0102話:2017年04月20日

◇始まりはデジタルでもアナログでもなく、両方を含んだ創造意志

我々は、この時代というか、狩猟採集の社会、あるいはもっと以前から人類の歴史はあったかもしれませんけれども、商業、工業、情報化社会と加わって、今、色々あります。これからも我々は、進化した社会を受け入れなければいけないテーマは沢山あると思いますけれども。丁度、一気に幾何級数的に人類の文明、社会が大変化しているわけですね。例えば、2004年から始まった20年のスパンでは、一気に色々なものが変わろうとしています。その根っこにあるテーマみたいなものが、たぶん機械の発達によって、一気にデジタルとアナログが対立項のように見えてきていてですね、何か我々も、これからデジタルメディテーションではないですが、そんなことを言うということは、一種のアナログに対する二項対立的な捉え方になっているように思います。

人間は、端的に言えば、自分の中に要・不要の原理に基づいて、経験を組み込んでいくわけですね。すなわち、デジタルを組み込んでいくというか。それは元々、宇宙が階層的な宇宙コンピューターによって創られたと言われても良いくらい、始まりはデジタルでもアナログでもなく、両方を含んだ創造意志というところに、我々は根拠を置くしか無いと考えていますがね。

◇我々のいわゆる生体の中に、実は驚くほどデジタルを持っている

創造ということをテーマにしないと、ただ初めから宇宙はありました、今もあります、これからもずっとあります、という表現になってしまう。もちろん、人間がそういう長い時間をどこまで把握できるかということはあろうかと思いますけれども、要するにポイントを言うと、我々のいわゆる生体が、実は驚くほどデジタルに出来ているというかですね。

デジタルとアナログという言葉自体が、既にそういう二項対立的な言語構造から派生してきたものだから、それ自体も、既にアナログと言っても良いけれども、デジタルという概念を作った、非常に機械的な意味の中身を既に含んでいるというか、我々の生体の中に持っているということを考えないといけないということですね。

それは我々が今、文明を高度化する為に色々と言語を、悪く言えば、機械的な言語というものをコンピューターの中で、いじってきているわけですね。そんな中で、我々はコンピューターに入れるものとしてのビジネス言語というものまでも作りました。最後は、一音を父韻、母音、子音という音に分けて、脳の0.1ミリ秒で起こる一語の動きを装置の中で捉えるということまでしました。

◇言語遺伝子とは、我々に機械化して備わっている、元々の言語の記憶

どうも、元々の言語というものの記憶といいますか、始めにそれが機械化していったというかですね。今、あらゆる言語がバラバラにあると思っているから、なかなかそれが分からないのですけれども、その中でも日本語は一番稀有などこにもないような言語です。

もちろん、言語ですから、同じ機能を持っているわけですから、言語という意味では言語なんですけれども、なかなか同じような言語はないと分かってきたのですけれども。その言語というものも実は、父韻、母音、子音というところの表現としては、150年くらいで、そういう概念がもたらされたと言っていいわけですけれども、実はそれが、我々の中に既に機械的なものとしてそういうものが備わっているというかですね。

絶対音感があるように、言語DNAとしてあるように、いわゆる言語というものをFOXP2という、まだ研究が十分ではないのですが、言語遺伝子というものがあるということは、既に色々と言われているわけですね。そういう言語遺伝子というものは、一つの生体内の機械のようなものですね。

しかし、言語を音波として使っていく、あるいは身振り手振りのような光波を使っていくというかですね。あるいは意念というか、聞こえないような音を拾ってコミュニケーションする、これは動物では当たり前ですが、あるいはテレパシーのように遠くに離れていても会話するというかね、アボリジニーに残っているようにですね。我々もそういう機能が残っていると思います。そういう所謂、言語の使い方が色々と変わってきただけですよね。

◇人間がコンピューターを作り、「それ」から人間が学ぶ

それが文字になったり、あるいは今の時代では、機械の中、コンピューターの中に入り込んでいるわけですね。それはコンピューターが、単なる計算事務機から、知識事務機に移っていく、僅か30年位の間で、大きく変化しているわけですね。

そういう言語というものを使うのにも、様々な機械的な機能の中身を用意して、それを使っているわけですけれども。そういう進化が激しいものですから、読み書きそろばんではないですが、江戸時代の頃の知というか、そういうものが一気に五世代くらいで、知識情報ということだけとっても、高度化したということですね。体系が色々と出来てきているし、学ぶことが沢山あると。だからある面では、高速でということもありますけれども、高速ということは一つの意味があって、今の知識を受け入れていくということを機械的にやるということを、人間が装置を作って、コンピューターを作って、それから人間が学ぶということをやっているわけですね。

