0082話:2017年03月20日

【弥生月次祭文】

◇廬山寺へお参り

今日は春分の日、昔でいうと春季皇霊祭といういい方もありますが、春のお彼岸というか。私も何日か早めに、京都の白川家の墓前に行ってお参りをさせていただきました。

白川家の墓所は、廬山寺(ろざんじ)ですね。御所のすぐ近くの、京都府立医大のすぐ近くで、鴨川の堤の近くというか、昔は、堤中納言という人のお屋敷の跡だったんですね。廬山寺というのは京都の公家さんのお墓で、格式の高いお寺の一つなんですが、そこに白川家の代々の御霊が祀られているわけですね。慶光天皇の墓所とかですね、孝明天皇の長女ですね、ひめみこのお墓とかありました。

まぁ、私が高濱浩先生と一緒に30年ぐらい前にお伺いした時は広かったのですが、現在は随分とまとまってしまっていたから、絶家ということもあって、後の供養といいますか、祭祀権といいますか、お参りをどうしているかということを色々と調べさせていただいたわけです。京都の政治家に仲介していただき、廬山寺の町田管長に取り継ぎをいただいて調べていただきまして、そしてその全容がわかったんですね。

江戸時代に分かれた方も、やはりそこをお祭りしたいということで、伯王家のお墓のその横に、墓所をしつらえようということで用意されていましたし、あと、白川の直系が絶家になっておりますが、飯野さんという方が、毎年お参りされていることもわかりました。

どのような形で我々がこれからお参りをしたらいいのかということを、町田管長とお話をしまして、我々が独自でやってよろしい、という許可を得ましたので、これからはですね、京都で年に何回か祭りもですね、していこうと思っております。神道式でもいい、とのことで御許可をいただきました。

それで、我々の立場としましては、江戸時代の白川家学館から平成の白川学館に移って、我々が、おみちというものを伝えているということをご理解いただいてですね、我々がお参りできるということになりましたので、皆様方も今度、お参りする時がありましたら、お訪ねしていただければ宜しいかと思います。これからのお参りが可能になったということで、非常に良かったと思います。

これはSさんご夫妻や、Iさん他何人かが、今年に入って行かれて、様子をつぶさに報告していただいていたので、わかったことも沢山あったし、今回行くきっかけになりました。

今日、このように皆様の前でご報告できることは、非常に嬉しいことでございます。我々が毎日、白川の神々に対して、お祓いをあげていたことが、みごとに繋がったのではないかと思っております。今日は、この春彼岸の中日ということでもありますが・・・。

◇先祖に対する愛

今回、非常に感じたことは、ちょうどですね、今朝、Sさんとも話したのですが、我々も25年ぐらい前に、Peer to Peer(ピア・ツー・ピア)という、一つの理想的ビジネス社会のあり様というものを目指して、イソノミヤの前身になるような、そのようなことを発想して、実現しようということを誓ってきたわけですが・・・。

僕は、このピアというのはですね、実は「PIYA」というか、これはインドから来たものですが、「先祖に対する愛」のピヤにも通じるんですね。愛には色々な愛がありますが、これが民族や氏族、家族や、あるいは自己というものに対する愛と色々あります。

このピヤというものと、ツー・ピヤというか、to PIYA(ツー・ピヤ)として先祖同士が結局仲良くするというかですね。それが氏族同士が仲良くすることにつながるのですが・・・。我々は月次祭で、この50人いれば、50人の家を、Tさんに一軒一軒の遠津御祖神ということで読み上げてもらいますね。白川家と、それを伝えてくださった高濱家、そして皆様方の各家と一緒にですね。これは、まさにPIYA to PIYA(ピヤ・ツー・ピヤ)というか、先祖に対する愛というものを持っている同士が、また一つの集合体になるということがあろうかと思います。

