0077話:2017年03月11日

◇神武天皇からの由来に戻る

今日は、東日本大震災の日でありましてですね。3000人くらいですね、見つかっていない方もいらっしゃるんですけれども鎮魂祭をやらせていただきました。

今日の『神武天皇崩御祭』というのはですね、今回、皇室でやれないということで、臨時祭ということで我々が行うことになったということがあります。この日を定められたのは、明治天皇のお父様であられる孝明天皇が、今日の日を神武天皇崩御祭ということで、やるようになったんですね。ですから、そういう経緯があって、白川を一番大事にしてくださった孝明天皇の意でもあるということです。

天皇陛下が御退位されるその時にですね、憲法第1条というものの存在というものが、大きくクローズアップされてくるわけですね。そして、皇太子様が天皇になられるということになるわけでありますけれども、その時にですね、皇太子様を守って、天皇についていただいて、安泰な天皇の治世をお作りになっていただくというのが、本来ですね、その大元がですね、たたみ込まれているのが神武天皇の天皇陛下になられた時の由来が大切なわけです。

それと、時代が下がって、この大祓がですね、延喜式によって執り行われていた千年前の神祇官の役割というものがあって、そして、今がある。各時代にはっきりとしたですね、確信を持って行われているのですね。いわゆる、単純にですね、150年前の明治維新の歴史の中で行われていた王政復古のようなことだけではない中身を持っているわけですね。ですから、そういうことも含めて、原点というか、原点に戻る、原点回帰といいますか、そういうところに戻って行うということが大事な役割になります。

その時に、皇太子を守って、天皇になっていただく時に、ひとつの鎮魂ということが大事な一つの役割としてあろうかと思います。これは、ですから日本の歴史の中で、皇太子が天皇におなりになっていかれる時の弊害、いろんな害が起こってなれなかったこと、そういうことに対する、ひとつの鎮魂ということですね。

それをこの前は、大津皇子の鎮魂を、大伯皇女がされた鎮魂に思いをいたしてやるということを、金さんと一緒に今、用意しているわけです。金さんと一緒に鎮魂組曲の後のですね、世界の鎮魂というのは、中近東を含めた鎮魂の組曲を作っておりますけれども、一方で、日本の中では、大伯皇女が大津皇子をですね、鎮魂された、その中身をですね、我々が今もう一度ですね、死者の書、あるいは、これは中将姫の故事だけではなくて、大伯皇女のその中身、鎮魂の思いをですね、もう一度思い起こしてですね、その皇太子、あるいは皇子の鎮魂ということをやらせていただくということで・・・。

 

◇元熊野、神武天皇を守ってこられた一族

2677年という、今年という年にあたっての、明治以降ですね、ひとつの孝明天皇が崩御の日を確定された、そういう神武天皇以来のですね、そういう第1代の天皇陛下ということ、そのどういう風にして天皇陛下に立ち上がることが出来たということの一番の根っこには、これは熊野、元熊野といいますけれども、神武天皇を守ってこられた一族といいますか、そういう方々がいらっしゃるわけですね。

 

◇時の鐘をつく役割

私の血筋のですね、やはり母方の直系は、玉置神社の、要するに世界が最後になる時に鐘をつく。鐘が隠されたり、色々ありますが、その鐘をつくのが私の母方の直系です。

ですから元は熊野に繋がっておりまして、私も熊野はですね、普通は一生に三度というようなね、伊勢は七度、それから熊野は三度という、メッカの巡礼ではないですが、そのようないい方がありますが、僕は、熊野に七度来たんだ、というように思って、あとは何度行ったか忘れてしまいました。なんせ、甲府から熊野は一番遠いんですね。

決して、日本が終わってしまうような時に鐘をつかなければ一番いいわけですが、でも、日本を終わりにさせない覚悟をする役割というかですね・・・。ですから逆にいえば、日本を、世界を滅ぼしたらいけない、というそのような覚悟で、この「おみち」というものをやらせていただいていおります。

 

◇神と相撲をとる

神武天皇というのは、いわゆる神武天皇に帰るということは、「神」の「武」なんですね。昨日ですね、世界の一番の「八卦掌(はっけしょう)」という中国の武術の最高峰の方がアメリカから祝殿にいらっしゃって、ここで、八卦掌の最高の動きを見せていただきました。その方は、日本の相撲というのは一体、どのような「武」なんだ?と。

