0020話:2016年12月16日

大祓の中身は、歴史的に考えると、千年前の「延喜式」の中にあって、それ以前にまた宣命(せんみょう)がありました。宣命というのは神から天皇が受け取って、それを宮中の百官の方々に宣(の)べ伝えるということではじまっています。そのような歴史があります。

大祓の中身は、天津神であるニニギノミコトが、天照大神から三大神勅をいただいて、「あまくだし よさしまつりき」ということになるのだけれども・・・。そういう歴史を振り返って見ると、地球創造とか、現代では日本大陸ができてとか、そういう歴史があります。人類の何万年とか、何十万年とかの歴史で、一つの科学としての真実に近いところでやっているわけですけれども。

◇この時点でのお祓い

我々が毎日お祓いをあげるということの意味は、時間的に、歴史的にいうと、過去のものがずっと言い伝えられてきたということだけではありません。言い伝えられてきたことを、我々が今、発するということはどういうことかというと、今それが起こったという時間感覚の中で大祓をあげるということなんですね。ただ過去にこういうことがあって、それを過去形で捉えるということではないんですね。大祓というのは、今日のこの時点での甲府の祝殿の中で起こった出来事として、大祓をあげるということですね。そういう感覚であげていただくと、よりリアリティというか、真実というのか、そういうのが出てくるということですね。

ということはですね、我々の時間感覚というものが、中今ということを標榜(ひょうぼう)する中身が、瞬間、瞬間に・・・。ですから、大祓の前の身禊祓(みそぎはらひ)も天津神の八十七番目から九十七番目までの神様の名前をあげて、伊邪那岐命・伊邪那美命の創造の後の祓いをやっているわけですけれども・・・。

◇神の名を通じて祓う

そこには、高天原が創られる前、天地というものが定まる前の神話が出てくるわけですね。それを我々が祓いとして使うということは、今度はその神々の、それは時間空間を超えた中今の中で起こっている内容を神の名前を通じて祓うという構造ですね。それは非常に精緻に、底津海津見の神、底筒男の命、中津海津見の神、中筒男の命、上津玉積の神、上筒男の命と、そういう一種、天という、あるいは高天原という宇宙空間が拡がる前の段階の、イザナギ・イザナミの時に起こっている宇宙創造の時の祓いの方法があるわけですね。

ですから、大祓も二重、三重構造になっていますよね。高天原から降りてきて、大祓をするということ。祓いの内容が、川や海の水を使って祓うという中身もあるのですけれども・・・。

◇創造に関わる祓詞

「とほかみえみため」は、何かというと、創造というもののはじまりの十神といってもいいんですね。今、我々は別天津神、五神の水ということで今、自覚にのぼらせようとしていますけれど・・・。「とほかみえみため」というのは、造化の三神から五神そして、はじめから十神という形で、そういう神が「えみため」というかですね。存在が、神の創造に見合ったものであるように、という意味合いが、一神教を加味してみるとそういう中身がある。また、一二三は一音一音が五十神でありますから、神から一音一音をいただいたことで、人類が創造に関わることができるということです。

そういう意味で、この四つの祓いに凝縮された祓いというものを、本当に大切にというか、それがある面では、天壌無窮万世一系というかですね、続いてきていたんです。創造というものの繋がりであるという、そういう大掛かりな造化の仕組みというかですね、創造ということの中身なんですね。

◇一音一音に啓示が

どの段階でも小笠原先生がよく言われたように、「と」で神の中に入るのか、あるいは「とほかみえみため」なのか、身禊祓でいくのか、大祓の中でいくのか、そのことをどこかで感じているんですね。言葉の中の一音であるが、単語で感じるようになるということですね。

それが拡がっていき、神の世界に至るという構造になっているんですね。だから、お祓いをあげるということは、一音一音の中で神と一致したり、ある面ではその中に啓示が含まれていると。みんなそれぞれ必要なときに、必要な何か啓示が含まれている。それが祓いをあげることの良さですね。最後に啓示を受けてもいいんですね。事柄を聞く場合は、白川がやっていたご神事ですね。今、国がどうしなければいけないかというようなことを聞くわけですね。

我々は、自分自身が一番大切な一音一音を今の段階での神事のような、自己における神事のようなものが得られるということが大切だと思います。それを精緻にやる場合は、こういうところ(祝殿)でないと難しいですね。色々な雑音や色々なものが入りますから・・・。

本来は、清めて、十回くらい祓いだけをやるという個人の問題解決法がある。そうして、一つの答えを得るというね。それは非常に清まった段階でやるという意味だと思います。そういうこともいずれ皆様にできるようにしていただきたいと思います。

今日も一日よろしくお願いいたします。