0023話:2016年12月21日

三つの暦があるのではと思います

冬至というのは基本的には、二十四節気の中の一つなんですけれども。暦としては、太陰暦、太陽暦というのがあるのですが、月を基準にするのか、太陽を基準にするのかということですね。僕は、もう一つ、地球暦ですね。いってみれば、地球の暦、月の暦、太陽の暦、ではないですが・・・。賢(さか)しらなことをいいますと、三つの暦があるのではと思います。

冬至というのは、地球暦なところがあるわけですね。我々は何を基準に冬至ということでやるのか?ゆずのお風呂に入ればいいということではなくて・・・。

後でゆずをお配りしますが・・・。神前に置いてあるのは、通称、アロンの杖といっているものです。これは刀工の伊藤重光さんの作ですね。彼は三十年以上前、私の親父が発掘して、関わってきたのですが。なぜ冬至祭でこれが出てくるのか?ということなんですが・・・。これは、一つの日時計ということなんですね。日時計ということは、もちろん、インカでも、エジプトでもそうですが、主には春分点、秋分点ではありませんが、その日に綺麗に光りが穴から、あるいはピラミッドに入ってくるということで、日を決めているわけですね。冬至は、日が一番短くなる時の、代表の名前と捉えたらいいですね。今からまだ短くなるわけですが・・・。私たちは、そのはじ点というか、日時計のはじまり、あるいは、元の、という意味で捉えているわけですね。

◇隕石のインゴットをご神体に

この杖を作るのには、色々な歴史がありまして・・・。全ての神器というものは、鉄の文明の元になるものは、やはり隕石、隕鉄が元になっているわけですね。今回も実は水を創るのに、隕石のインゴット、と隕石の剣と、いわゆる三種の神器を使って創るわけですね。単なる象徴的なものではなくて、一種の宇宙の波動というか、それを組み込むというか・・・。

前にも話したことがありますが、隕石は、火と水が絡み合いながら落ちてくるわけですね。ですから、「火(か)」と「水(み)」の神(かみ)ですね。神が発生する、神が降りてくるという意味合いなんですね。ですから隕石の剣、あるいはインゴットを御神体にしていたわけですね、日本では。

日本には隕石がほとんどない、と私は思っていたから、ネパールに探検隊を編成して、七人の方と、刀工と一緒にネパール全土を探してもらいました。それはなぜかというと、グルカ兵というネパール兵が一番強かったのですが・・・。その剣をはじめて見たとき、日本刀の模様にそっくりなんですね。日本刀の模様は、基本的に隕石に出てくる模様を出そうとして創った。和鉄というか、砂鉄からですね。安来(やすき)のような・・・。砂鉄を塊にして、それを叩いて、そして隕石の刀と似たようなものを作るということではじまった世界ではないか、と。

僕は直感で、ネパールの山に隕石が落ちていて、沢山あるのではと思っておりました。ククリ刀ができるからですね。隕鉄のインゴットというか、いわゆる玉鋼(たまはがね)というか、それを探しにいきました。東ネパール一帯を探しました。今でいう日本の安来のようなところ、いわゆる吉田町、出雲の刀工がいるような場所が東ネパールにあったんで、山を調べたのですが、何にもないわけですね。今、ネパールでは、スプリングを叩いて剣にしていることがわかったんですが・・・。その後、カトマンズの前にあるパトナというところにある二千メートルの山が全部、砂鉄の山、鉄の山だったので調べて、そしてそれを日本にもってきて創るしかなかったわけですね。

一方では、ネパールの経済の復興のために、刀ですね、小型のナイフを産業にしたらどうかということをやったこともありました。日本の玉鋼のようなものに、日本刀にして、逆に教えて作ろうと思ったことがありました。その時の調査で、ヒ素があまりにも多くてですね。それで向かないということでした。

◇杖がご神体

要するに隕鉄、インゴットが日本では神社でも御神体になっていたわけですね。今、中にある、剣それから鏡も、隕鉄で、隕石でできております。そのような中で、日本というより、世界の一つのそれは何か調べると、杖が御神体なんですね。全部がそうだったか知りませんが、多分、部分的に隕鉄でできたものが、例えばヘブライでいいますと、アロンの杖ですね。モーセのお兄さんが杖を持って水を探すことと日時計の両方の意味を持っていたんですね。それがはじまりというか・・・。もっと前は、ダウジングで木でもってやっていたんでしょうけれども・・・。そのような水を探すことと日時計ですね。これは後の空海さんなんかにも、水を探すということが神話にも杖が出てきますが・・・。

一方で、日時計ということなんですね。日時計ということは、当たり前なんですけれども、古代では暦・時を計ることが、一番の王権の象徴ですね。インカでも、ユダヤでも、そうだった。そのような日時計にして調べるということがあったわけですね。もちろんそのような意味で、今回はとくに、杖をさして水を探しあてたというか、それと冬至の今日は、ちょうど水の事業をはじめますということ。この冬至ということで、それを祈念して、その祭りをしようということなんですね。今回は、どうも一石何鳥もありますから・・・。

