0016話:2016年12月12日

◇祓いと造化の神

「とほかみえみため」にも色々な解釈がありますが、基本的には造化の神に関わることです。まぁ、今我々は、「別天水」なんていっていますが、ということで、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、それから、天之常立神、国之常立神、宇宙創造に関わる神、五神ですね。また、「とほかみえみため」というのは、というような意味もあるんですね。そこには、様々な意味がいっぱい詰まっているのですけれども・・・。

祓いというものは、全てを出しつくすという意志です。穢れを取るという意味はもちろんあるんですけれども。存在界は色々ありますが、そのはじめは、やっぱり創造ですね。天津神の世界の創造という意味では、天の創造ということを十六、十七番目の神様、イザナギ・イザナミの神様からはじまって、その天における穢れといいますか、それを祓いますということで始めるわけですね。天の祓いが済むと、今度は大祓ということで、大祓も創造ということで、地に対して降りてくるという意味合いをもって始めるわけですね。ニニギノミコトが降りてきて、三種の神器でもって、魔といいますか、荒ぶる神々を、清らかに変えていくということですね。世界がはじまって、単に水に流しますという意味合いだけではなく、最小単位にして、平安清明にして「まがつ」を消していくということですね。それが大祓で行われるわけです。それを我々は音にして、あるいは所作にして、大祓でもってやっているわけですね。

朝起きて、ここでお祓いをあげる。もちろん、一日の中では途中で色々あるかもしれませんし、辛いこともあるかもしれません。もしあれば、朝、それを未然に取りましょうということになるんですけれども。

◇意志エネルギーと創造

一つのエネルギーというものの、お祓いにおけるエネルギーの使い方、出し方というのは、もちろん意志エネルギーを発するということですね。はじめにお祓いをあげようという意志なのだけれども、お祓いの中身も一つの意志エネルギーというものが発現しやすいような構造になっています。お祓いというのは一つの創造というかですね、宇宙の循環といいますか、綺麗で精緻な循環になっているのではないかと思っています。

ですから、創造という、我々はそういう意志エネルギーによって、意志がエネルギーを動かしていくという意味合いの、意志というのがあるわけですから。それが創造の意志とエネルギーと自己の意志を重ね合わせて出すことによってですね、物・事を生む、その法則の言霊ということを我々は学んでいるわけですね。ですから、言霊やお祓いの中にある創造ということの意志というか、そういうものの上に、言霊という見取図がのっているということでもあるわけです。もちろん、創造ということがどこまで拡がっていくか、フトマニという創造概念をどこまで乗りきり、共に展開できるか、ということはなかなか難しいことでもあるんだと思うのですけれども。

◇小さなエネルギーが大きな働きに

普通は、ものすごい強大なエネルギーによって、何か物事を変えていくというか、スイスにあるCERNという実験施設で、全周二十七キロメートルの円形加速器を使って陽子と陽子をぶつけるというような、それこそ地球が歪むくらいの巨大な電気エネルギーを使ってですね、高エネルギー物理学の研究を行っている・・・。我々が目指しているのは、そういう大掛かりなことではなくて、少ないエネルギーで変えられないかということ。例えば、それは熱エネルギーというものを使わなければ、常温でということ。まぁ、常温の中でも一番使いやすいという意味では必ず水を使うわけですけれども。その水を使ってやっていくというようなことを、我々は今、それを別天水ということで、創ってやろうとしております。その中に意志エネルギーを、意志というエネルギー、あるいは、意志という情報を入れるということがですね、大きな働き、実現力になるということですね。

水は、人にとって一番大事な栄養ということだけではなくて、水の中に入れた情報が体の中で様々な良い働きをするという情報ですから、それが大きな力になっていくわけですね。

◇創造の意志に近づく

ですから、我々が言わんとしていることは、神の創造意志に自己意志を重ね合わせて、被造物というか、存在しているものを考えるときに、神の創造と同じような出来事が起こるということはやはりそれも創造意志なんですね。自己の意志というものが、神の意志に非常に近い存在というか、意識を神の創造の意志のレベルにもっていって、それから物事を展開していく。もちろん、今の科学の中では十分な証明というものがまだできていませんが、我々がそのことを一つひとつ実証していくということが大事なところではないかと思います。その実証方法が、今はまだ体感の中でしか証明できないところではあるかもしれませんが・・・。

◇創造の中で掴むもの

もちろん、それが人に影響するというような意味での、火というものを使った、そういうものができましたけれども、やはりこれも再現性というか、あるいは、機会均等性というか、同じようにやることがなかなかできないから、証明できないということになっているわけですね。そういうこともありますけれども、これは独りよがりではなくて、自分自身が創造という中で掴んだものを確認して、自分の生きる決意というか、あるいは、創造意志を確実に自分の意志にしていく、それを確信して生きるということですけれども。確信して生きるということができれば、上手に力強く生きるということになるんですね。

