0097話:2017年04月13日

Tさん、何か言うことがありますか?

 

【Tさん】

今日のペースは、92くらいでした。

 

【七沢代表】

◇江戸の頃は鈴で音頭を取っていた

だいたい見当はみんなついているんだけれども、たぶん速い方には合わせにくいから、遅い人に合っていくんでしょうね。

もう一つは、自分が音頭を取ろうという意志のある人が遅い方になると遅くなってしまうと。そういう特徴があります。

これからは多分これだ、という音頭というか、江戸の頃は鈴で音頭を取っていたそうですが、そのようなものが必要なのかもしれませんね。もっと速くするにはですね。今頃、そんなことをと思っていますが、本来、何千年もやっていたことだけれども、なかなか秘密だったり、あるいは多人数でやるということがなかったんですね。

江戸期に白川祭祀を広める時に、白川のお祓を沢山の人がやるようになったので、そんなことが。その辺も、高濱先生の時には、下鴨道場では若干あったそうですが、どういう風にやっていたのかということが詳しく伝わっていなかったことがあって、我々は特に150年間、西洋音楽の流れの中で、これを音楽としてみると、なかなか難しいということが分かりました。これをオーケストラや合唱の時のように考えると、オーケストラの場合は、フォルティッシモとか速さを表すものが色々とありますけれども、指揮者によって速さが全然違いますよね。

◇完璧なものがまだ出来ていない

それぞれの個性に合わせてやっていくわけですよね。それをある面では、その時の音頭というか、日本では音頭を取るというのですが、その人に合わせるというかね。

先生が一つ言っていたのは、お祓いが方言になっていくということを仰っていましたね。我々は標準語で言っているので、それほど大きな差はないけれども、京都あたりに長くあったから京都弁というとおかしいけれども、そういうものの影響は凄くあって、それになってしまうということもあったと思います。先生たちの場合も、そういうことがあったと思いますけれどもね。

その時の新しい人が入ってくると、ボーカロイドで正確にあげているから、伸ばすところでつまづくところがあるわけですね。そこで長くやっている人と、初めてやる人の違いでもって、いつもここで50人位の新しい人でやると伸びないで、我々が伸ばしていくと困惑するようなことも起こってきます。それも一つの我々のあげ方だと思うんですね。それは美しいというか、後ろの方を伸ばすと、そういうメロディーのようなものになって、心地よいことは心地よいのですが、緩急が出てきてしまうということもあります。ボーカロイドのように丁寧に合わせてやるということで、丁寧にやるというか、それに合わせるということは一つの必要性はあるんだけれども、完璧なものがまだ出来ていたわけではないから、その点はこれからの課題でもあります。

◇テンポは、自分の体感でだんだん掴んでいく

今日はテンポを100でと言うと、いつもの111よりもゆっくりだという解釈をして、自分が今度はそれ以上にゆっくりになるということが、一種の心理操作みたいなことが起こってしまったのかもしれませんね。自分の体感をだんだん掴んでいくということが今、必要かもしれません。テンポが合ってくると、今度はそれに合わせて、自分の中で出来るというかですね。絶対音感ではなくて、絶対テンポというものがあるかどうか分かりませんが、時間というものを感じながら出来るような、そういう祓いにもなるというかですね。

今更、言ってまたそれをやろうというのは、非常に典型的なアナログの世界かもしれませんが、そこのところも懲りずにやって、とにかく音程だけでも合わせるのに一苦労したのかもしれませんが、速さで音程が合ってきているということは、今回の利点になったのではないのかと思います。今度は音程が間延びしてくるという一つの流れがあるのかなと聞いていて感じました。そんなこともあって、一変にはいかないけれども、徐々にそういう良い方法を我々でやるというかね。ポイントは、気持ち良いからということで漫然とお祓いをやるということではなくて、その辺を一つの時間内に収めつつ、心地よい祓いもあるんだと思っています。

◇階層を確認しながらのコミュニケーションプラットフォーム作り

チャットの話ではないですけれどもね、話題になっているところですけれども、そういうものの両方が、それぞれみんな、個人個人によって感覚が違うわけですね。自分の頭で考えていることが、人が分かるわけではないし、また、非常に精緻に言葉を言ったとしても、それがまだまだ論理構造になっているわけでもない。その中間体のところに人類がいて、その中で意識進化と絡んでいるから、意識の問題もまた、要するに、体の意識と情緒的な意識と、それから神意識というのは階層的に違うわけですから、統合しながら今、コミュニケーションするわけでしょ。だから、コミュニケーションプラットフォームということは、最終的にただ人と人、人と神だけではなく、人と自然など、自と他、あるいは自分と自分ですね、そのコミュニケーションのプラットフォーム作りということであり、階層を確認するということであって、それをプロセッサーにすると。それを一つのデジタル的な機構にする、装置にするということを目指してやっています。そうそうすぐに出来るわけではありませんが、人対人でも、子どもの体罰のようなことで分かるのか、感情的な言葉を使うのか、それとも芸術的な形を使うのか、そういうものが組み合わさってコミュニケーションの一つのプラットフォームになっていくということですね。ですから、なかなか一筋縄ではいかない。

◇意識は、階層があって進化することを頭にいれておく

今の世界では、ほとんど解決していないですね。数学上でも、物理学上でも、まだ解決していないですね。そういう中で我々がそういうものを前提としてデジタルの世界の中で装置化しながら、それを使用しながら、人間関係と、より良い仕事にしていくということは非常に難しいところがあると思います。そういう中で、イソノミヤということであるから、無支配ということでいかなければいけないということは分かっていますが、私もこうやればいいのではないかという思いがあって、それを強制すれば、それは支配になってしまうけれども、支配をしない、だけれども一番効率の良い方向に行くということは大事なことですね。効率良くするということが、今度は人の情緒を考えないということが起こるからまた難しいですね。

そういうことも含めて、そういう意識というものが、階層があって進化するということを頭に入れておかないと、なかなか人間関係というものがギクシャクしてきたり、コミュニケーションが上手くいかなくなるということが起こるわけですね。その辺も十分に鑑みて生きるということ、仕事をするということ、食事をするということを含めて、自己を知る為のコミュニケーションの仕方を考えていくということが、ここの最終的なコミュニケーションプラットフォーム作りで、コミュニケーションプロセッサーの装置化が完成する為に、今の苦しみというかね、ある面では齟齬というか、色々と心のギクシャクがあるけれども、そういうことを含めて共にやっていくということが非常に大事なところではないのかなと思います。この何日か特に感じました。

私が仕事上の大事なコミュニケーションであるチャットのところを、あまり見ていなかったからいけなかったけれども、これからはそういうものもなるべくどこかに入る形か、時々、どうしていけばいいかということを考えながら、みんなに話していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。