0015話:2016年12月09日

今日はまず皆様方に発表したいことがあります。白川学館祝殿宮司を斉藤さんにお願いすることになりました。斉藤さんには、この祝殿が建立した時に、祭祀をしていただいて、その時に決めていたことではあるのですが・・・。二〇一二年八月十一日の祝殿竣工式の時は斉藤さんに祭主をお願いしまして、そこから祝殿がはじまりました。その時、私はできもしないのに、斉藤さんに色々と要求をいっぱいいって、プロ中のプロに失礼なことをしてしまいました。東神社から移籍、メジャーとはいいませんが・・・。

僕は、斉藤さんを四年間口説きまくっていたのです。斉藤さんに祝殿宮司をしていただくことによって、いよいよ白川学館の祭祀は充実していくことになります。

やはり公家さんというのは、学頭に当たる人とか、白川家を守る、あの白川の紋もそうなんですが、白川家はカキツバタかなんかですが・・・。白川家という独立した、今でいう一般社団法人白川学館ということで公の関わりになりますが、江戸時代は白川〝家〟学館でした。その時の御用のマークなんですね、このマークは。白川が守られてきたのは、学頭をはじめとして、その時代に能力があった人たちが、日本中から選ばれて、そして白川の御用をして、伝える役をされてきたからなんですね。そのような意味で、斉藤さんという能力者にお願いして、この白川を益々引っ張って行ってもらおう!ということでございます。

いよいよ念願叶って、本格的な祭祀を皆様と共にやっていただければ、こんな嬉しいことはないということで、今日はまずそのことを皆様方に発表し、そして斉藤さんを皆様に承認していただきたいと思っております。今、斉藤さんに挨拶をしていただきたいと思います。斉藤さん宜しくお願いいたします。

◇斉藤亘弘宮司より

どうも皆さま、改めましてこんにちは。本日は祭祀にお越しいただきありがとうございました。すでに七沢代表からお聞きしましたように、いよいよこれから大きな時代の転換期を迎える中で、臨時祭祀も含めた、とても重要な意義のある祭祀がこれから実際に行われていかなければならない、ということであります。

そのような状況の時に、私は自分自身の人生においても、一つひとつ明快に紐解いていただいた感謝の気持ちもあるのですが、このようなタイミングで、一般社団法人白川学館祝殿宮司として任命を賜りました。改めまして皆様どうぞ宜しくお願い申し上げます。

実際、私の関係は、いわゆる神社でございますが、特に戦後、宗教法人という枠の中で携わってきた経験もございます。そしてそのような意味では、現場において、自分の感情も伴いながら色々と活動してきました。ただ、今、これだけ混乱して、彷徨(さまよ)っているような中、混迷を極めているような世の中で、日本においての宗教という位置付け、日本の今の体制の中でも、私の体験の中で感じていることは、既存の宗教界において一人ひとりと実際に面と向かって交流させていただきますと、お人柄の良い方々であることが多いわけですね。しかし、ひとたび、宗教独特の集合心理からの集団的な行動となると感情中心の言動が行き交う場が形成されてしまう。それでも、その方々一人ひとりが人生の中の納得の中で、人生を生きておられるという現状。

私はそのような環境の中で、特に東日本大震災という非日常を機に、そこを境にしてハッキリしたことは、宗教の世界を階層的に見るということに、自分自身の今までの実人生と合わせて気付かされました。そのような意味では、二項対立的に宗教を否定することではなくて、宗教という階層がこれからハッキリしてくるということだと思います。そのような中で、お互いに認め合い、納得しながら、意識進化が自ずとなされて、一人ひとりが神と繋がる、いわゆるイソノミヤの実現がなされていくのだと思います。そのような方向に向かっていくのだと思います。

白川学館には全てがあって、そして、最古のものが、最新という形であるという、つまり普遍性があるという確信の中で、今回、私が任命を受けたことを使命として、改めて自覚させていただきながら、そして宗教という階層を明確に自覚しながら日々の祓いと鎮魂を通じて、そして皆様と共に、お一人おひとりが神と結ばれて、公にイソノミヤを実現していきたいと思っております。

改めまして、どうか宜しくお願い申し上げます。

ありがとうございました。

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斉藤さんは、このタイプというか、堂々たる、押し出しもしっかりしておりますから、バンバン押しまくっていただこうと思っております。私は痩せる一方ですけれども(笑)。

本当に宜しくお願いいたします。

◇宗教的な何か

最近は、毎朝、ここでお祓いさせていただいて、若干ですがお時間をいただいて話させていただいておりますから、そんなに話すこともありませんが・・・。

先ほど、斉藤さんもいっておられましたが、近年、宗教というものを、なにか悪いもののようにされてしまったわけですね。日本においては、もちろんスピリチュアルというものも否定するようなことも出てきました。目に見えないもの、心を強くするもの、というのは、やはり支配にとって何か不都合になる場合があるのでは・・・。

それがオウム真理教以来の日本における宗教に対する態度の変化。私も宗教学をやっておりましたから、宗教学者がオウム真理教の虜になったようにされたということで、徹底的に叩かれたということがありました。私はその時「あぁ、宗教学はもうダメなんだ」と思いました。

