0110話:2017年05月01日

◇一日は船出、大海原に出ていく

今日は、5月1日ですね。神道は1日と15日を神の日と考えているわけですね。神道の関係の人たちは色々実現したいこと、思いを1日から、15日からとか区切りを付けて始めるんだけれども。悪いことも、そういう日を目指していたり、月の運行で言うと、満月とか、新月を機転にして図るわけですね。呪詛もそうですね。そういう満願日、直前でね、色々なことが起こりますけれども。その日の前後を注意するということが大事な部分があるんですね。今回も、色々と起こっているし、皆さんなかなか寝付けないこともあったかに聞いていますね。注意するということですね。

この一日は船出というか、大祓の中で「大船の舳艫(ともべ)の綱を解放ち 大海原へ押放つ如く」とあるように、大海原に出ていくというような場面になっているわけですけれども。ところで、祝殿の御神殿が狭いように感じているように思うかもしれませんけれども、この幅の中で御神殿を作らなければいけないということはあったのですが、これは実は船の舳先の格好ですね。船の舳先は何かいっぱい飾るわけではないでしょ。こういうものは器の教えなんですね。剣、鏡、玉という三種の神器が置いてあるわけですが、そういう器の教えのところが神の造化の船出なんですね。だから、船の舳先にこれを祀ったのが仲哀天皇ですけれども。歴史の中で残っているのは、仲哀天皇の皇后、すなわち神功皇后ですね。我々の教えの始祖の存在ですね。神功皇后、武内宿禰、仲哀天皇という神ですね。熊襲と戦った後で、それを舳先に付けたんですね。榊の木に、上の段に玉を付ける。中段に鏡ですね。江戸時代には、三種の神器を榊の木に吊るしていたんですね。そういう方法でやっていたのですが、だんだんとコンパクトな形になっていったのかもしれませんね。その形が一番古いと言いますか、始まりの船出の時の神の三種の神器の祀り方ですね。それぞれの玉と鏡と剣というものは、また器の教えであるから非常に深い意味があるんですね。

◇四種の祓いの中に、三種の神器の精神が全て説かれている

丁度、今度、皇太子殿下が天皇陛下から、この三種の神器を受け継いで、相続と言うとおかしいですけれども、天皇の権能、役割を受け継ぐ為に、この2年の間に引き継いでいくわけですね。それは代々伝わっているわけですけれども。白川学館は、この三種の神器の意味と使用法の研究所ということになっています。ここにある肝心な精神と言うんですかね、そういう中身があるわけですね。その言葉でもって表そういう表現もありますから、いつかその辺りも詳しくお伝えしなければいけないと思います。我々がそういう精神を持つということは、祓いというものがまずは、この4種の祓いの中に、そういうまさに三種の神器の精神のようなものが全て説かれているわけですね。ですから、言葉で書かれた三種の神器が、実はまさに我々が毎日あげているお祓いなんですね。その中のどれが剣にあたる言葉で、どれが鏡で、どれが玉だということは、当てれば当たります。

要するに、この鏡の中にも掘ってありますけれども、これは沖津鏡・辺津鏡ということで2枚になっているわけですね。この鏡がですね。中身をみんなばらしてしまっている感じですね(笑)。要するに、沖津鏡・辺津鏡というのは、五十音が彫金で金で全て入っているんですね。その中身は、詳しくは言いませんけれども、五十音になっているんですね。ひふみよいむなや・・・、と一二三の祓をあげますよね。それが鏡のような働きになるわけですけれども。それが五十神、五十音ということになります。それを使って、我々が神の世界に入っていくと言いますか・・・。三種の神器の精神に入っていくということがあるわけですね。それは五十音ということで、最後に3回、一二三祓詞をあげますけれどもね。これが人類が、数と言葉とが、両方が同時に合わせて、それを使うことが出来るというかですね。これによって人類は伝承すること、科学することが可能になったと言うかですね。精神遺伝子というものを伝承するという一種の鏡という意味の権能と言いますか、それがあるんです。宇宙を映す鏡としての役割という意味ですね。

それを自分自身に映すということになりますと、今度はそれは自礼拝と言いますか、天照大御神と一体となった姿を、天皇陛下はご自身を鏡に映して礼拝する御鏡御拝ということがあるわけですけれども。それが所謂、内面に向かった時ですね。外面に向かった時は、宇宙を映し出していくというですね。そのように、内と外の両方を映すということで、沖津鏡・辺津鏡と2枚になるわけですね。

◇知識と文化を伝えていく、人間としての大切な権能が鏡に映る

そんなことがありまして、その中身が言葉であると。宇宙という言葉、あるいは己という言葉、そういう言葉で神と人の関係が語られているわけですね。そのことを我々は頂いてコミュニケーションというかですね、バベルの塔の逆バージョンですね。みんなが自分自身をしっかりと知って、そして神と人のコミュニケーションが出来るようになるというですね。そしてその記録、記憶が残せることができるわけですね。知識と文化を精神伝承として伝えていくということが出来るということが、非常に稀有なと言うか、人間としての大切な権能というか、働きというものを鏡によって知らされているんだということが分かるわけですね。

◇玉は自分自身、最初の造化の一滴、剣は五十音、現実を切り開いていく

そんなことがありまして、もちろん玉は自分自身そのものという意味ですね。命ということの意味が伝わっている。水の天之御中主や別天津神の最初の造化の一滴のようなものですね。エーテルのようなものかもしれませんけれども。それが創造の源として出てくるその様子を勾玉とか、あるいは玉と言っているわけですね。それが出現してくる姿ということですね。今度は、剣というのは映った後の五十音、言霊百神を用いて現実を切り開いていくと。それは自己と他者の存在を明らかにするというか、そういう役割がまさに剣の権能というか役割ですね。そういうことが3つに集約されているわけですね。

もともとの中身は十種神寶です。10種類になっているわけですね。そのフォーメーションがサッカーでありませんけれども、4・3・3という感じですね(笑)。そういうものが御神体の中に説明知としてあるわけですね。

十種神寶は沖津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、足玉(たるたま)、死返玉(まかるかへしのたま)、道返玉(ちがへしのたま)、蛇比礼(をろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物之比礼(くさぐさのもののひれ)となります。玉が4つありますね。剣は1本ですけれども、宮本武蔵のような二刀流ではなくて、剣は諸刃の剣というように、自己自身も明確にするけれども、宇宙も明確にするという意味が剣にはあるんですね。本当は2つの役割があるわけですね。これを諸刃の剣ということがあります。そういう風にひとつの器の教えということで三種の神器というものがあるということになります。

◇祝殿は船の舳先のようなところ、大海原に押放つ如く、毎日出発する

今日は船出の出発という意味で、祝殿は狭いけれども、船の舳先のようなところとして榊があって、三種の神器が置かれ、毎日、朝の出発をするという思いであげて頂くと。大海原に押放つ如くというように、自分自身の意識が拡がっていくわけで、そこから一日を始めて頂くことでございますので、一つよろしくお願い致します。

一日は一ヶ月間の始まりでもありますから、先ほどの情報ではヴィソツキー博士が心臓で倒れられて入院したということを聞きましたけれども、色々と5月は気をつけないといけないことが多々あると思います。みんなで注意深く出発したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。