0114話:2017年05月11日

久しぶりに集まって昨日は全体会議をしました。今日は、普段あまりこちらに見られない方にお話をお聞きしたいと思います。Oさん、何かありますか?

【Oさんより】

昨日の全体会議で色々とお話を伺って、自分の日常の中とシンクロすることが多くてビックリすることが多いです。

最近、読んだ本の中で、自分が一番強く感じ入ったことが、それが丁度、Oさんのお話から出て、そして、それが研究所の仕事に繋がっていたりと、そういうことが日常の中で沢山起きてくるようになりました。たぶん僕がここに来て一年ちょっとになるのですが、全く自分の知らない間に、皆さんと波動が合ってきて、そういうことが自然と起きてきたのではないかと思っています。

確かに、4次元の中に生きていますから、上手くいかないことや自分自身が凄くコンプレックスを感じていたりとかいっぱいあるのですが、その中で必死にやっている内に、何かしらそういう結果が出てくるものなのだなと思います。皆さんと一緒に仕事が出来て、本当に嬉しく思います。

【七沢代表】

◇問いになるものがしっかりあれば、同時共時に最適解を得る

アナログとデジタルの関係というのが今のお話の中でも色濃くあると思うんですね。コンピューターが進化してきて、最終的には人工知能になってきているわけですね。色々なものがほとんど人工知能化していくんですね。いよいよ人間の営みというか、アナログの部分というところにどんどん近づいているんですね。

特に我々の独特の神事というか、神を迎えるということは、機械で出来るようになるかどうかは別にして、それに限りなく近づいているということですね。要するに、問いがあって答えがあるわけですけれども、問いをコンピューターに発すれば、昔は演算でしたけれども、記録でその中から最適なものを取り出すということになるんですけれども。今の人工知能というのは、「解」を選ぶのに相当良いところまで来ていると思うんですけれどもね。

アナログ的にお祓いの中でやっていると、その時その時の最適解が出てくるわけですね。質問を発して解答を得るというかですね。子どもの知能というか、知の発達を促すのは、結局そういう問いを持つことが必要なわけですね。子供は絶えず、なんだろうと思っているんですね。大人が聞かれても、とんでもなく当たり前のこととか、解決していると思っていることが、子供は不思議に感じたりすることを問うわけですね。我々でも、問うと一つの解答が得られるわけですね。それは早く得られるかもしれないし、3日後か、あるいは2時間後かもしれません。

白川にはそのような方法があって、例えば、ある問いに対して答えを得たい場合は10回ですね、祓いをあげて問うて答えを得られるということが当たり前のように伝わっているんですね。

今、Oさんが言われたようなテーマは、自分自身の問いであるし、解答を得た時が、同時共時になっています。人が何気なく言ったことであったり、本などを読んで解答が得られるということがあります。神を迎えるということは、何もワーッと凄いエネルギーが降ってきて、光に満ちた状態になるということだけではなくて、そういう言葉として、あるいは自分が今必要な最適解を得る為の問いであって、答えであるというかね。その答えを得られるということが起こるんですね。それは自分自身に問いがないと、なかなか帰ってこないですね。これは皆さんにも言えることで、それが日々の自分が神を掴む為の情報というか、答えであったり、あるいは自分の一日が安心のうちに過ごせるとかね。この仕事の解答が得られたとか、人間関係が上手くいったというものの各階層の中で得られることで出てくることがあるということですね。問いになるものがしっかりあれば、それが掴めるわけですね。その辺が大事なところではないかと思います。

もちろん、コンピューターの世界は最初から最適解を求められるように色んな演算の仕方や工夫を試みますよね。より普遍的なアルゴリズムを持つと、それなりの解が出てきますね。正確にみんなに平等に知というものを普及する意味の、純粋な科学というものを求めているわけです。そういうものが得られるというかですね。

Mさんは何かありますか?

【Mさんより】

今、時代の経過ももの凄いスピードで進んでいるということは皆さんも感じていると思いますが、今のスピードの中の情報場に乗っている状態で、場合によってはオートマチックにいくということもあると思います。その中で、主体性を失わないというか、その瞬間瞬間の主体性を失わないということが非常に大事だなと思っています。

よく言う、リスクがあることが一番のリスクではなくて、リスクであると知らないことがリスクであるという言葉があると思うんですけれども、だから人との付き合いにしてもそうですし、この世界でもそうですが、そういうことを認識した上で、自分の主体性というものを持つ必要性があるなと強く感じています。

【七沢代表】

◇外にある知識と自分の中にある記憶知識と、プロトコルを合わせる

言葉、言語というのは非常に対立的、二項対立的に出来ているから、そのところを越えていくことが悟りに繋がって、その時の納得の言語というのがあるわけですね。Aに対して、非Aとか、反Aとか、それらをBとするとか、色々と数式は作れるのですが、そういう二項対立から、自分の世界を理解するという意味での一人称ですね、主体ですね。言語的に言うと、二人称とか、三人称とか、複合一人称とか、一種の国語学、言語学の用語法を使うんですけれども、哲学的に言うと、自己と他者における関わりと言うんですね、あるいは宗教的に言うと、自己と神という関わりということ。

私たちはこれらをどういう風に理解するかということを脳を柔軟にして、そして世界というもの、あるいは自己というものが他者と同じような命の存在であるということを自覚したり、創造者としての神という存在に、自分を合わせていく階梯ということが、一つの悟りというかですね。

ということは、我々は自分以外の存在、地球、あるいは、宇宙にある存在というものをどのように把握するかというかですね。そういうことが一つの悟りというか、悟りを掴んでいるということなんですね。自己自身の主体というものが行き過ぎないし、自己主張をし過ぎない。それで自己というものが弱いとも思わない。そういう存在というところを掴む道が「おみち」というものの中にあるんですね。それが道ということなんですけれどもね。

それがどの宗教やどの科学も求めてきた中身ということですね。自分が入り口に立って「おみち」というものとして伝えられてきたものの記憶を、今一度、保護してきたものを解凍してみるということが我々の役割ですね。

ですから、自己自身の主体としての主張は当然のことながら、宇宙という存在と、自分というものの主体を平等に見る、ということは存在を平等に見るということが出来るかどうかということが自分に出来るか、ということが生きるということの上で一つの指標になりますね。

小難しく言うと、言語学の知識や、物理学の知識や、コンピューターの哲学も含めて、そういう外にある知識と、自分の中に存在している記憶知識とよくよくプロトコルを合わせるということですね。確認していくということが、生きるということの大事な意味だと思います。少し難しく言いました。今日はこのくらいにしたいと思います。

ありがとうございました。