私は「武」というものを本当の芸術と思っているのだが、「武」とは一体なんなんでしょうか?という問いかけをして、食い下がられてしまったのですが・・・。半日、話しました。

僕は一人相撲なのではないかと、横綱が本当に一人でやる相撲が、土俵入りであり、そして一人で神と相撲をとるということが、本当の相撲の極意ではないかと思っています。 

あるいはそれを、當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の両方が、相撲の神様だといって、稀勢の里さんにも教えましたが・・・。そのような世界は、やはり一人相撲なのではないかと思います。最強の二人の想いをもって、一人で神になって土俵入りをするということなのではと思います。

これはヤコブがですね、天使と相撲をとるわけですが、その時は、天使は見えませんから、見えない存在と相撲をとる、と。これは、日本にも神社に一人相撲の神事もありますから、きっとそれは最高に天地と一体となって美しい姿なんだと。

これは、今回の稀勢の里の土俵入りが、八角理事長が今まで見たことがない、自分がやっていても、なかなか出来なかった世界が出来ているといったそうですが、これは、やはり下丹田といいますか、丹田がしっかりと大地と交流して、一体となった姿が出来たということが、最高の美になっているのではないかと思います。そのようなことを話したのですが・・・。

 

◇「神」の「武」に帰る

要するに我々は、これは小笠原先生がいう「王道」と「覇道」というようなもの。王がどうしても「覇道」を一緒に組み込まなければいけない、というそのような大変な時代というか、この3000年というものは、その始まりの時が日本においては神武天皇の時であるわけですね。それを「神」の「武」としたのではないかと思いました。

これは、「神」の「武」としての姿というものが、リード先生なんかもやっておられる、合気道というところで、植芝盛平翁がそれを掴んで、それを表現したわけですね。これはまさに舞踊のようであり、相手をもちろん倒すことでもある、そのような境地に入っていった世界なのではないかと思います。

本来、「王道」だけで世界が動けば、それが一番よかったこと。ギリシャでも神聖政治といいますか、哲人たちが本来の政治を任されていけば、きっと良い社会になったのかもしれませんが、そして、その根本にあるのがイソノミヤの社会だとは思いますが、そのような「王道」が出来なくなって、しかし、それは「神」の「武」としての、「武」の使い方があるのではないのか?ということで、神武という第1代の天皇が起こったのではないかと思います。

その神武の元に帰るということは、その時の神武天皇の周りで「武」を行っていた人たちの正しい心に帰るということであるわけですね。

 

僕が山梨に戻ってくる時には、色々な先生方からいわれましたが、要するに甲州流になってはいけないということはですね、それは、一種の「覇道」だけになってしまう部分があるわけですね。それを音無さんもはっきりと見られたということだと思うんですね。

ですから、今の時代にもう一度、まつりごとといいますか、神祇官としての役割があるとすると、そこにあるのは、やはり誤りのない正しい生き方というか、憲法第1条ではありませんが、その天皇というものの役割というものが、本当に「王道」でいけるような、世界に何十年かかるかわかりませんが、そのためのひとつの試金石になれれば一番、日本で初めに「神」の「武」という意味の、「武」というものを取り入れて、祭政を行うというところに来たことが役立つわけでありますね。

そのようなことを今我々が『神武天皇崩御祭』ということを通じて、確認して、そして新たに、皇太子が次の天皇になられることで、それが日本の一番の安泰に繋がるというかですね。これは今の憲法がまさにそうでありますが、

それをそのまま実践するという意味での中身であろうかと思います。

もちろん、皆さんそれを当たり前だと思って暮らしておるわけですが、それはですね、原点回帰して、神武天皇の時の生き方を我々もしてみる、と。

そして、その方々がまさに88人というか、大祓の、始まった1000年前の延喜式の時の大祓の中身もまたそのような内容であったと。まさに日本の国を守る部族長の集まりであり、その部族長に対して大祓をあげて差し上げるという役割ということになろうかと思いますが・・・。

 

◇日本人のDNAに回帰する

今、我々はそのような、日本の国を守るという決意を持った方々を祓い清めるということをですね、もちろんそれは重複した役割のところを持っている場合もありましょうが、そのような使命が下ってですね、今この時代に、この一、二年の間にはっきりと実行していくことなんだと。その辺のことを、誰にいわれたわけでもなく、そのDNAといいますか、日本の精神が指し示すところから始めるということです。

