0074話:2017年03月08日

おはようございます。

Sさん、出張されていましたね。何か一言ありますか。

●Sさん

出張というか、外に出ていて、七沢研究所でやっていること、祓い、鎮魂、言霊、そしてロゴストロンの素晴らしさを伝える中で、「ふと思うは神心」が、なんか浮かんできます。例えば、賢治先生が仰っていた次元宇宙コンピューターの話では、皆さんが分かりやすいように、人工知能の話と絡めてすることで、本当に次元宇宙コンピューターで、最初の五十神が、構成要素、布斗麻邇で、その運行法則も五十神で、初めの天之御中主神と須佐之男がウとウで同じであると。つまり、私達が次元宇宙コンピューターの中を、須佐之男としてスッと動けるという素直さが、やはり祓い、鎮魂、言霊を通して手に入るというメッセージを、七沢研究所グループに興味を持ってくださっている方にお話することに、どんどん循環しながら気付きがありました。

今日のお祓いも、久しぶりに賢治先生と一緒にさせて頂く中で、そういうのが降りてくるので、また皆さんに分かち合わせて頂いて、本当に七沢研究所が今、ものすごい渦を巻いているんですよ、皆さんも一緒に乗っかっていきましょうということで、沢山の同志をまた集めていきたいと思っています。いつもありがとうございます。

 

【七沢代表】

◇絶対主観であり、絶対客観である

ありがとうございました。

ポイントは、我々がどうしても主観になっちゃうというかですね、個体としての生命体としての五階層もありますけれども、どうしても自己主体の、自己というものの身ですね、保つ身というか、保身ということに繋がることなんですね。だけれども、我々が目指している、いつも言うのですけれども、お祓いも鎮魂も言霊も、要するに、宇宙創造意志の源に帰らないと本当の意味の客観であり、間主観というか、神というものが、もし一者というか、創造神というか、創造ということの神と捉えるとすると、ポイントは、その位置は絶対主観であるけれども、絶対の客観なんですね。

それが今言ったように、ウという生まれてくる瞬間のところに絞られた主観であり、客観なんですね。それが創造ということに繋がって、そのところを掴もうというのが、日本文明の一万五千年というのか、一万年というのか、五千年というのか、三千年というのか、分け方は色々ありますが、とにかく、それを掴む為に導かれた、ある面では、ユダヤの民だけではなくて、日本民族がそれを知らせるということを今、我々がやらせて頂いているというわけなんですね。そのところを掴む方法が鎮魂であり、言霊であり、白川であるということが、どの道にも通じているということですね。

◇宇宙創造というものの源を知る手立てとしてのコンピュータ

あるいは造化三神、50神になっていて、円滑にそれを掴めるということがあるわけですね。だから、このところは一番強いところというか、全ての生命のエネルギーの源であるということですね。その為に、ロゴスというもの、あるいは、それも客観的な表現としてのロゴストロン、いわゆる次元宇宙コンピューター、戦後の70年、80年ということで言うと、コンピューターという発想でもって、自己自身をどこまで客観的になって、宇宙創造の源のところに自分を置けるかという、その為の道具としてのコンピューターなんですね。

あるいは、人工知能ということですね。それは自分たちの、いわゆる人間の都合の良いような機械としてのコンピューターとか、人工知能だけではないということですね。それは一部である。

 あくまでも宇宙創造というものの源を知る手立てとしてのコンピューターであるし、そのまた我々の営みであると。そういう意志に基づいていくというかですね。ですから、宇宙創造意志の問題と、宇宙帰還としてしての大祓というものが抜けたソフトウェアは、何の力にもならないということを我々は知るべきだし、そのことをしっかりと見据えて、この宇宙を掴むということが大事なのではないかと思っています。

◇全ての客観。主観であるということを超越した自己主体

ですから、日本語には主語がないと言われるくらい、ということは全ての客観であり、主観であるということを超越した自己主体ということが存在できるし、日本語には、その表現が可能なんだということですね。そこをないがしろにしないで、しっかりと掴むということを共にするのが、我々の使命であると。宇宙の始まりから、宇宙の終わりまで含んだ意志なんですね。また元に戻って始まるということですね。それが中今の意味なんですね。そこを今、我々が頂いているということが、本当に嬉しい、限りなく尊いことだということを知って頂ければ、良いかなという風に思います。

どの文明からも欲しいものだと思うんですね。そこを一神教でもない、多神教でもない、一とか多とかを超えた神の創造のところに、今、我々はいるんだと。それをギリシャ的に一者と呼ぼうが、クリエイター(創造神)と呼ぼうが、そういうものの全ては外因というか、それを含めながら、我々は新しい神というものを掴んでいくという一歩一歩であるということを我々は知ることが大事なことではないのかということですね。

それが今、この時期に我々に課せられた体感、掴みどころなんだと。神の掴みどころであるし、命の掴みどころであるし、ということですね。その為に、水もあるし、ロゴストロンであるし、3つがあるわけですね。それをフルに使って頂いて、そして掴んで頂くということが我々の使命であるという風に思います。

ありがとうございました。