◇原始信仰と呼ばれていた多神教の系譜

実は、ヘブライの本「神道から観たヘブライ三部書」として、一月十一日に和器出版から出ることになりました。これが日本とヘブライ、すなわちユダヤとの関係を、十支族、あるいは十二支族との関係ですね。とくにこの関係というのは、レビ族と、もう一つの祭祀族がこういうものをもって祭祀をするわけですが・・・。今回のヘブライの問題も、これを世に出します、ということで・・・。水と、日本の民族としての安泰と、そして日本とヘブライ、ユダヤとの関係、正常な理解ということを含めて、今回のお祭りの内実、内容になっております。ハードカバーで、中身は小笠原先生の新しい原稿が二つと、それから外側は新しいデザインで作りました。これらの三つのことを予祝といいますか、みんなでうまく展開できるようにということで、この祭りが実はあるわけですね。とくに我々が、ヘブライの問題を云々(うんぬん)カンヌンということでありますが、これは本当に日本の歴史の中の最後の解く鍵ですね。ですから、これにまつわる様々な噂や学説、あるいは、悪くいえば様々な詐欺なんかも横行しているわけですね。

そのようなものの中で、やはり世界というものが西と東という大きな流れから見ると、これはやはり重大な、我々がアルメニア、あるいはヨーロッパに大祓をバッハで、ということもやりましたが・・・。このあたりの消息といいますか、それはやはり一神教と多神教との一連の繋がりを創れれば、人類に一番の貢献になるではと思います。その二つの知恵が、日本に流れてきているということが非常に重大な中身なのではと思います。

今回、Kくんの知恵もお借りして、アイヌの世界を・・・。これはちょうど縄文というものの上にのった、北方民族の中の一つのアイヌ民族が融合したものですね。縄文と北方民族、アイヌ民族が融合したものが、長らく北海道の中にあって、その消息というものがアニミズムやトーテミズムやシャーマニズムといった、そのような、いわゆる原始信仰と呼ばれていた多神教の系譜を、ありありと我々に伝えてくれている中身だと思うんですね。

これは益々これからの研究が大事になりましょうが・・・。

◇一神教と多神教を繋ぐということ

多神教の神の掴み方と一神教の神の掴み方、これはまさにユダヤ教が最初の六千年の歴史の中にある掴み方なんですね。それを担ったのはキリスト教であり、イスラム教であり、今の一神教の六千年の人類の文明をひとつ決めてきた中身であるということですね。ですから、この二つの流れが合わさったものが、日本文明なのではないのかと思います。その一神教の部分も、我々の中に伝わってきているというか・・・。

ですから、江戸期から明治にかけての一つの神社神道においては、それを一神教的なものにもなりうるということを証明しようとした歴史でもあるわけですね。神社神道というものを、悪いようなもののように捉えておりますが、私は加藤充智先生の神道の発達史的研究を学んできましたが、神道が一神教的なものをどのように取り込んでいったのか、ということをひとつの・・・。とにかく一三〇年間、明治以降の国教の歩みでもあったわけですね。そのあたりは、ヘブライというか、ユダヤ民族というものが与えた、日本にとっての一つの影響ですね。神という新しい捉え方を持っていたわけですね。

それが後々の何回も時代が変わっていきますが、少なくともそれは、古事記の中にはっきりと示されているものが造化三神といいますか、クリエーターという神というには、それは一つの多神教との融合がありますけれども、基本的にはクリエーターに近いというか。それを三つに分けた造化三神という捉え方で、この近代は、一五〇年くらいはそういう形で結ばれていたんですね。白川の中ではその形跡は、平田篤胤という人を学頭に迎えたこともあったように、造化三神でひとつの標榜された神道思想家なのですけれども、やはりそれは当時の高濱清七郎先生や鎮魂の本田親徳などもみんな悩んでいたところですが、一神教と白川との融合というか、和合ということをどうすればいいかということを随分悩んでいたみたいです。ですから、一神教と多神教を繋ぐということを、これからの我々は明確に示していくことが必要です。それは神々というものの迎え方ということでもあります。

ですから、それは様々な神々、天津神、国津神を迎えるということで、高濱先生、小笠原先生の伝統の方法なんですね。残されたものです。

◇多神教との和合ができる

高濱先生も変ないい方ですが、無神教にさえも無神教の神を迎えるというようなことをいっていただいたことがあります。考えられる全てがあるんですね。とくに、小笠原先生もユダヤの人たちを指導していました。今、我々が先生の原稿を出すということは非常に衝撃的な中身というかですね。今まで出ている様々な情報と、どう違うかということを調べると面白いことがいっぱい出てくると思うんですけれども・・・。我々が今やっていることは、丁度、時節がきてタイムリーなものができたということになると思います。

ですから、そういうことで、エホバの神と呼ばれる神が、一神であるということが、一つのその迎え方ですね。イエスが色々な主なる神、唯一神という神の迎え方も白川にはあるわけですね。一方で、矛盾しない方法も、これからの皆様方に方法をお伝えしますけれども・・・。安全に、しかも、もしこれが仮説としますと、それを証明していくことができる方法、そしてその上に確信していただくという流れも一つにはあると思います。そうするとまた、真の一神教というか、その方々も、世界から多神教との和合ができる。