はっきりと我々が今、何倍速ということも言って、16倍で大祓を2分以内であげるというところまでやるということを言っているのは、そういう言語の人間が発するような音波の言語を高速であげるということは、一つの知識を受け入れる脳の態勢を準備して、そしてそれを更に機械的というか、デジタル的に取り込んで高速化するということを多分やっているんだと思うんですね。脳に非常に負荷がかかっているところもありますが、脳はそういうものに耐えられるくらいの性能をもっているのではないかと。

それをデジタル的に考えると、一千億ほどのシナプスの動きというものが、皆さんが不断にやっている脳の使い方でもあるわけですね。その中に言語というものがあって、そういうものをテーマにして、言語というもの、あるいは人間の記憶というか、そういうものを使いながら、人間の生き方を非常に高度化しようということですね。

◇何回も生まれ変わってするような情報量を掴まなければいけないという時代

1万5千年が、1500年が、あるいは150年が、たったの数時間の中で、もちろん、知識の体系は膨大な量の言語を使っている。例えば、コンピューター言語というのは、2万くらいの語彙を持っているわけですね。そうすると、我々はそんなに沢山の、一気に広がった語彙を全部覚えるわけにはいかないわけだけれども、少なくともコンピューターでやるような言語脳といいますか、そういうものを自分の中にデジタル的に落とし込むというか、そういうことをしなければいけない。

それは時代の連続でいうと、例えば来世とか、来来世とか、何回も生まれ変わって、そういうものを学び取るというかですね。あるいは悟りを開くということが前世とか、そういうジェネレーションとか、そういう世を通じて学ぼうということを今の我々の生きている間に、そのことを何回も生まれ変わってするような情報量を、自分の中に取り入れて記憶し、デジタル化すべき、そういう記憶というかですね、知識というものを習慣化しなければならない、掴まなければいけないという時代に来てしまったんですね。

これは人類がそういうところに入り込んだから、本当にアナログ的なことだけで生きるということはありでは有りますが、我々は少なくともコンピューターというものを使いこなしていくということを、機械、装置を通じて、人間の今までのアナログで知識を学んで、それを体の中に、あるいは精神の中に入れて、そして、それを恒常化していく生き方にするというかですね。

この世で、そういうDNAの中にしまい込んでいく、記憶していくという。せっかちな課題に突き当たってしまったというかですね。未来時間というものと、未来の社会を追いながら、今、それを掴まなければいけない。自分の中に、当たり前のこととして受け入れなければいけない時代というかですね。今、みんな戦争が起こったりとか、昔と全然変わらないという見方ですね。預言書や、様々な法体系というか、人間の倫理行事憲章を見てみると、一向に進化していないのではないかというところが、一気にそういうものが、自分の中に当たり前の行動規範として、受け入れられるというんですかね。作っていくことをしないと、新しい時代に駒を進められないのではないのかと。

◇自己の中にある試行錯誤をデジタル化し統合する、それが自然になる生き方

我々は所謂、今までの神道というものは言挙げせずで、言わないことが美風であったけれども、この新しい時代に、我々が知識でも、言葉でも、明確にそのことを語りながら、自分の生き様というか、自然に振る舞える生き方の中に、自己自身に知識や記憶というものを獲得していくということが進化ということの意味合いということになると思います。その辺りを含めた意識進化ということの意味合いを考えなければいけない。

我々はお祓いで、最初から神の名前を呼んでいるということは、神というものの一つ一つの概念の中身や広さを、自分たちの働きの一つとして取り込んでいくという決意表明をしていることになるわけですね。それが神というものを掴むということの中身ですね。

今、我々はデジタル的な装置を立ててやっていますが、少なくともそれは自己の中にある試行錯誤を整理して、デジタル化するということですね。それが自然になるということですね。誰もが自然な生き方をするという。

もちろん、人類は営々と同じことをしているわけですね。それはまさに世代を通じて記憶、あるいは知識の改訂的伝承作用というかね。それは人類だけが出来ることです。そのように頂いたものの中身を中心に、それを自己の中でデジタル化するというかですね。そういう統合がないと、永遠に我々もデジタルとアナログという二項対立の中で苦しむわけです。

デジタルから見ると、アナログであることが何か不都合なような、あるいは能力がないように見えるというか、そんなことは全く無いのであって、要するに、単純に自分の中に、どこまで生きるということのデジタル化、それは必ずしも、機械的なものではない中身だということをやはり知ってですね、それを統合してみるという観点を目指して思考するということが大事かなと思いました。

今日、そのようなことを感じました。ありがとうございました。