0117話:2017年05月15日

◇神と君、君と民の間を結合する

昨日はありがとうございました。

昨日は三種の神器の話をしました。元の三大神勅は文章になっていて、それは、天照大御神が瓊々杵命に伝えられたというか、それをもって国津神の世界をしっかりと知ろしめしなさいという意味であるわけですね。その三大神勅が、要するに、その時の教えと言いますか、それをもたらしてそれが剣とか、玉とか、鏡になってくるんですね。

我々は神、君、臣、民、イミという中でやるんですけれども、白川というのは臣の立場ですね。ある面では、臣というのは自由なわけですね。天皇と神の間を取り持つということもあれば、民に対して君としっかりと繋ぐ役としての臣の役割があるんですね。天皇を繋げる役と、天皇と民を繋げる役があります。天皇が神におなりになる場合は、祝殿とか、八神殿があるわけですね。根本のところは、神と君、君と民の間を結合するということ。

◇白川家の神祇官の役割を絶やさないようにしなければならない

白川家であげるお光は2つあるんですね。かやの実の油を使ったロウソクと、田の実、つまり菜種油を使った燈明の2つあります。なので、ロウソクと燈明の2つあり、白川で夜やる時はそうしないといけない。菜種油はすぐに劣化するので難しいのですけれども、木の実というは「君(きのみ)」でしょ、田の実というのは「民(たのみ)」となるんですね。それを天皇が宮中の神官に宣命として発布した。大祓の中身は、元々は天皇に下った神事ですね。それを白川の審神者が判断する、それが神祇官の役割なわけですね。それを民に知らせる為に、神祇官、すなわち白川の意を受けた神官の人たちが、それを神社でみんなに教えるようになったわけですね。

大祓の最初は、宮中にあがって出任していた官僚たちの為に、年に2回あげていた中身ですね。それを今度は、民間で民の為に神官が2回あげることになったわけですね。そういうことを司る役割というのが、神祇官としての白川伯王家だったんですね。

その世界というものは今の時代の中で、どういう風に受け止めるのかという問題であるということですね。我々はそういうものを絶やさないようにしなければいけません。白川家が絶えたら終わりということにいかないわけですね。

Tさんが幣立神宮に行って来られたそうです。そこに春木さんという方がいらっしゃって、よく僕も話したことがあるのですが、そこは神社神道となり、大祓の国津罪のところが抜いてあるそうです。明治以降、神社神道が出来て抜いてしまいました。だから、罪の実体がないものを祓う祓うと言っても仕方がないわけですね。言ってみれば、天之御中主大神を祀る大元のところですが、神社神道になると、宗教になってしまって、時代に合わせるということは良いことかもしれませんが、肝心なことを抜いてしまい分からなくなってしまう。

キリスト教では333年に、ニケーア会議というのが開かれた時、聖書を一字一句、外したり付けたしたりしてはいけないということで決まった。それ以降は、付け足したり、引いたりしていないわけですね。色々な聖書になる元は沢山のものがありました。そういうものがクムラン文献など後で出てきたりするんですけれども、その中身は色々とあって、一旦まとめたら、足したり、引いたりしないという約束なんですね。聖典というのはそうしないと時代が変わったからと言って、もちろん今は根本が揺らぐことがありますが、その点、大祓は、本来、賢いはずなのですが、色々と事情があって抜いてしまったんですね。なんで抜いたかということを、私はよく分かっているつもりですけれども。

聖典というのは基本的には、その時代、その時代で解釈をするわけです。それには大祓の言葉も同じなんですね。私も10年位かけて、高濱清七郎先生の造化三神神殿教会発行の大祓を明治28年位に作ったものを全て手書きで、一字一句の音を丁寧に見ていきました。それは口伝とは違うわけですね。それで違いをどうしたらよいか色々と悩みました。そういう苦しんだ思いがありますから、一字一句疎かにしないというスタンスでやっています。

◇毎回あげる新たなお祓いの中で、今、自分が知りたいことを掴む

毎回毎回あげる新たなお祓いの中で気づくことがあります。その人の中での、一種の解釈学なのかもしれないですね。本格的な神示を受ける中身というのは、大祓の途中で一礼するところがあります。そこで、瓊瓊杵尊が地上に降りてきてくださったことを感謝するわけですね。その時に、公の神事を得るというかですね、それは瞬間の中にあるわけですが。ですから、個人の場合よりも公の場合のところがまずあるわけですね。その後に個人のものが出てくるんですね。個人の場合ですと、最後、終わって頭を下げている時に出てくるということがあったり、もちろん途中でも気付くことがあったりしますけれども。ですから、その時その時は中今の中で神の世界というか、神事というか、今、自分が知りたいことを掴むわけですね。人間の意識にとって、それが一番嬉しいことだと思うんですね。それはその人その人によって違ってきますね。世の中で当たり前と言われていることでも、その人にとっては、今それが大事なことであることもあり、創造でもあるんですね。だから宇宙なんですね、創造なんですね。今、この時に知るということが創造であり、仕事でも今自分がやる工夫の中に宇宙があるんですよ。

◇見えた宇宙をまず綺麗にする

我々は、その作られた宇宙を平安清明という境地の中で感じたらOKだということですね。平らけく、安らけく、清らけく、明らけくということの中で、その情緒が起こるはずなんですね。宇宙が見えるはずなんですね。その宇宙をまず綺麗にするということが大祓なんですよ。全ての罪を自分の中に入れるという方法もあるし、宇宙の果ての5次元、あるいはパラレルワールドにお願いするというのが根の国、底の国に神様がいらっしゃるから、そこにお願いするという方法もあります。

自分の中に入れるというのをやっていたのが奈良毅先生です。毎朝、目白の十三間通りというのがあるのですが、マンションの屋上、世界中の汚きものを自分に入れて消してしまうということをされていました。それはとても大変ですね。とにかく消してしまう。罪は重さですから、それが消えるということは無重力にしていくんでしょうね。無重力にして消していくということは、電磁場的に言えば、右旋と左旋の繰り返しで清まるというかですね。

それを人間の血液の中で、静脈と動脈の中でもゼロ磁場にしていくということですね。我々は機械を作り、それをロゴストロンで販売させて頂いているわけですけれども、そういう絶対原理のみんな恩恵なんですね。

◇日本語とともに神智を智恵に変えていく

今、そういう法則が一番新しい科学として出てくる時に当たっているわけですね。だから、物が浮くということと、人間が空中を浮揚するということが同じ次元で捉えられて、その中身を科学していくということが、ここでやっている最先端の実験の場なんですね。神の智、神智というものを智恵にする。神智恵学というものにしていくのが我々の役割なんだと。

応用科学などで、日本が世界に冠たるものがあるというのは、神智を智恵に変えるというところに非常に大きなやるべきことがあるんですね。これが全ての智の元になるのが言語であるから、言語が宇宙コンピューターのソフトになっていく構造を持っている。一番応用しやすい言葉が日本語なんですね。日本語から直接、智識を使える訳なので、これから皆さんで探っていくというかね。それが一番楽しいことであるとも言えるんですけれども。

毎日のように皆さんの後ろからあげていて希望することは、皆さんが幸せになって頂く、平安清明の境地を掴んで頂くということが、私の一番の願いであるし、そのことをやりたい人はやりましょうということですね。仕事ということもありますが、本来の意味はそういうところにあるということを中心に置いてから、自分の道を考えてもらうということも大事ではないのかと思います。

また一週間よろしくお願いたします。ありがとうございました。