学問というのは本来科学的であって、そんなことでどうこうなるわけではないはずなのですが、流行り廃りではないですが、流行というか、宗教自体が勝手な科学の取り入れ方をして、カルトになっていったということ。そしてそれが否定されるということがあって、そのことは国の内外で調べられたようです。

奈良先生、あるいはそれ以降の政治に関わる人たちに、私たちは早くからオウム真理教の問題をハッキリと指摘していました。同時に日本から宗教的な真意というか、宗教をする、宗教的な心を持つ、ということが、まるで悪であるかのような形で動いていってきた歴史があるわけですね。さかのぼれば、戦後のGHQによる神道指令、言霊ということも禁止されるような方向に動いたということが確かにあります。もともと、国の機関としてあった神道(神社庁)というものが、教団を管轄する宗教法人法の中に入っていくということになったわけですね。ですから本来は、国の中での儀式、一つの生き方というかですね、それは憲法とも連動しながら、培われてきた歴史でもあったわけですが。

もちろん、宗教戦争的な意味からいえば、四百五十年前、ある面ではキリスト教が入るための一つの前提のようなものになって、他の宗教的なものの信仰は全て叩き出されるというようなことは、キリスト教的な神学の中にあります。それはバルトとか、近代でもありました。神学上の問題もありましょうけれども、信教の自由ということで・・・。

日本は、この百五十年の間、富国強兵を目指して、一種の科学というものを純粋に取り入れるという「科学教」のようなものが一つの方向としてあったことは事実ですね。信仰というものが、極端な場合には、狂信になるような中身があります。それは、問題点が生ずることも、あるいは科学的ではないということもあります。ですから、我々はそのようなことがないように、ということで細心の注意をはらって、ある面では純粋な論理、あるいは科学的な実証を前提にしながら、白川を捉えることをしてきたわけですね。

しかし、世間の風潮のようなもの、見えない空気のようなものが働いて、宗教というものは問題があるものだということで、それが宗教的なものに絡んでいれば、それは「悪いこと」「問題である」という受け止め方をされてきました。それが誤ったことをしているように、言い募る事態は、日本の中での風潮になっているわけですね。

◇祈り、信仰のエネルギー

しかしですね、信仰という心のエネルギー階層は、事実にあるものであって、それは使い方の問題です。それをいたずらに「悪」のようにしてしまうということは、大きなエネルギー帯を使えなくする、すなわち損失である、と私は思います。人類が意識進化をしていく上での損害なんだと思います。

実際、今のアメリカなんかにある代替医療の中では、自己の祈りや他者からの祈りというのは、代替医療の中での治癒効果が六割ぐらいになっております。今の医学の中だけではなく、心理学も含めて、信仰や祈りに効果があるといった論文は、三千以上、世界にはあるわけですね。それは、学問的には日本ではほとんど内見されていないわけですね。なぜなら、祈りということ自体が悪いことに捉えられているからですね。

これまで、我々もそのような風潮を気にしたというわけではないですが、信仰という形をとったものは横に置いて、我々はゼロリセットするような意味合いでの祓いという受け止め方をしてきたわけですね。そうはいっても、信じるという力のエネルギー場、あるいは働きは、もの凄く大きなものがあるわけですね。

◇科学的な根拠、証明とは

今更そんなことわかっているということになりましょうが・・・。我々が行う祈りというもの、祓いというものの中身を、意識的にコンピュータや機械の中に入れて、発信することができるということが、今の段階においても十分な証明になっていると思っております。まだ、科学的な根拠、精緻な科学で解ける装置や測定器がないが故に、まだまだ十分な証明とはいえないところもありますが、経験知の中では、十分な証明ができたと思っております。

経験が科学か科学でないか、あるいは再現性という、純粋な科学からみて、どこまでが本当に証明したことになるのか・・・。今我々は見えないものを顕微鏡や電子顕微鏡という細かいもので見たり、細かい単位の物質の証明なんかもやっておりますが・・・。

基本的に、我々は目で見たものだけで証明しているわけではありません。論理的なもの、思考的なものも取り入れて証明しているわけですね。それは美術における、何が本当に「美」か、何が「芸術」かを問うたとき、やはりそれは人間の審美眼というか・・・、選ぶときは、審査員の方が、手を上げて賞を決めているわけですが・・・。基本的に審美眼なりが決めるわけであります。

一番遅れた科学の医学では、何件のうち何件あれば事実として証明できるかとなると、三〇%ぐらいですとそれは著効だとか・・・。どこからどこが科学か、科学じゃないとか、まだまだ十分な測定判定ができているわけではありません。その点を加味しても、科学というもの、自然科学、人文科学、社会科学という科学もありますが、我々の経験したことから感じた、そして納得した、そしてそれが確信に至ったということは、一つの自然科学の中の経験科学だといっても良いと思います。