◇部族の広がり

その源流というか、その学問がエスノロジーというかですね、民族学とか人類学、あるいは民俗の方もありますが、そのような学問ですね。それは何を研究しているのかといえば、人類というものが散らばり、広がっていく時の研究なんですね。世界に散らばっていっていくのですが、もとは、民族学でいうと、5部族ぐらいがあってですね、それが次第に広がっていくわけです。広がり方は、例えば、古事記の神々の流れと同じように、5が10になり、10が50になると。広がり方があって、中国なんかは、50の部族が、もっとあったんでしょうが、寄り合っているのではないかと思っております。日本もきっとですね、部族の集まりがあって、それが各地に配置されるような形ができるのが1000年前の、大祓の中身に書かれているようなことなのではないかと思います。17とか、17が51になったり、それが66とかいう広がりというか・・・。これはですから、第3種の拍手の中に残っているのは、そのような数があるんですね。そして、それがまた88という形で広がっていくわけですね。

◇音無と玉置の結合 ヤタガラスの発展形

この間、元熊野の血縁と霊統を持たれた音無さんが来られてですね、いよいよ新しい元熊野の源泉である、音無神社と玉置神社の結合が出来て、それで元熊野ということになりまして・・・。元熊野ということは神武天皇をお支えになった最初の三部族、あるいはそれの拡がりですね、というものがあるわけですね。その主のような方がですね、音無神社の血縁、そして玉置の血縁を持った方が来られてですね、そして我々と一緒にやっていただくという式をさせていただきました。

これは、いわゆるヤタガラスといわれておりますが、その原型になるような集団が、実は我々がこの時代にですね、そのような結集するということになったわけですね。そのような結合が出来ました。

ですから、大祓というのは部族長のような人たちにお祓いをあげてですね、清まって、そして日本の安寧のために働いていただくというのが、本来のヤタガラスの発展形の中身であるわけであります。陰の何かオドロオドロシイような内容なのではない。

しかもそれは、時代時代で、ひとつの・・・特に天皇を中心として、天皇がお立ちになる時に結集される、ということが歴代の風習、慣習なわけですね。そのようなことを今、白川学館というものにはですね、そのミッションがあるんだということを本日はお伝えしたいところであります。

◇DNAとしての元は同じ

その原点になるところは、PIYAとPIYA(ピヤ・ツー・ピヤ)ではありませんが、先祖の愛というもの、それぞれの先祖が共に・・・、まぁ、もちろん一人ひとりの先祖は、それこそクロマニョン人から、ネアンデルタール人から、人類の子孫のところ。これを現代のミトコンドリアDNAとかですね、そのような統合したというか、DNAの研究では、元にあるエバというか、お母さんということに繋がるのでしょうが、そのようなところに繋がったみんな元は同じなんだというところですね。宇宙人なんて方もいるかもしれませんが・・・(笑)。

そのように一緒に、仲良くなるということが世界平和ということの一番の根底にある我々の祈りであり、そして願いであり、また生き様であるわけですね。そのようなことを実現するために、ピヤ・ツー・ピヤというものをまず実現していくと。それは、今日、50人お集まりいただいた血の、DNAの、あるいは先祖の中に脈々と繋がっている命というものの流れをですね、先祖同士がさらに仲良くなっていくというところに、この春分の日にですね、今日の月次祭が行われていることが、非常に大切な中身なのではないのかと思います。

本日はありがとうございました。

◇おわりに

それぞれの専門家がですね、専門的にやっていることを、本来は役割としては、統合していかなければいけないのですが、その時その時で、お話を聞いたりしてですね、そして判断をさせていただいたり、あるいは関わらせていただいているのですが・・・。最近は記憶というものの悪口を盛んにいっているのですが、どんどん記憶というものが自分の中でもって、量が多すぎて、記憶が非常に危ういなということがあって、これは寄る年波ということもありますが・・・。

ここを何とか超えなければと思って、まだそのような構文が考えられていないので、発信したらどうなるかな、ということを今週はテストしたいと思っております。多分、相当早くなるかとは思っておりますが・・・。

