使って生きるということをすると、そこに神を迎えるということになります。ということを、ひとつ肝に銘じていただくと良いかと思います。全知の神と人間が、神の創造の働きを一つ成し遂げたときに、まったき神が自分自身に宿ってくるのを感じることになると思います。そんなことを今日は感じましたので、自分の反省も含めて皆さんにもお伝えしました。

本日もよろしくお願いいたします。