0104話:2017年04月23日

◇働きの強い神様

強い神様というのも何なんですが、どの神様が一番強いのかなぁと考えた時に、我々は仲哀天皇が、その神功皇后のご神事があった時に、嫌々琴をお弾きになっていたという、神事の時にですね。その時に仲哀天皇がお亡くなりになるんですね。その時の神様はと言うと、底筒男、中筒男、上筒男、の神様なんですね。ですから、我々が火打ちを打つ時に、三段で打つのですが、底筒男、中筒男、上筒男、というように・・・。それから祓詞の中でも、底津海津見神、底筒男命、中津海津見神、中筒男命、上津玉積神、上筒男命、というように、最初から一番大事な神様を、一番強いといったら何なんですが・・・。

これは住吉の神様と言われておりますが、この神様は相撲の神様でもあるのですが、去年、稀勢の里関に教えました。そうしますと非常に強くなって横綱にもなりました。

神道は、多神教という言い方もありますが、その神様の中で働きの強いというか、特に、相手をやっつける為に強いというだけではないのですが、そのような強さというものを必要としている時にですね、白川というものは、もともと神祇官としての役目があった時代もあったわけですが、そのような中身というのは、やはり国を守る為の強さというか、そのようなものがないといけないわけです。

話は下がりますが、白川のおみちを守ってくださった高濱家の中身もですね、中村新子先生は、昭和の20年代にも大活躍して頂いて、守って頂いたのですが、そのような強さというところをですね、非常にお持ちになった方であったし、またその伝統を大嘗祭が明治4年で終わって、あと白川家の役割というのは、子爵としてはありましが、そのような祭祀の中では、天皇の周りにあった神道を中心的に、吉田神道も含めて八神殿をお返ししたりして、東京に祭祀を集中にしたわけですね。それは今でも、皇室の私的祭祀になっております。

◇最先端を追求するという白川の役割

白川というのは、理論的には都合良く、といったら失礼ですが、時代時代の花形というか、単なる不易と流行ではないのですが、一番斬新なというか、納得出来るような中身というものを絶えず追求しているというか。しかもそれらを実験的に追求するということが、この白川の伝統なわけですね。ですから、白川の方々は、現代に生きておられたならば、科学においても、宗教においても、芸術においても一番納得出来るものを創造的に取り入れられたと思います。それは実際、明治以降の150年間で言えば、日本はそのような純粋科学を受け入れたりですね、西洋の芸術や、いわゆる音楽や文学を受け入れたわけですが、そのような中でも、白川の方々は、その西洋物語や科学というものにも抵触しないで、おみちというものを堂々と披瀝できるような中身として、説明知を高度化してきたわけですね。

江戸期に、垂加神道とか色々な神道が出てきますが、そのような中でそれらを吸収しても、何ら齟齬のない内容を持っていたというか、あるいは平田神道が理論化すれば、一番当時の流行というか、最先端の平田篤胤を学頭に迎えることもしてきました。

それは高濱清七郎先生はじめ、宮内忠正先生、中村新子先生、それから高濱浩先生方は、時代の最先端の研究をされていたということが確かにあるわけですね。江戸期には、白川「家」学館というものがあったし、高濱家がまた明治以降は、それを引き継いで、高濱「家」という形でしたがあったわけですね。それは神社神道の中にも残そうということで、中村新子先生の戦前戦中戦後の中でのお働きがありました。

我々が今の時代に、一般社団法人白川学館という形で、そのような白川の学びをお出しするにあたってはですね、今までの白川の実験的、あるいは科学的、あるいは理論的、絶対論理としての体系として、何らおかしくない中身として出さなければ、これは本当に失礼なことになってしまうわけですね。そのような意味での40年間、先生方から学ばせて頂いて、その集大成としての科学性、合理性、宗教性、芸術性、どの点をとっても批判されないようなものとしてお出しするということは、非常に大変なことであります。その点、皆様方の得意な分野でもってご活躍頂いたものを一つの体系として出していきたというかですね、そのようなことになろうかと思います。

そのような点での、おみち・言霊、鎮魂という三本柱でもって、体系を確認していくことをやらせて頂いております。そこで感じることは、やはり白川というものの本来の役割が、色々鮮明になってきたということです。

ところで現在、非常に世界混乱と言いますか、非常に騒がしいというと何なんですが、そのようなことを「ことやめしめる」という段階に至って、白川の役割が明確になってきたように感じております。最近の色々な情報の中身を吟味して、上がってきた情報から鑑みますと、やはり神功皇后が、それこそ昔の三韓というところに兵を向けるという中身がありましたが、ある時は日本が敗れ、ある時は日本が勝ちということが何千年と行われているということがあろうかと思います。まぁ、元(げん)の問題もそうですが・・・。

そのような問題が、一時の世界の混乱が、この日本海と言いますか、そこに集まってきているというか、それを一つの理由にして、戦争というものに広げていくような意味合いも無きにしも非ずですが、やはり、戦争を起こすという気持ちというか、偶発的にということもありますが、戦争を起こすという気持ちは、やはり人の心の中にあるものであります。原子爆弾というものを使うという気持ちが、人間に生じて、そして出てくるということが問題なのでありましょう。そのような想いをやはり萎えさせるというか、消していくということが、やはり人間の祭祀というか、それが大事な中身であって、そのような「まつりごと」によって解決していくことが必要であります。実際に戦争が起こる前に、祓い、あるいは解除するという心の有り様が出来れば、それがみんなの平安の為に一番良いことでありまして、それをいかにするかということが祭祀の中に含まれた中身であり、我々が本当に一生懸命にやっている祓詞と、毎日の祈りが大事になるのではないかと感じております。

