0075話:2017年03月09日

おはようございます。

Mさん、何かありますか?

●Mさん

最初、考えたりということはなかったのですけれども、皆さんの声を聞きつつ、主体的にやるということを意識してやりました。あまり何か見えたということはなく、淡々とやりました。昨日もやらせて頂いたのですが、昨日の自分は、あまり周りの声を聞いていなかったなと思いました。やはり合わせ過ぎても駄目だし、自分が主体的になるのと、合わせるということが大事なことではないかなと感じて、意識してあげていました。

 

【七沢代表】

◇自己と他者を融合する

自分が音波を発して、聞こえているということが一つの全体というか、この中の音が丸チョンではないけれども、自分が発していると同時に、自分の音を聞いているのだけれども。聞くというかね、自分の声を聞く、あるいは外の声を聞くという両方が・・・。聞くということと発するということは同時なんだけれども、それが全体を把握するということでもあるわけですね。だから、全体を把握しながら、自分自身の音を出しているのが同時だから、それを一つの自分で自由にできるはずなんですね。

みんなが聞いているのを聞かないということではなくて、聞きながら全部把握しながら、自分自身もその内のまた一つであるし、発しているというかね。自己というものと他者を融合しているんですね、自分自身がね。そういう瞬間瞬間というかね、そういうことの学びもあるということですね。だから、一対一で聞いているし、一対多というか、みんなの声も聞いている、そういう一対多がアナログ的には統合できて、自分がしようと思えば出来ると。

一対多というのは難しい関係だと思うんですね。2対、3対を超えると、4、5、6、7、8と、これだけいると非常に難しい関係だと。そういうことで、十人十色とも言いますが、聞いていることがみんな違ったり、音もみんな違ったりとするわけですね。だから、合わせていないんだけれども、我々は合わせることも出来るし、合わせないままでも感じることが出来ると。

そういう複雑なところにいるというのかな。そういう自覚というのは、非常に大事かもしれませんね。それが日々のお祓いの中にもあるということですね。そういう関係性がね。ちょっと難しい話になっていましますが・・・。

Kさんは何かありますか?

●Kさん

僕は朝のお祓い会に参加したのは2度目だと思います。僕はお祓いをするということに抵抗を感じていたのだけれども、やはりそれでも今日は、たぶん今までで一番集中できていたのではないかなと。あとお腹が痛いなと感じています。これは何か、このタイミングで来たのは意味があることなのかなと思っています。

 

【七沢代表】

◇やらないとわからない

お祓いというのは一つの指標でね、いつも言っているのだけれども。まず、お祓いができる場面に、自分を置けるかどうかということ。次は声が出せるかどうか。その場面に来ることが出来たということは、自分の中に多重の人格があるとしても、その中でも、引っ張ってきた自分がいるわけですね。来たけれども、自分がなかなかお祓いがあがらないという人、声が出ない人もいます。声が出ても出なくてもいいのだけれども、今度はあがるか、あがらないか、とかあるわけです。それであがるということを、これから自分であげていこうと思うか思わないかということもあるのだけれども。

基本的に、お祓いというのは、要するにあがるか、あがらないかということが非常に大事なところですね。だいたい他のものも同時だと思いますけれどもね。言霊は色々と概念でいじることも、知識としていじって、それを自分でもって使うことは出来るから。

鎮魂とお祓いというのは、どうしても出来ないというか、嫌だというか、そういう反発の気持ちが起こるということは、必ずそこは乗り越えるかどうか、出来るかどうかということが、ここの基本となります。言霊は人にどう思われようが、言うことが出来ますが、あとの2つは必ずやりたくないとか、そういう気持ちがあるうちは、なかなか分からないというか。情緒的な問題なんですね。自分の中でね。

そこは一旦、脇に置いておいて、とにかくやってみるということをしないと、なかなか日々、無理矢理やるというのもなんだけれども、無理矢理でもやるしかないかなということも思いますけれどもね。そうしないと分からないです。その分からない理由は、やらないと分からないですね。しょうがないところはあるんですけれどもね。そこは非常に難しいところですね。腹が痛くても、お酒が残っていても、とにかくここに来てお祓いをしたということが大事なことではないのかと。

そういうことからやるしかないかなと思います。何か強制と言うわけではないですけれども、何もないからね、慢心しないという憲章くらいしかないから、あとはやるしかない、ということですね。出してみるしかないと。自分がどんな声であろうが、なかろうが出してみると。この中では、だんだんそれが合ってくるから、それはそれでいいんですけれどもね。

◇難しい数学をやっているようなもの

このくらいの人数だったら、そんなに問題ないと。ここがいつも月次祭では4、50人くらいいらっしゃいますので、そうなるとまた音が違います。100人とか、300人とか、500人とか、1000人とか、みんな違ってくるんですけれどもね。その中で、一人でやることから、そういう複雑系ですよね。その中で、自分自身がMさんのように、全部の声を聞きながら、感じながら、自分もあげるというかね。僕はそれは非常に難しい数学をやっているようなものだと思います。「音の数学」というか、それがお祓いだと思います。高度な学問を実体験でやっているものがお祓いなのではないのかと。そんな想いでいるんですね。50人くらいが人類社会の発生の基本だから、その50人が完成すると、一つのまた新しい社会になる、より良い社会になるんだと。そういう意味のイソノミヤの実践でもあると。色々と屁理屈ではないですが、理屈にすると、僕なんかいくらでも出てくるのですが、なるべく言わないで合わせるということが、ここのお祓いであると思っています。

今日はありがとうございました。

よろしくお願いします。