先週、今月の中で感じたことは、デジタルが良いとか悪いとかという考え方もあるのですが、我々は、ボーカロイドで、あるいは誰かの声に似ているけれども、コンピュータの合成によって作った声で、お祓いを20年ぐらい前からやってきたのですが、非常に精緻になればなる程、そのような人口音ではないですが、その音が、やはり・・・。

しかし、人間の生の声との違いがあるわけですね。ですから、ボーカロイドをそのまま、自分に近い音として発生すると、心地よいところはあるんですよね。非常に正確に、信号としては出ていますから・・・。

いい面もあるのですが、やはり、それでもなおアナログというか、その部分というか、これを出すのは、我々の固有の声というか、それがまた特徴でもあるわけですね。差別(しゃべつ)でもあるところでもあろうかと思います。

ですから、そのところを大切にするというか。だから、もし、音程が外れていようが、いまいが、僕はそれもその人の個性ということでもあるから、それを出しながらいくのが、一番・・・。その上で、みんなのお祓いが合えば、それは最高のお祓いになるのではと思います。

我々は、お祓いをとてつもないエネルギー場に変えることが出来るのではないかと思っているのですが・・・。皆様方が巡る、この場というか、祝殿であげたものが、その祈りが世界に響くような、大きなエネルギーになるのではというのがお祓いの根底にある想いなんですね。ですから、皆さんの声が毎回毎回違った音色になったり、結合していく音色だと思うのですが、この音色が本当に世界を少しでもより良い社会にしていく、そのような祈り、あるいはそのような音、そのようなところに行くのではないかと確信しております。

ですから、山梨のあるところに、今、音無さんと一緒にやっているのはですね、888人ぐらいでお祓いをあげたら、どんなお祓いになるのか?ということで、それが可能になるような場所を用意できるのかもしれないと思っておりまして・・・。きっと、アナログ的なですね、生の声がですね、合った時に、とてつもないエネルギー場になるということを感じております。

今、本当に色々な音楽会なんかでですね、今日も石原さんという方が、世界で3000万人を集められるような組織を持っているといわれますが、きっとですね、デジタル的にはそのような音で、みんなを盛り上げることが出来ると思いますが、やはりそれが本当に、西洋でやっているような音楽会のようなものも一つの大きな展開になりうるのではと思います。

柴田南雄さんという人が日本の交響曲を作った人で、「ゆく河の流れは絶えずして」ですか、方丈記、鴨長明のそれを作曲して交響曲にしたのですが、それが全会場を響かせる、合唱団が聴衆のまわりにいって、サントリーホール全体をその場にしてしまうようなこともやっていましたが・・・。きっとですね、大祓でそれが可能になった時にはどんなものなのだろうかと。それが、また鎮魂や、ひとつの大きな古事記の物語として、それが展開されたらどうなるんだろうかということを想像しました。

この間も、能澤さんに大来皇女の作詞をしていただいたものを、今、それを曲にしようとしてですね、作曲をですね、はじめています。そのあたりは、折口信夫の「死者の書」ということでありますが、大来皇女が大津皇子を鎮魂した音色といいますか、鎮魂の音色が非常に大事な・・・。

我々は、今、憲法第1条をこの2年ぐらいの間で全うしなければいけない中身ではありますが、そのことが非常に大事なところに来ているのかと思います。そのような無念の想いをされた皇太子や、あるいは親王たちの想いを、詩で、西洋的にいうとリズムで、鎮魂することも今、用意をしております。

エスノグラフィルムフェスティバルで金さんが入賞したら、またお祝いしなければなりませんが、もうじきフランスに行って、ノミネートされたのですが、入賞すればいいと思っております。

まぁそんなことがありまして・・・。 本当に春で、いよいよ桜の花が咲いて、秋の稲の花が咲くという予祝の時に来ておりますが、我々もですね、本当に秋の豊かな実りを求めてですね、ひとつ予祝したいと思っております。4月2日は、また、宜しくお願いいたします。

今日はありがとうございました。