昨日の、日本人と中国人の血筋の方で、八卦掌というものを最後に伝えられた方が甲府に来られたわけですね。その方が来られて、それは象徴的ではあるわけですが、やはりそれは守っていただくという、そのような方々が世界から来られるのではないかと思っております。そのような方々を含めて88人というか、888人でもいいと思うんですね。

デジタル的には、我々は秘密の装置もありますが、アナログ的には、祈りの集団が、この甲斐の神業としてですね、できれば一番良いかと。

 

◇「フトマニの里」構想

白川学館大学として、そのような祈りの祝殿としてですね、今度は第3祝殿として、鎮魂道場としてですね。そのようなものがあって、祈りの場があれば、さらに良いのではないかと。

そのような中で、本当に皆様方が、祈りの、それぞれ・・・。まぁ、そこを終の住処(ついのすみか)としてもいいのではないかとですね、みんなで一つの新しい社会ができるような形、まぁそれを我々は「フトマニの里」と呼んでいますが・・・。

今、にわかにパッといってしまいましたが、4月の5日からそのような宣言をしようと考えていましたが・・・皆様方には先にお伝えしちゃいましたが・・・。

「フトマニの里」構想というものがございます。「フトマニの里吉」ということで、そこのところは今、この場所のところは1800坪のところが、いよいよ、ぶどうの木を残しつつ、公の公園と、この場所が、皆様が寝泊りでき、鎮魂ができ、祓いができ、図書館で本を読むことができ、会議室あり、会社あり、人の会社でもいいですよ、そのようなものが一緒にあるようなものというものがグランドデザインになるような。

これは大体、去年の12月の伊勢のお参りで、井坂先生に全て神事が降りておりますから、ラフスケッチが書かれると、それがいよいよ設計に落ちてくるということですね。今後は皆様が音頭ですから、心強い限りでございますが、「フトマニの里吉」構想は、4月からいよいよ始めます。

 

◇天皇陛下という存在を、高らかに支持していく

そのようなものと同時共時で、この二年間で、日本を守り、その中心となる天皇陛下という存在を、高らかに支持していくというかですね、そのようなこと。それは戦前のですね、これは今、色々といわれていますが、昨日も私にある大手の週刊誌から電話がありまして、○○さんはここに来て何をいったんだとかですね、色々なことを話せといわれましたが、我々はどの党にも組することはないというか、本当に独立系でございますから、本当に自由に、しかも何の制約もなく、しかし、その想うところは、神業というか、神事として行えるような、そのような実態というか、そのようなものが出来ておりますから、いささかの不安もないわけでありますが、慢心することなく、本当に日本のために役立ちたいということで、世界の平和のためにも役立ちたいということでやっております。

この一元、二元という捉え方もありますが、ちょうど八元の、2004年から始まった20年間がいま起こって、2023年には、八元という大変化、大変革の年、その20年が大きく動きますので、大きな変化がありますが、それはより良い変化にしていくような、そのようなことになればいい。そのような、我々の言霊の幸いがあればですね、非常にこれは実現出来るのではないかと。そして、次の20年が、それをより良い方向にもっていって、また次の全く新しい180年が迎えられるという、非常に大事なところに来ていると思います。

明治大帝以来、天皇を金帝・銀帝・銅帝、それから泥帝、それから哀帝ということをいったものがあったようですが、それが、いかにも白川がいったような、そのようなことがネットにも出ているものもありますが、私はそれを先生にお聞きしましたが、何にもないということで確認をとっております。

先生の白川の地鎮祭のビデオが久しぶりに出てきましたので、それを記録はしておきましたし、そこに先生のお祓いの声も残っておりました。昨日見まして、懐かしい想いで、先生を思い出していましたが、先生は本当に心配されて、ちょうど昭和天皇が崩御された、その年にお亡くなりになりましたが、本当に日本の未来を考えて、天皇の道を考えておられました。

今日、皆さまと共に、この孝明天皇が決められた『神武天皇崩御祭』を滞りなく行わせていただいたし、このことで、さらに今日その背後にある、88人というか、本当の同志の再結集というものが、いよいよ高らかに神様の前で報告できたと、神武天皇の御霊に報告出来たということで、非常に良かったと思っております。

これからも皆様方と共にですね、そのあたりを是非一緒に歩んでいただきたいと思っております。

今日は本当にありがとうございました。