0071話:2017年03月02日

昨日、全体会議にて決意表明して頂きましたが、一日経ってどういう気持ちで決意を感じているのか、お聞かせいただければと思います。

決意表明を聞いて、Oさん、何かありますか?

●Oさん

お祓いは元の姿に戻るということがあると思います。

イソノミヤという話が出ましたが、イソノミヤは既にあるものに戻るという意味でもあるんですね。イソノミヤという言葉の語源は、五十の宮、五十音ということがありまして、人間が元々持っているものということでもあります。それにどうやって近づくかというと、お祓いをしていくということですね。祓いによって、本来の純粋な五十音の自分に戻っている、人が作っていく社会ということだと思います。

今回、「はふりめく」のアンケート文を読ませて頂きました。元々、白川神道は、全ての修行が終わった人がやるものなんですね。実際には、全ての修行を終えていない人が今、やっているわけですね。

そうしますと、全ての修行を終えていないというところで、何か自分に付け足そうというところが出てくるんですね。本来と間違った方向に行きそうなんですけれど、真剣に何かに向かって頑張っているというところがあり、心配にも繋がるのかなと思います。

お祓いで自分を祓いきって、そこに自分があった、五十音があった、という安心感であり、確信であり、それをもってみんな共通の世界にいるんだということを感じて頂きたいと思います。逆に言うと、自分が自分に言い聞かせていることでもあります(笑)。油断すると、新しいことをやっているということが、いかにもやったという気持ちになるのですが、自分だけの世界になりやすいということでもあります。それを削っていって、純粋世界でみんな共通していて、そこから本当の創造が生まれるということですね。それを昨日、みんなとお話していて思いましたし、みんな純粋なものを持っていると感じました。とても嬉しく思いました。

白川学館の門人の皆様も自分だけ知識を付け足していくということよりも、本来の世界を知って頂きたいということを感じました。

 

七沢代表】

◇五十音の一音一音が悟り

Oさん、ありがとうございました。禅の無門関講話という本を出しましたが、それは講話が50なんですね。

言葉で色々な悟りを開くような。あの伝で言うと、日本語の五十音のひとつひとつが悟りなんですね。50をあいうえお、かきく・・・一音一音がこれだと分かると、イソノミヤの前提が出来るんですね。50の一つ一つをまずは、あいうえお、の母音から掴んでいくというかですね。それが必ずお祓いをあげると、最後はあいうえおに戻りますよね、「ん」以外はね。父韻と母音の2つが別にあるわけですが、その概念はこの150年位の間に出てきたものではありますが、基本は、50音なんですね。

それをどのように、一つ一つを悟っていくのかということが、あいうえお、が始まりということで、五行、木火土金水の修行をしていくんですね。

端的に言うと、「う」を掴む、「い」を掴む、「え」を掴む、「あ」を掴む・・・。宗教なんかは「あ」を掴むということころが中心になりますね。阿弥陀如来とか、アラーとか、アガペーとか、だいたい「あ」から始まるようになっているんですね。そういう世界があるんだけれど、「あ」を掴んだ時の表現が、阿弥陀如来の慈悲とか、アラーとか、愛とかということを言うわけですね。「う」というのは生まれるというかね、有、宇、得もある。

日本語というのは元の言語だから、分かるように配置されているんですね。そこが面白いところで、イソノミヤと言った場合に、「い」を元にして、宮を作るという、命素(祖)の宮の「命の道(いのち)」なんですね。イソノミヤですね。それは語呂合わせではなく、元々あったんですね。「ウオアエイ」の五行となっていまして、それを掴むというかですね、そうすると全体が見えてくる。それが「ウ」と「イ」の五行の全体を越えていくんだということになります。有為の奥山と言います。山ということは宮とも言えますね。宮があってひとつの山になって、それを越えられるということですね。

五行の悟りがあって、情緒や、倫理や、神や、命の生まれてくる時の感覚とかね、それはまさに鎮魂でするということもありますね。そういうあらゆる手立てがありますから・・・。

