0019話:2016年12月15日

日蓮上人の誓願 in お伊勢さん

そろそろ年末の伊勢参りの季節になりました。皆さんの中で、伊勢に行ったり、行かない方もいらっしゃるかもしれませんが。やはり、西行さんのように伊勢にお参りして、ただ涙が流れるというような歌を歌ったりと・・・。

もちろん、太安万侶も行っていたようですけれどもね。伊勢には、たくさんの方がお参りに行かれています。日蓮上人さんなんかも、お参りに行ってですね、十二年間、天台宗の比叡山延暦寺で御修行をされた後、伊勢に最初にお参りに行って、その時の誓願があります。三つの誓願をしました。

我、日本の柱とならん(私は日本国を支える柱になろう)

我、日本の眼目とならん(私は日本国民に正しい情報を伝える眼になろう)

我、日本の大船とならん(私は日本国を正しい方向へ導く船になろう)

このように言っています。

やはり丁度、この後、蒙古の襲来のときですね。そのことを早く気付いて、鎌倉幕府に注意をしていたということがありました。あまりしつこく言うから、危うく首を斬られそうになったが、雷が鳴って助かったという話があります。もちろん、伊勢は風日祈宮(かざひのみのみや)で、神風が吹いたということがあるんですね。そのことは、三・一一には神風が吹いたと思っているんですけれども・・・。

このことは神官にも伝えたのですが、要するに、丁度、鎌倉時代の当時は執権ですからね、北条家がやっていたのですけれども。そのときに攻めてきたわけですね。立正安国論というかですね、国を守るための色んな方策を言っているわけですね。それは時期を得たものだと思うんですけれども・・・。なかなか政権に聞き入れられなくて、身延の方でもって、久遠寺を作って修行される人たちを全国から集めたんですね。

要するに、国が大変なことになるときに、守ろうという働きが日本は出てくるわけですね。もちろん、日蓮宗でやろうとした時期も明治以降もあったんですね。戦争の時もそういう働きが起こったことがあったんですね。神社の神道だけではなくて。二枚看板といったらおかしいのですが、仏教と神道というようなものはですね、そういうものが必ず出てくるんですね。日蓮宗ということなんですけれども。

ですから、宮沢賢治は、国柱会というものに入っていて、それは日蓮宗の教えなんですね、そういうことがあって、戦中も戦後は、新宗教運動という形で出てくるわけですね。それは、立正佼成会や創価学会の隆盛ですね。戦後のある面では、日本を信仰的に支えたものなんですね。皆さんは、新宗教運動というと違和感を感じるかもしれませんけれども。実はそれは戦後の日本を支えたものなんですね。色々と批判もあるかもしれませんが、どうしてもみんなが経済的にも豊かになろうということの意味を含めた、そういう教えもとらないといけないから、そういう形をとったということもあるんですね。

◇先達のお経、そのまま読む

今、世界的に見ると、本来の教えというものはどういうものか、という原点に帰るということにおいては、必要なところはあろうかと思います。そのとき、その時代で、日本の場合、一生懸命生きようとした先達がいるわけですね。その先達たちの中身というのは、お経のように残っているんですね。お釈迦さんのお経だけではなく、様々な方のお経も残っていますけれども・・・。僕は日蓮さんの口でいわれたことの中身もちゃんと残っているんですね。それも一つのお経だと思うんですね。そういう神話とか、お経をどういうふうに読むかという読み方が、今の我々の一つの態度というかですね。

それはどういう読み方かというと、そのまま読むということだけなんです。時代により、科学や心の研究速度が違いますから、それをそのまま読むということをやるということが大事なところなんですね。ですから、我々が古事記をそのまま読む、ということをやるということなんですね。そうすると、その中に暗号のようなものもあるわけですけれども・・・。暗号にした歌も、百人一首とかそういうものもありますけれども・・・。必ずしもそれは暗号でもないわけですね。それを読んで心を打たれるというかですね。

◇自分のお経を背負って生きる

極端にいうと、みなさん一人ひとりがお経を背負ってですね、生きているようなそんなイメージですね。みんなの人生それぞれがお経のようになっているのですね。それは中身がどうのこうのということではなく、すごい悟りがあるから、とかいうことではなくて、終生、それを背負ってですね、生きていくわけですね。それは自分で読み返すこともできるということでもあります。

だから、自分の心に書かれたこと、というものはそのまま読めばいいんですね。何回も書いてあることは、同じことが書いてあれば省略してよいかもしれませんが・・・。同じことを何回も繰り返して読むんだけれども、そんなときは、短くしても良いのだけれども、基本的には、みんなお経なんだと。それは素直に読めばいいんだ、そのまま読んで、自分の心を読む、頭の中を読む、人生を読む、ということをすると、あぁそうかという客観視が起こって、また新しい自分を見る観点ができるということなんですね。そこがポイントになります。立派な人のお経を読むということ、あるいは神話を読むということもそのまま読むことなんですね。

◇自分の日報で省みる

自分の今の気持ちをそのまま読むということが役立つことと同時に、自分自身の日記のようなものなんでしょうけれどもね。小笠原先生も自分の起こった出来事をつぶさに書いていました。四十年分くらいの日記が出てきましたけれどもね。そのままのものが残っているわけですね。小笠原先生の考えたことが残っていて、出てきているわけです。そういうものを自分の今の境地として歌うということで、短歌や俳句にして、そういうものをやると・・・。Kくんは毎日、日報の中で、日記のように、みんなに書いてくれていますけれども・・・。そういうことと同じように、みなさんがそれぞれ自分自身に一言、それが本来、自分の日報というかですね、会社の日報ではなくて、自分の日報をつけながら生きるということは、自己を省みる良い方法だと思います。そんなことを感じました。

たぶん日蓮さんの三大誓願というのが伊勢にあるんですね。それを今度、近くを通るときに、ご覧になったらいかがかなと思いました。

今日もどうぞよろしくお願いいたします。