0067話:2017年02月23日

【醸造祭】

今日は醸造祭ということで、日本の国にとって非常に大事な食の、今回はオオゲツヒメの神の働きといいますか、大豆を作るところから、皆様方にご苦労をかけて、かくも大粒な大豆となりました。実は1年目というのは、本当に大きくなるんですね。開墾して1年目ですね。1年目に作る仕事を一緒にやって頂いたのは、ものすごく良い思い出というか、ラッキーなことでした。それをまた味噌に出来るのは素晴らしいことだと思います。そして、醸造祭まで一緒に出来るということは、非常に嬉しいというか、これの努力はKさんを始めとして、偕楽庵で農業をやってみたいと志すというか、そういう意志を出して頂いた皆様方、そして、Mさんが京都からわざわざいらっしゃって頂きました。

◇ぶどう酒とワイン

KさんとMさんの関係を少しお話しますと、変な意味に捉えないで欲しいのですが、縄文から弥生の狩猟採集、そして栽培から今度は瑞穂の国、つまりお米を作る一つの受け渡しのようなことがありまして、皆さんご存知だと思いますが、Kさんはアイヌの皆様と5年間暮らしていました。アイヌというのは、縄文の生き残りと言ったら失礼ですが、みんな生き残りなんですけど、DNA的には。そこで学んだきたということは、果実や木の実で醸すというかですね。そういう意味の日本に昔からあったんですけれども。歴史に残っているもので一番古いものが、以前、アルメニアに行きましたけれども、そこで六千年前のぶどう酒の醸造場所が見つかったと、アルメニア大使が言われていました。そういう古いものがあるんですね。

たまたま甲州種はアルメニアのぶどうの種だそうですね。そこのぶどうで出来た「里吉」というワインが最初に出来るのがここなんですね。父親も毎年、ぶどう酒を作っていました。それで僕もワインの醸造所を作りたいなと思っていました。それで色々なことをやってみました。ザクロでワインを作るということも今から十何年前かにやりました。初めてですから、山梨大学の横塚教授に指導して頂きました。その方がザクロをワインにする実験をしてくださったんですね。ものすごい酸が強いのですが、それを自分の愛弟子であるマルキワインの萩原さんに量産して頂きました。当時、イランから5樽くらい輸入して山梨で作りました。大成功して、何万本か販売が出来たんですけれどもね。その時にも、仏教のお釈迦さんの話の中で、鬼子母神になる人が、生まれた子どもをみんな食べてしまうという魔神というんですかね、それを言向け和していった時に、ザクロを食べて、その習慣が無くなったということがあります。それを鬼子母神という名前でザクロワインを作りました。

◇波動機BWM909

それと前後して、我々の古い機械で、BWM909という機種の波動機を作った時に、乳酸菌でエキス化していた会社に醸造を促す機械を4台導入したことがありました。これは主に酪酸という腐臭の強いものを使ったもので、大豆と水だけなんですね。それがなかなか発酵しないで、菌を入れないでやるということにこだわりがありました。そういう時に開発した波動機が、ロゴストロンに至るわけですね。今回は、この大豆と別天水というかたちで、初めて裂石の水との相性で、今度は淡路島の塩と、京都の麹を使わせて頂くことになりました。その前段での予祝と言いますか、麹菌ということになりますけれども、その働きを勘案して作るということになります。

◇醸造の神様

話があっちこっちに飛びますけれども、醸造の神様というのは、八坂神社の四條通りの端、西の端の方にある松尾大社があります。そこは大山咋神(おおやまぐいのかみ)という醸造の神様が祀られてですね、とても古い神様ですね。白川の関連で言いますと、私が20代の初め頃に最初に行った神社は、八日市の松尾神社ですね、そこに中村新子先生の姪っ子であり、養子として学ばれていた安見晴子先生という方がいらっしゃって、我々は7年間待って、白川を高濱浩先生から学べるようにしてくださった方なんですね。その方の神社が、宮司さんと一緒に白川のおみちをやっておられたんですね。その方が我々を導いてくださった先生であり、そこの神様が松尾さんなんですね。

基本的に、古事記にしろ、醸すの「醸(かも)」という意味合いも非常に深いものがあります。今日は「ハモる」ではなく、「かもる」というかですね(笑)。非常に皆さんのお祓いが一つになって醸されたから、これは良い味噌がどんどん発酵して、美味しいだろうなと。ここに来た方は最初の優先権がありますので、一番に味わって頂きたいと思います(笑)。

◇米と大豆と味噌

話は縄文から弥生の話からとても飛んでしまいましたね。実は京都で無農薬のお米をMさんは作っています。契約書は作らなかったのですが、来年の分まで無理強いして契約を結んで確保しました、皆さん方に召し上がってくださるお米を。やはり日本人が本当のお米を食べなければいけない、作らなければいけないということを考えられて、出家(?)されたわけですね。京都の綾部で米を作られていますね。業務委託ではないですが、Mさんには、こちらの畑を金山先生や中野先生という当代一流の先生方に指導して頂き、それが今から始まろうとしています。昨日も言ったのですが、僕は20年間京都に毎月通っていたので、今度はMさんが京都からこちらに通って欲しいと(笑)。勝手なことを言っております。もちろん、Kさんがかくもアイヌの頃からだと5年、6年かかって、このような見事な大豆を使って、今日味噌を作るのですが、本当に嬉しい思いがいっぱいです。

それは私が東京に行くまで17年くらい、七沢家は450年くらいこの地にいますが、昔は味噌蔵も醤油蔵もあったんですね。そこで味噌や醤油を作ったこともありました。非常に懐かしいというか、いつも味噌を作っていました母親が、巨大な鉄釜で炊くんですね。今日も思い出したけれども、それを荒神様のように釜を作って、まず土を掘って、へっついというか、釜を置く台を作るんですね。そこに釜を置いて、一日中煮込むんですね。そういうものをやっていたので、非常に懐かしい思いがあります。

僕はインドのベンガル人と約7年くらい一緒に住んでいたんですけれども、日本では御飯と味噌汁と言いますが、むこうではダールアンドバット、バットというのは御飯のことですね、ダールという豆と御飯なんですね。その違いは、我々は味噌汁、あるいはお米ですが、麹になっているというところがインド文化と東アジアの文化との違いなのではないかと思っていました。ダールはこのまま煮るだけですね。我々は少なくとも大豆を麹菌として育んで、そしてそれを使えるということですね。少量でも効果があるということですね。そういうところからも文化の違いを感じて頂けるのではないかと思います。

◇火落ち菌

我々も醸造と言えば、ここに寺田本家の当主が来られて御修行をしたこともあるんですが、その時にお聞きしたことは、たぶん火落ちというか、醸す時に、かき混ぜる温度が55度とかあるのですが、その火でもって入れて、火落ち菌の働きをあまり強くすると酸っぱくなっちゃうんですね。それは酢になるから一番嫌うことなんですね。酢になってしまったら困るわけですね。ビネガーになってしまう。酢というものの技術と、味噌を作る技術、お酒の技術というは高度に発達しているわけですね。その時に、火落ち菌のことを聞いたんですけれどもね。僅かな温度差で、味が大きく変わってしまいます。非常に日本文化と深い繋がりがあるのが、醸造ではないのかというように思いました。

今日はまた時間がある人は体験を少しでもして頂ければいいのかなと思いました。今日は昨日から斉藤宮司に色々とやって頂いていますけれども、大山咋神様をお迎えして、いよいよこれが始まるということで、今日はありがとうございました。