0086話:2017年03月27日

◇自分が自分で心を決めて生きていく

我々の五階層というか、神とか、霊とか、感情とか、体とか、五階層で表現しますけれども、我々は普段、心というですね、抽象的な言葉をいつも使っているわけですね。学問とすると、その研究は心理学に当たりますね。体のことは生理学とすると、心は心理学だと。魂はどちらかと言うと、精神医学に入る分野もありますけれども、心も精神医学に該当するところもありますから、非常に範囲が難しいところはあります。それでも心は、普通に何気なく使っているわけですね。心を付けた沢山の言葉がありますけれども。このへんはどうも曖昧なところです。

心理学というのは150年位しか歴史はなく、今、盛んに心理学の成果を色々な臨床に使ったりしていますけれどもね。昔は占いというようなもので処理するところもあったと思います。人間の心理分析みたいなものを非常に大雑把な分類をしていたわけですけれども。血液型みたいに、4つ位に分けたりとかですね。性格を分けたり、心がそういうところから出てくるのではないかということですけれども。

話は長くなるから、端的に言うと、心は、自分が自分でどう生きるか、ということを決めたり、それに基づいて実践しているわけですね。心から人間を見ると、自分が自分で心を決めて生きていくというかですね。そこでその心の中身を、先に定義しないといけないのは、魂と情緒のその接着面のようなところに心の存在があるというかですね。ですから、間違えると自分の感情で左右されたりですね。魂の方に行っちゃうと、今度は極端に一昨日の第6種鎮魂ではないけれども、極端な部分というかですね、とらえてしまいます。だから、その両方とも間違えてしまうということは起こると思うんですけれどもね。

◇自分で始めよう!と決意する

我々はある面では心という働きを使って生きているわけですね。普段我々は、自分を主に、心の問題を考えてしまうということになるんですけれども。そうすると、心コロコロというか、心ここにあらずというか、色々な言葉があるんだけれども、要するに、心が丸くなって、魂に貼り付いている場合もあるということですね。色々な表現があるけれどもね。心をコントロールと言ったらおかしいけれども、自分が自分の心としてコントロールすることが必要になるわけです。やはり心をコントロールされてしまうというか、それがいっぱいある心理を使った学問というか、人間の心理を研究した技法を使われて、自分が操作されてしまうということが起こるわけですね。

ですから、自分が何か行動する時に、フッと振り返って、あるいは、始める前に、これは自分が決めたことだから、自分で始めよう!と決意することが出来るかが大切になります。会社ですから、これをお願いしますということも多々あるかと思いますけれども、それを自分が納得して、その仕事をするのか?あるいは、そのまま業務としてやっているだけなのか?は非常に大事なところになります。その時に、自分が前にも言ったかもしれませんが、自分がその仕事を進んでやるんだと。やって楽しいからということでもいいし、それが必要だから私がこれをやらなければいけないとかですね。自分の表現方法は色々とあると思います。

究極は自己というものが、これ以上分解できなければ、まだ自分というものが絶えずあるわけですね。瞬間瞬間で変わっていったり、現れたりする自分であるけれども、あるいは、体があるけれども、その時、それが自分だと思う自己があるわけですから・・・。その選ばれた自己が自分に対して、それをやる!という宣言をするということですね。そういうことを自分でやると。自分がそれをやるからやるんだ!と。一度、主観と、外から来る客観というか、それを自己の中で出来るかどうかですね。出来なければ聞けば良いわけですね。

◇省みるということをしていないと・・・

では、自分の心というものは一体何なのかということですね。完全に論理的な存在ではないわけですけれども。言ってみれば、外からのエネルギー場でもって、心を操作されてしまうという洗脳とかが、起こりうるわけですね。そのことを気が付かなければいけないこともいっぱいあるわけですね。

我々は業務ということを客観視して、一つの組織と体制の中でやっているわけだから、そんなに大きな間違いはないし、もし言うことが間違っていたら訂正することは可能なんですね。もし相手が強い主観があって、その人をある行動に駆り立てようとすることはいくらでもあるわけですね。それは主観の強さだけで、まずは弱いと。自己というものを強くするというのは色々と問題があるわけですね。自分自身が五情というか、省みるということをしていないと、とんでもない間違いを犯してしまうわけですけれども。

ポイントは、自己自身が強い相手とか、他の人の強い主観に対して、それを受け入れてしまうとそういうことになってしまうと。出来ないことでも出来るようになってしまったりですね。それが一種の心理の中で言うと、催眠というかですね。催眠効果というものが出てくるわけですね。単なる洗脳とか、強制的なものではなくて、相手の強い主観ということですね。その主観に操作されてしまって、一時ですけれども、そういうことが起こるというかね。それが度重なっていくと、今度はそれが、次第にそうかなと思ってしまうというか、意識の段階に来てしまうということですね。無意識とか、潜在意識にあったものを操作されて、今度は意識を操作されてくるということも起こるわけですね。

