0066話:2017年02月22日

◇お祓いの言葉

いつも思うのですけれど、毎日お祓いをあげていると、お祓いの言葉は不思議な言葉が多いと思うのですけれども、お祓いの言葉というのは、やはり神様の名前が出てきたり、和語とか上代語で出来ているから、普段使っている口語ではないので違和感を感じたり、全くスルーするか、色々あろうかと思います。考えてみますと、例えば、祓いの言葉の中で、87番目から97番目までの古事記の神様が祓いの言葉になっているわけですね。1神抜けているんですね。伊都能売神様というのが抜けて、10神で祓っていく。そうすると、最後の「・・・および祓戸の神々」と出ているんですが、および祓戸の神々と言わないけれども、何の神様なのかなと。伊都能売神は抜けているので、11神ではなく、10神なんですね。こっちの方、および祓戸の神々というわけでしょ。それは何かと疑問に思ったことないですか?ただ、あるからその通りに所謂、上代語、はるか昔の1000年以上前から決まっていたと思うんですけれどもね。そういう祓いの言葉、実は恥をかくようなことですが、87番目から97番目までの神全部の名前を言わないということは、どうしたことだろうかと。伊都能売神を入れてあげたらどんな祓いになるのかということを椙村先生と実験したことがありました。

◇汚穢

聖書の黙示録に足しても引いてもいけないと書いてあるのですが。それで聖書の言葉が、神の言葉として決まったわけですけれども。我々は不遜というか、そんなことをやってしまったわけですが、やってみるとどうも語呂がよくないというか、語呂がよくないと言うと神様に失礼ですが・・・。何か違和感がありました。偶数というか、対になっているんですね。神様の名前は、元々は対ではないのですが、対になって上手く構成されているものを、伊都能売神様を入れてしまったわけです。ではなぜ、伊都能売神様を抜いたのかということを考えた時、伊都能売神様は一番天津神の中でも、汚穢(おえ)と言って、汚濁するものと祓うというかね。汚穢の神と言って、一番汚いものを引き受ける神というかね。ということは、伊都能売神というのは、汚い言葉だった、というか、意味は一番汚い言葉だった。汚穢の神ということで、その言葉を出さなかったのかもしれません。

神道というのは非常に清いということが中心にあるから、代々の社家の家では、潔癖症の方が結構多くて、今で言うと神経症のようなものになる人が多いんですよ。なので、なかなか神葬祭ということをやらないわけですね。みんな仏教に任せてしまうということがずっと続いているわけですね、何千年も。この前にも言いましたが、大祓の中の獣犯しとか、そういう言葉を見るのも嫌だという人もいます。それで伊都能売神を消されたのかもしれません。どういう理由で伊都能売神を消したのかということは、その理由と、あと、偶数というか、拍手も全部偶数なんですね。奇数の柏手というのはない。隻手片手の声というか、白隠禅師の悟りの世界に、片手で音がするかという公案がありますが、拍手も2つになっていて、全て偶数になっています。4つとか、八平手というものもあります。必ず偶数になっています。上手く対になって、言葉が続きやすいというようなことを思いました。とにかく、そこで伊都能売神を入れる実験をやめました。そんなことがあって、多分、および及び祓戸の神々は何かというと、たぶん歴史の中で、大祓の中では4つの神様なんですね。

◇十五

白川の大祓は、非常に文学的に書かれています。最初、瀬織津姫神様と言われていますけれども、他は速開都比売神、気吹戸主神、速佐須良比売神という神様が祓戸四柱となっていますから、たぶんその祓戸四柱と、伊都能売神の5神で、15の神というかですね。

それが魔法陣もそうですけれど、15で出来ているのではないかということが今のところの祓戸の神々たちということで、皆さんも考えたことがある人もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことも今日、浮かんできました。もう一つは冬の季語で、俳句を考えていました。

◇大祓と文学

たまたま昨日、舩井さんの記念館の案内を見ていたのですが、考えみたら、舩井さんが亡くなったのは冬の日でした。あと、僕らは雪に閉じ込められ、4日間帰って来れなくて、4日目に自衛隊の車の後ろについて帰ってきたということがありました。そういうことがありましたが、それは別として、要するに大祓は文学というものと絡みがあるということがあると思います。