国と国の争いはあるし、黙示録の預言でも、終末の時に起こるということが明確に書かれておりますが、そのようなものを少しでも和らげて、実際の戦争にならないようにすることが現代における人類の知恵であるし、そのことを担ってきたものが祭祀ということの段階で食い止めることが大事になるのではないかと思います。

もともと、中国の戦争でもそうですが、兵が向かい合った時に、まず最初に、王を呪詛して、王が死んでしまったら、それで戦争が終わりになったわけですね。よくあるのは日本では、一騎打ちというものがありますね。大将どうしが出てきて、やあやあと言ってですね、それでやることがありますね。少なくとも、一騎打ちをして負けたら引き上げていくという時代が、遠のいたということであろうかと思います。

そのような中で我々の祭祀というものが、どのぐらい役立つか?ということをですね、今年はそのようなものをはっきりと証明できる、自覚できる年になるのではないのかと感じております。

今回もそのような、色々な提案すべきものを担うのが、国と国の間の見えないけれども、はっきりとした祭祀というものをですね、これは国の体制が、いや祭祀というものの概念が違うし、表現も違うのですが、そのようなものが私は今、提案されているのではないかと思っております。それは後で証明できると思っております。そのあたりはまだ言えないところもありますが、そのような祭祀を行う、ということを我々がやっていかなければいけないというか。

ですから、どんな組織や情報とか、そのようなものを超えてやる中身ではないかと思っております。そのあたりの未然法の祓いが、差し迫って出てきている中身だと思います。そしてその為の沢山の祓いがあり、その祈りの輪が時代にとって大事なものになるのではと思っております。その祈りというものを、我々のDNAの中にはっきりと創造性というか、共鳴させていく、その仲間が増えれば増えるほど、日本と世界の平和に近づくのではないかと感じております。

昔は、福祉の意味合いで「揺り籠から墓場まで」なんて言葉もありますが、我々は生まれる前から、亡くなった後の慰霊というか、そのようなものまでも含めて出来るようなもの、それが白川祭祀だと思うんですね。

◇DNAの中に創造性を共鳴していく

生まれる前から亡くなった後も、という祓いということが行われるような、そして、その成仏というか、それが出来るようなもの、それが人間だけではなくて動物もですね、苦しみから解放していくような内容というかですね、そのことが今、課題として持ち上がって、そのような体系を今まさに作ろうとしているわけですね。

そのことがひいては、犬に仏性ありやいなや、ではありませんが、無門関の最初の一束が解かれていく中身であろうし、次のまた広がった宇宙全体の命というものに関わるような、そのような祓い、いわゆるクリエイティビティーというか、創造性というところにまで辿り着いて、そこからまた逆に、宇宙全体に広がっていくような中身、そのようなものを今までの神話知だけではなくて、それが新しい時代の物理学や天文学に、いささかも抵触しない科学としての中身にしていく、そして我々の哲学も、心理学も、あるいは医学も一気通貫で納得できるような、そしてこの時代に確信を持って生きられるような中身にしていくことが、我々が今やらなければいけない仕事なのではないか、とつくづく感じております。またそれを実行していく仲間が、本当に増えてきたし、またそのような音色が響き出してきたということは非常に嬉しいことで、日々感じております。

いよいよ桜が咲いて、芽吹き、新緑の候になりまして、一年の恵みの予祝が終わって、生育の準備にかかるということになってきましたけれども・・・。我々は休みの時に駒を進めるということが得意なところではありますが、そのような点では、なかなか休む暇もなくやっておりますが、世間が休む時には一生懸命に働いてですね、世間が一生懸命にやっている時には休んで・・・。たくさんの事業が目白押しでありまして、やる人が足りないわけで、今は毎日のようにリクルートしていますね。

本日はありがとうございました。

◇おわりに

我々がやることは、ある面では意識の最小単位の技術ということを表明してやってきていますが、その広がりだと思うんですね。一人ひとりが最小単位を確認して、あとは広がっていくというか。その広がりということは、本来は、明治であれば「公・侯・伯・子・男(こう・こう・はく・し・だん)」という華族の位がありますが、あれは意識の広がりのことを表現しているように思います。一番初めは「公爵」、次に「侯爵」、そして「伯爵」、「子爵」、白川家は子爵ですね。そして「男爵」。ちなみに能澤さんの家系は男爵ですね。

「公」への広がりだと思うんですね。その最小単位が大事なところですね。ですから農業の最小単位ということで、去年から金山先生という東西随一の農業家の知恵をお借りして、最小単位をやっているわけですね。ロゴファームですね。そして、我々が目指しているところは情報の最小単位をやっております。国家、世界情報という大きな広がりに至る情報の最小単位。

昨日議論したことでは、国防の最小単位とはどうなんだろうか?と。スイスとか、もちろん北朝鮮なんかもはっきりと持っているわけですね。国防の最小単位を持ちながらやっているわけですね。身を守るということも含めて、甲野くんなんかもやっておりますが、自分を守ることもそうですが、家族を守る、組織を守る、あるいは国を守るという時の最小単位は何かという、そのベースになるところを研究すると中身が見えてくると思います。

ビジネスにおける最小単位がわかれば、今の資本主義の時代においても、儲けるという言葉を信者と書きますが、そのような古い宗教的な意味合いの言葉ではなくて、本当に必要な儲け方、鎮魂をも含めた中身があろうかと思います。そのようなものを追求していくこと、白川というものの祭祀ということのの最小単位が祈りであり、祓いであり、それが世界に広がり、宇宙に広がっていく、あるいは宇宙の創造のところにまで広がって、創造の最小単位といったらおかしいですが、ビッグバンではありませんが、そのような広がりですね、それを掴むことが、心地良いことだということに繋がっていく内容になれば、我々の今の営みが非常に活きてくるのではないかと思います。

本日はありがとうございました。