それが単純な原始信仰ということではなく、昔から続く、人と人、人と自然、人と動物、人と神という関係のあり方があって、それをお迎えできる。それとコミュニケーションできるというプラットフォーム、プロセッサーというものを我々が作り上げることができることがあるんだと。それがシンギュラリティというか、二〇四五年問題の中身だと思うんですね。それが、人間の生きるということの一つのアナログ的な意味の活き活きと生きるということと。

一方で、デジタル的に一瞬で掴むということを、違和感のないものとして、それをしっかりと確信できるというかですね。人類の新しい使い方として確信できる中身、それを実感して、それを一つの生体、生きた存在として、確かにその通りということになっているということが、我々が今、急速に水、つまり命の一番の根源である水というものを十二分に分析し、十二分に効用を認めて、そしていよいよいけるようなことが可能になる。

◇ヘブライということを学ぶこと

そのことを共にやっていただくということが、我々の生き様というか心意気ということですね。あるいは、生きることの、実践するための一つのことをやるということの意志というかですね。それが時間や空間を超えて尊いと。そして、その道を歩めることが感謝であります。そういうところにぐるっと繋がってくるということが、大事な部分ではないかと思います。我々がこういう確信を持っていくという、丁度その時には様々な、一種の一神教でいいますと、働く場合もありますけれども・・・。それを超えていくというか、統合していくというか、無化していく方法というものを我々が持つというかですね。そのことが、とくにヘブライの教えの創世記や、申命紀に出てくるような中身が大祓と全く同じであるといってもいいと思います。そういうものが今回のヘブライということを学ぶことの意味でもあるし、この時に先生の新原稿が出現して、それを本にできるということの我々の喜びでもある。

あるいは示唆になっているように捉えています。これは今の日本に一番の活躍、あるいは右翼左翼を問わず、識者たちのテーマになっているところですから、これは必ず読んでいただきたいなというように思います。

そんなことがございまして、先ほどいいましたように、確信にいたる時に、様々な魔が入るということで、それから身を守るということで、あるいは、それをまた、みんなでもって防いで、乗り越えていくということが非常に大事なところかなと思っています。その一番大事な祓いということでもあると思います。皆様方にもその力をお貸しいただいてですね、共にそこを乗り越えるというかですね。テイクオフするということは、地上から一気に安全圏に抜ける時というのは、ロケットでも、飛行機でも一番危険な時なので、その時にしっかりと守る、補佐する、あるいは一緒にいくということが大事なところです。

一方で、「守・破・離」ではないですが、一気に飛行機で爆撃したらすぐに逃げますね。地上で色々なミサイルとか用意がありますけれども、そういうような影響を受けないように離れるということが大事なんですね。離れたら安全になるわけですから。そういう意味の時にあたると。我々はここにいながら、離れるということですね。戦術というようなものを持っていないといけないわけです。戦術論というか、悪くいえば、一番の戦術家が揃っているわけですから、これから大事な時なので、一気に離していく。歯牙にもからないところに果敢にいくということが大事なことですから・・・。

◇納得と確信ということ

今まで、信仰というものを別に馬鹿にしたわけではないですが、信仰というものの強さと弱さというか、無知識的なものと、知識的なものを明確にして、離れていく。納得と確信ということをして、信仰という部分は前提となっているということで、一気に離れていくということが大事なことだと思います。そのあたりを間違いのないように、はっきりと自分の意識の中でするということが非常に大事なところではないかと思います。

外側からちらほら色々と批判が出て来る時だと思いますが、それにかからないように一気にいくというかですね。そういうところが非常に大事なところだと思います。

真空に行ったら、真空に行った時の悩みがあると思います。真空に行った時のエネルギー場が、例えば、プラズマというかそういうようなもので、宇宙空間の中でエネルギー場を持ちながら生きるということもあるんですけれども、そういうところも含めたエネルギー場を皆様方にお伝えする。そのようなエネルギー場を持っていただくということをやろうと思っていますから・・・、次々に先の用意をしております。とりあえずは、水ということで、足りなくなりましたら、またふんだんに供給しますので、どんどん意見をいっていただかないと、皆様の健康ですから、あんまり欲求はないかもしれませんが、どんどんいっていただいて、さらに充実していきたいと思います。ご協力ください。

そういうことでKさんがいっていたように、今年の実質働くのは後三日となりました。我々は、臨時祭も含めて、伊勢参りも臨時祭なんですね、ある意味では。そういうものも含めてそれもやって、伊勢の神である天照大御神に一年間のご報告をするということが大事な役割ではないのかと思います。三十一日の大晦日のお祭りまで、しっかりと頑張っていこうかと思っています。まさに三十一日まで含めた皆様方の健康、安全、大活躍ができるように冬至祭祀ができたのではないのかと思います。

暮れの忙しい時にお越しいただき、ありがとうございました。