我々が毎日のお祓いの中で行っていること、自分自身が素直に創造ということができるということは、自己自身の考えというか、思考というものが正しく、繋がっていくということになるんですけれども。

◇創造・維持・破壊(帰趨)

そこにいくために、何か非常にブレーキになるというかですね。意志を阻害する要因というものが、何か外にあると捉えるときのことですね。自己自身が言葉ではないのですけれども、創造して、一度壊れてまた元に戻ってくるということですね。その言霊の法則通りに捉えていれば、別に問題ないのですが、どこかで壊れてしまう、破壊されてしまうということになると、創造のところは弱くなるんですね、一神教なんかでも。有から有というところでの段階で、あとは無いということで、怖がるわけですね。ある面では無というものを怖がる。霊に取り憑かれているのは一神教なんですね。無自体が、一番エネルギーを持っている場である。そういう意味のゼロポイントフィールドというか、我々は機械の中に組み込んで、そういうことを実験しているんですね。

我々は創造の流れと、それを一旦破壊が起こって、また帰趨する。戻ってくるんですね。

宇宙創造が全て終わって戻ってくる。それはある面では、その瞬間にまた、崩壊して無に戻ってくる。そのことを無時間的に見るというのは、無を体感するということ。

◇一貫した循環

無にいく直前で止めおき、点にするという意味が鎮魂法であったりするわけですね。白川と言霊と鎮魂というものを一体にしていますが、フトマニとしての宇宙創造を展開して、維持して、そしてそれがまた戻ってくる。我々が宇宙を壊すわけではないですけれども、一旦戻ってきていく。その流れが、大祓の祓いであり、「一二三」であり、「とほかみえみため」であるという。そういう一貫した循環といいますか、それが大きければ創造系と帰趨系のそういうものの両方をエネルギー場として、脳内に持っていてですね。時間というものと、空間というものの両方を脳内に保持しながら、無とマイナス無限大&プラス無限大の間を行き交うというかですね。そのエネルギー場の丁度出発点が、鎮魂法の黒曜石の印である天之御中主神といっているわけです。もちろん、それがはじまるときのイデアとしての五十音というか、フトマニという世界があるんですけれども。

◇宇宙循環という基本原理

瞬間に創造意志として出てくるということが、はじめに成りませる神としての天之御中主神だと思うんですよね。それを人に当てはめると、自分自身のど真ん中からはじまる。そういう働きというようなことになる。ですから、我々が日々の鎮魂、祓い、言霊というようなものを自覚しながらやっていくことで現実化しやすい。宇宙創造というものから実現する一つのシステムというか、そういう意味での言霊が実現するということがですね、宇宙の循環であるわけですけれども、その中に、自分自身が絶えず、自分自身を主体として置いてですね、瞬間瞬間の中に中今の中で宇宙創造をして、そしてまた戻ってくるということを繰り返しているということを自覚していくと、物と事が現実化するということになる。

物と事が現実化するということは、物と事が現実のエネルギー場として動き出すということなんですね。それで「はじめになりませる」ということがいえるんですね。宇宙循環という大きな基本原理をもった上で、我々は生きるということをしていけばいいんだと。

◇音も宇宙創造

もちろん、音もそうですね。音が個々の中で響くということは、宇宙創造を促している「ふるべ」の一部ということですね。促す音色というように、今日、私はそのように聞きましたけれどもね。冬になって空気がだいぶ乾燥していますから、響きが良くなっていますけれども、そういう違いで感じたのかもしれません。そういう違い、響きがいいんですけれども、その音の響きというのがグルグル回転するんですけれども、ここでは。その音が宇宙創造という意味で感じさせていただきました。みんなの祓い音が生命螺旋を描きながら、皆さん一人ひとりが出している言葉というのが、非常に良い回転運動を起こして、巡り出すというようなことを感じました。

たぶん音のゆらぎが、光もそうですが、祝殿では光も反射すると、太陽の光が虹色に輝いているんですね。朝十時前後くらいですね、こちらから見ると、全部が光っているんですね。それはそういう光の屈折というものが不思議な場面を創っていく。そういう創造のはじまりの部分を創っていくというかですね。

◇祓いの響きでより良く生きる

我々がこの祝殿の中で、その回転を創っていく。そういう生命螺旋を感じました。白川では、その生命螺旋を実感するが白川家を通して残っているわけです。これはもちろん、皆さんにもいずれ実感してもらわないといけないということがあるんですけれども。そういうほとんど即無の状態に白川の「おみち」というものがあるんですね。我々がその中身をやりながら、仕事もやりながら、ということで非常に大変なところもあるんですが、そういう部分を残して、大学四年間で学べるような場をこれからの子どもたちにつくっていきたいなと思っています。

これは光で、音で、大きな光波、音波ということでありますけれども、そういうことでやっていく。響きで、我々がより良く生きていくというかですね。見えにくいですけれども、それがお祓いでありますね。

一日どうぞよろしくお願いいたします。