範囲を少しだけ拡げて、十分に検証できないところは残しながらも、検証し、そして人類一人ひとりの人生に、健康に、そしてより良い社会に貢献する、ということができているのであれば、それは堂々と表明してもいいのでは・・・。みんなの害にならないということであれば、我々は自己の感性を主張したり、あるいはみんなの前で表現したり、そして聞いていただく、判断していただくということがあってもいいのではと思います。

◇祓いの世界を明確にしていく

我々は、「今日中に公開する」という「俊敏と公開」ということで、一つの生き方を示してまいりました。その理由は、人類の意識進化に少しでも役立つということがあるから、発表してまいりました。そのような中で一番感じていることは、お祓いにおいても、大きい声、小さい声ということにおいては、過去においてはそれを学ぶこともありましたが、結論としては、我々は音波という形でやる、そのまぁ様々な器具も開発して、アコースティックベッドは、スタンフォード大学の心理学の教授に研究をしていただいている最中ですが・・・。我々がお祓いをあげていて、そのお祓いがどのような効能があるのか?ということをいよいよ一つの実験体というか、この場、あるいは祓いというものを・・・。

先ほどの出雲の話ではありませんが、出雲の国の一番古い一族は、四九〇代を超えているわけですね。氷河をかき分けて日本に入ってきたという言い方をしている一族ですね。そのような中で培われてきた祓いというものは、本当に唸りのようなもの、それは地を這うような祓いであったと聞いております。

私は、なにも古ければいいというわけではありませんが、少なくとも長い間、祓い継がれてきた。この角切りの八角の机、お国体机ともいいますが、これは出雲の〈器の教え〉の伝承なんですね。これが天皇家、白川家の宝の一つなんですね。一番前に置いておりますが、まぁ〈器の教え〉は見えないところにあっては意味がないですね。見えるようにしているということは宝なんですね。出雲の祓いは四千年ぐらい正式に伝わってきている中身だと思っております。それは東アジアか、西アジアか、もともと日本にあったのかは、まだ詮索しませんが・・・。少なくとも祓いという音波が、ただ単純に効能があるというだけでは、とても終わらない世界というか。そのあたりをいよいよこれから我々が明確にしていくことが可能な時が来たと思っております。

◇心音が働き出す

本当に大きい声でも小さい声でもいいのですが、あがっているというか・・・。違いが大きければ大きいほど、ということは、和音やあるいは合唱というものでなくて結構です、と。これは高濱先生が、どんな音で、どんな響きで、ということを一度もいわれなかったことを、もう一度、鑑みてみますと、一人ひとりの音、音色の違いに全く違う音色を持っているわけですね。あるいは、今ここにおられる人達のそれは心の音ですから、様々な心をお持ちの、その一つひとつの心が今の祓いの中で働き出すというか・・・。それはコヒーレントというように、うまく合わなくても構わないのではないか。確かに、和音で美しいことが出ることもありますが、それはそれで構いません。どんな音色でもいい、そのときの調整は強弱ぐらいしかないですね。様々な音階でも構わないし、ただ一定にするということでのリズムというものはあろうかと思いますが・・・。そのエネルギーが、実は一番大きなエネルギーになるというような、みなさんバラバラでいながら、しかし一つにあがっているという状況ですね。それが、心地良いかどうか・・・、音楽取調べ所の話しですね。

明治のはじめに東京芸術大学の音楽科の前身が「音楽取調所」と聞いておりますが、大学の歴史を作る担当の方が牧野先生の奥様ですが、その方がいうには音楽取調所だ、と。それを聞いたときに腑に落ちたこともありました。せいぜい鐘を鳴らしてはじまりを知らせたのが、白川〝家〟学館の祓いのはじまりであったわけですね。そのようなあげ方を我々はやってみようと。

これまでにも様々な音楽大学の先生方に指導していただいたわけですが・・・。みんなバラバラで、最高の、この中にいる人たちが心地よく、全ての病がそこで消えるような、そして世界に喜びを拡げるような祓いをあげることができれば、それが一番いいのでは、と。

ですから、私が思うには、皆様一人ひとりが持っている心音を大事にすることに繋がる祓いになればいいのではと感じました。

◇認めて許す祓い

ですから、八百人であげようが、千人であげようが、そのようなところが基本にあるならば、それが一番素晴らしい祓いになるのではないだろうか・・・。大声であげてもいいし、聞こえないような声でもいいし、しかしそれを基本的には、どんなあげ方でも「許す」ということですね。西洋の音楽の中では、音痴は許されないということになろうかと思います。音痴が合唱に加わることがないということになります。そうではなくて、合唱という範囲に入らない中身ではありますが、みんなの心音を認めながら、共々心地良いという・・・。いってみれば、少しハードルを上げたことになるのかもしれませんが・・・。

これはきっと世界の民族が、様々な心音を持っていても、それを許し、認め、そして共に生きるという覚悟というか、それに繋がれば、今我々が目指す祓いも大いに役に立つのではと思っております。三十年四十年、様々な祓いの有り様を考えに考えあぐねて、そして、昨日今日で新たに皆様方にお伝えすることをさせていただきました。

お聞き苦しい点もあったかと思いますが、今日はありがとうございました。