◇祓いに始まり、祓いに終わる

だいたいお祓いをしたくないという感情が、一番のおみちの中では、それを感じたら注意信号です。風邪とか、体の調子が悪い時はしなくてもいいのですが、お祓いをしたくなくなり、お祓いから離れると、だいたい分かります。精神の基準がね。お祓いというのは、あいうえお、というか、五十音というか、それに一番端的に近づく悟りというか、五十音の悟りなんですね。一つ一つの音が合わさって、それが体系づけられていってということなんですね。簡単に言えば、とほかみえみため、を千回でも、2千回でも唱えればいいんですよ、嫌な時にね。祓いに始まり、祓いに終わるということは、一音一音を出しているということが一番肝要なことですね。それが自然にあがるということが、まずは目指すところではないかなと。

私は40年もあげていると、口祝詞になったり、本当に当たり前のようになってしまって、あげながら全然違うことを考えられたり、ひどい場合はあげながら寝られるということもありますが(笑)。慣れるということは必ずしも良いわけではないんだけれども、そういう理由は分かっているんですが、お祓いをあげたくないと思ったことは一度もないんですね。

白川の先生はもちろん、小笠原先生は、60歳まではお祓いをあげていましたが、だんだん老齢で、神棚も祀れなくなってしまったから、されていなかったですが、ずっと神社を守っていらっしゃった時に、ずっとあげていました。

◇五十の悟りと五十の運用方法

あいうえお、というか五十音を悟ったら、今度は運用方法が50あるというのが言霊百神なんですね。それを一つ一つ悟っていくというか。そういうものも全体を含めて、言霊百神になっているんですね。

そういう神々の87番目~97番目、そして天照大御神、月読命、須佐之男命もそうですけれども。それに運用して頂くということで、白川の5神があるんですね。造化三神と豊受大神と天照大神ということになるんですね。最初の造化三神と天照大御神が合致したということになるんですね。国津神なのか、天津神なのか分かりにくいけれども、豊受大神も一体となって主神としてあるわけですね。それの運用方法としての祓いがあり、更に祓う。祓戸の神々たちということですね。白川が一番最後の修行だと言われたのは、きっとその中身なのではないのかと。一番良いものが簡単に出来るようになっているというか。

◇2700年続く日本哲学、日本文明をシステム学習で残す

だから、伊勢の斎宮も百神を折り紙で折るんですね。松浦家が伝えたもので、伊勢の斎宮の教育方法は、百神を折っていく、折り紙なんですね。折り紙伝というものがあるんですけれども。そういうものは形の上でも、御修行の上でも、そういうように端的に、簡単に出来る御修行方法なんですね。

だから、それが今までの天皇家が2700年も続くということはあり得ないわけですね。縄文もそうですが、日本の哲学、日本文明が3000年近く続いたということになるんですね。王家としては、世界で一番長く続いているのは、この「おみち」があったからということも言えると思います。これは遠隔であろうが、実際に教えようが、それは出来ることだと。

普通、予言では、明治天皇までされて、大正天皇からされなくなると、100年で困ることになる、と予言されてきたものですけれども、きっとここはそれを乗り越える為の場が実は出来ているんですね。

今、まさに皆さんが興味をもったり、本当に心ある人たちが、それをやって頂いているということが、この道の3000年、あるいは1万5000年という流れの中で、出てきた日本文明は、なかなかしたたかであると。そう簡単にはくたばらない。

東洋で一番の奇門遁甲の先生が、私に40年くらい前に言いました。「七沢さん、白川は絶える」と。真実があるから、絶えると。それは中国では遁天の刑と言います。みんながそういう風に思っているんだなと思って、これは残さなければと思って、若干不備もありますが、一番元のところからリバーシブルにお伝えしているわけですね。それは私がシステム哲学を学んだ結果ですね。良いか、悪いかを別にして・・・。

それはひとつの科学の粋として捉えていこうと。それを高速化していくということであり、それを物として出さないと分からないということもあって、そしてロゴストロンでありますね。自分が面白いということもありますが。そういうことで皆様にお力をおかりさせて頂いています。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。