◇一つに決めると知恵とエネルギーが働く

ですから、問題を祓うということは、そういうものも祓うんですけれども、結局、自分の中に心理というか、自己自身が自己自身にかけている催眠なのか、外からのものなのかと。色々な言葉を使ったアフォメーションとかあるのですが、そういうものに捕らわれていると入り込まれてしまうと。そういうことが起こるわけですね。それは強い主観のものが、あるいは、一番自分が弱い時に操作されるということが起こるわけですね。

困ったり、大変だなと思う時に、強くなければいけない、困ったさてどうしよう?と思う自己は、一つの解決を図ろうとする自己であります。どうするか一つに決めると、あとは「強い心」を持つかどうかで、そこに知恵とエネルギーが働きます。それがこの3日間くらいの稀勢の里でも、あれは心が強くないと出来ないことですね。それには、自己の体というものが強いということの確信があったり、傍から色んな方々の、お医者さんやトレーナーや色んな整体師の方々が一斉に動いたわけで、そのことをつぶさに聞いていると、やはり最終的には、彼が出る!という強い心で臨むのですが、それがみんな逆吉になって感動するわけですね。

ましてや、体の一部を酷使するから大変なことも起こるわけですけれども。そういう強い心を、普段というか、一番肝心な時に、強い心を持っていないと、負けてしまうといこともあろうかと思います。そういう時にこそ、自分自身の心を強くして乗り越えていくということをやらなければいけないかなということを感じたんですけれどもね。

◇判官(はんがん)贔屓(びいき)

我々は弱いものにも弱いし、強いものにも弱いしというかですね。そういうところもあろうかと思いますから、そこは非常に難しい面があると思います。自分自身のあり様というものが判官(はんがん)贔屓(びいき)とかですね、日本人の特性とかもありますけれども。そういうものもあるんですけれども、強いものには巻かれろとか、判官贔屓とか、両方があるから、非常に良い面もあるけれども、自己自身の心が強くて可能なことであるからですね。

そこを間違えると、非常に大変な悪い方向にみんな一斉に動いてしまうということもあるわけですね。そのあたりはよく注意して、日々の中で心を強くするということを前提にした生き方をやって頂きたいと。いたずらにただ、自分を強く振る舞っても駄目ですから、そこは自分自身の意志というか、そういうものとの折り合いをつけていくということですね。その上で、心というものを強くするという一つの生き方というか、方法をしっかりと学んでいないと、意識していないと、非常に大きな、大事な時に、曲がって実現出来ないというかですね。

◇心の働か方を知る

我々は、一つの組織と体制の中でやっていますから、どうしても我々のいい意味のところの弱さをとられると、心ここにあらずとさせられると、非常に弱くなってしまうということですね。ですから、そのあたりを見るということが大事なところかなと思います。なかなか心の問題というのは、非常に乖離というか、ある形で丸くなってしまうと、心が丸いと思うんだけれども、それはどこかにコロコロ転がっていくんだけれども、自己の中でコロコロ転がって行く間に、色々なものを接着してしまい動きが取れなくなるということもですね。それが精神的には分裂していくということにもなるわけですけれども。また、その中で、自己保存の為の強い意識が働くと、結局、それに左右されてしまうというかですね。だから、我々というのはどちらかと言うと、心が優しい人が多いから、その心は悪くないけれども、どうしても所謂、色々な意味で、電話をとる場合でも、優しいから長くなってしまうというかね。コールセンターにしても、人が足りないからしょうがないけれども、例えば、何分という風なですね、そういう時間というものをしっかりと決めて、その範囲の中でやると。もちろん、解決できなかったら、もう一回、お話しましょうということで良いと思うんですけれども。そういうある一定の時間で、一つの区切りにするということもあろうかと思います。

ある面では優しさと強さというものは、相手の色々な問題が解決しないということはないという想いももちろんあるけれども、一方で、相手に不快な気持ちや優しさを感じられるようにやるということを同時にやるということだと思うんですね。だけれど、そういう時に自己自身の優しさだけでいくと問題があったりするということもありますから、そのあたりも注意しながらやるということですね。心の働かせ方を知るということがですね、非常に意識のある、無意識や、はっきりと決めたこと以外は、そういう間があるということですね、心というものの働かせ方があると。それがエネルギーの出し方でいうと、気であったり、気遣いであったりですね。気と心の問題というのも色々とあるから、また次の機会にお話したいと思います。心と気と体という分け方もあるから、そのあたりは、もう少し詳しくこれから皆さんにお伝えして、心の問題のテーマとして、しっかりと社会の受け取り方の違いを含めて、やっていきたいと思います。

魂と心との違いを明確にしていかないと、一昨日の第6種伝授ではないけれども、荒魂・和魂・幸魂・奇魂・精魂という魂と心の関係は案外、分かっているようで分かっていないからですね、そのあたりを詳しく言おうかなと思っております。

今日はそういうことを心と魂、あるいは、体と感情の関係というかですね、そういうものの違いというものがあるということをまずは知って、その上で、心がどのような働きを持っているかということを、これから学んでいくキッカケになればと思います。

よろしくお願いいたします。