前に、柿本人麻呂という万葉の最高の歌人が大祓を直したのではないか、ということを言いましたが、国文学から考えると、一番古い古典なんですね、日本のね。文学という意味の古典が大祓にもあるんですけれども、それを更に美しくしたものが、白川の大祓だと思うんですけれどもね。それが非常に文学的であると同時に、短い言葉になっていくというのがですね。どうも日本の文学の中で短詩というか、短い詩になったものが出てくるわけですね。最初は言霊、一音一義ということであったのですけれども、50の清音が、そこから一音プラス一音で二音となり、一音プラス一音プラス一音で三音となり、一音プラス一音プラス一音プラス一音で四音となって、それでだいたい組み合わせると、意味ある用語が2500語くらい出来るんですね。四音だけでそれだけ出来るんですね。さらに、そういう言葉で長い文章を作っていくわけですね。それが結局、和歌になり、長歌になり、次第に万葉集などに残るものが出来ていくんですけれども。

◇旋頭歌

甲斐の国の関連では、ちなみに斉藤さんが祝詞で毎回読み上げる甲斐の国の枕詞は「なまよみの・・・」です。甲斐の国の起源がある歌に旋頭歌というか、そういうことが酒折神社にありますね。山梨学院大学の上の方にある酒折の山で出来た歌が、ヤマトタケルと塩土翁(しおつちのおきな)との会話が詩になるんですね。それが旋頭歌ですね。その旋頭歌は他愛もないような歌ですね。

◇短歌、俳句

花芽な見て、今で言うと、秩父から何日かかったということをヤマトタケルが聞くと、3日間かかりました、という掛け合いで言ったことが歌になっているわけですね。

簡単なものですけれども、そういうものが始まりということで起源神話として出来ているわけですが、そういう簡単な言葉というようなものに、ある面では歌がなっていくということもあるわけですね。それは短歌の最終形では、俳句になっていく。俳句というのは案外、簡単なようで難しい面があるということが言えると思うんですね。小笠原先生も戦前から詩を作り、和歌を作り、最後は俳句になったのですが、俳句も客観的に観察しているという頃に、嫌気がさして、止めたと言われましたけれども。その俳句のこの一つの客観視が、主観というものを越えていく時に、表現しきれないということがあって、たぶんやめられたのではないかと思います。今、私も年を重ねていく中で、俳句というものをもう一度、見直すというか、のり直すというか、句にしていくということをひと月に何日かやっているんですけれども。そういう時に、先生が俳句をどういう風にやられたのかということを含めて、自分で実感する必要性があると思っています。

◇短い詩のようなものに効果がある

たぶんMシステムも、急にMシステムの話になりますが、案外、短い詩のようなものが一番人間の心というか、効果があるというかですね。そういうものになるのかもしれないということを一つ頭に入れておいて頂いて作るというかですね。文章を考えていくということですね。元々、言語コードが出来た時は、機械が30語しか入れられなかったです。易の卦ではないですが、はじめに1本取って49本で占うんですね。その1本を神に捧げているのかもしれませんが。短歌は、31文字で、更に1文字抜いて、30文字しか使えなかったんですね。それでもって、100くらいの文章を作りました。それしか出来なかったから、それの効果が得られるように作るということをやったんですけれども。今は、何ギガではないですが、沢山の言葉が入るし、瞬間に0.1ミリ秒で1万語くらいのレベルで作るということになっていますから、ちょっと言葉の無駄遣いと言ったらおかしいですが。

◇膠着助詞。長く続けられる理由

日本の言葉というものが長く続けられる理由というか、論理的に、あるいは物を組み込めるのは、膠着助詞と言って、膠(にかわ)を貼り付けるのを膠着ということですね。貼り付けるということの助詞、「の」とかね、そういう助詞があるんですけれども、そういう膠着助詞を使って、文章の中に単語を組み込めるという特徴のある言語ですが、その膠着助詞を多用することもいいんですけれども、その一音の膠着助詞によって、中身の定義がどう変わるかということをじっくりと考えながら、文章を作るということが大事なのかなと。俳句なんかは、完全にそうですね。そういう膠着助詞の一語で全然変わってしまいますね。

そんなことも含めて少し考えて頂ければ、またシステムのソフトウェアも、より効果的になるのではないのかということを考えました。そんなことを今日は考えました。

ありがとうございました。