0118話:2017年05月16日

◇どこまで秘密を話していいのか

俊敏と公開ということを会社のモットーとしてやってきました。昨日は挨拶に行く為に、この地域の土地を誰が持っているのかを調べようとしたら、すぐ個人情報保護の問題に引っかかりました。法律的にも勝手な言葉を言ってはいけないということもあります。

先日、誰かが白人・胡久見は、差別用語に当たるというようなことを言っていましたけれども。神事は基本的には秘密の中身であるから、秘密をもらさないわけですね。本当のところがなかなか判断つかないから、審神者と神代という体系になったと思うんですけれども。だから、どこまで秘密を話していいのかということは、私の毎日の心の葛藤となっています。

◇神社にお参りに行って祈ると、そこに来られた他人の願い事が入ってくる

昨日は、稀勢の里が負けたのがどういう理由であったのかがすぐに分かりました。一部で彼は、白川学館相撲部と揶揄されている位ですから良いのですけれどもね。僕はこの中は相撲部屋だと最初から言っていました。そういう修行方法も確立してあるんですけれどもね。丁度、相撲部屋と同じようにご修行をするということもあるんだけれどもね。

実は、初日に負けた理由というのは、たまたま月次祭が終わって、Iさんがテレビで相撲を見ていたんですね。僕は中継では相撲は見ないんですね。その日その時には基本的には見ないんですけれども、たまたま見てしまったんですね。色々な憑依があって、それを大変に感じました。これはと思いましたが、立ち合いが始まってしまっていました。すぐに終わってしまったんだけれどもね。要するに、どこでそれを憑けたかすぐに分かりました。どこかの神社に行ったんだろうと思います。

一つは、野見宿禰神社に行ったということは一つ分かりました。後でわかったことは、直前の土曜日の夜中に、どなたかと一緒に神社に行ったらしいです。多分そこで憑けたのではないのかと思って聞いてみました。

エーテル体から中の芯に向けてエネルギー場を修正するということをするのですが、なかなかエーテル体のところで邪魔をするものがあって、修正するのにこんなに苦労したのは初めてと言っていました。付着するんですね。付着すると、意志を左右するところの手前までいって、うっ滞エネルギーになってしまうんですね。体の神経が回らなかったり、力がうまく入らなかったり、体が自在に動かないということもあります。そういうことも起こってしまっていて、抜くのに大変な時間がかかったということでした。

神社にお参りに行って祈るということは、「公」と「私」の祈りがあるんです。公の気持ちでもって神社に行かないと、私の気持ちで行くと、神社に自分の願いと、その場にある何かを取り替えるということが起こるんですね。そこにあるスピリチュアルな思いと取り替えるということになってしまうんですね。ですから、何か願い事をもって神社に行くということには2つあります。神恩感謝、国家の安泰などの公的以外の祈りは沢山あります。交通安全や安産祈願、事業繁栄などなどあります。そういうものはどちらかというと私的なものですね。会社の社長さんや家族の長であったら、まだ公かもしれませんが、基本的には他者の為の願望を達成する意味では、家族の中で自分が入るから良いかもしれませんが。要するに、私的な中身は取り替えが起こりやすいんですね。取り替えが起こるということは、神社にお参りに来られた他人の願い事が入ってくるということですね。それと交換です。鷽替え(うそかえ)というカエルが置いてあって、それを持って帰る風俗があります。鷽替え神事というのがあるくらいです。神社に行くと取り替えるだけなんですね。だからほとんど意味がないから、白川では神社にあまり行かないですね。先生と最初に出会った所が鶴岡八幡宮で、先生とお引き合わせ頂いたから、そこに行ったということだけで、後はほとんど行っていません。あとは、ここの産霊様の総本社の三嶋大社に一緒に行ったくらいです。先生がお亡くなりになるまで、一緒には、熊野にも、伊勢にも行っていません。京都に沢山ある神社にも一つも行っていません。

◇「私」を祈るなら自分の外に置いて、それに対してお祓いをあげる

先生は主な神社で戦前、戦後の少しの間、奉職されていたから、神社の全体を祓うという祈りをしていたという経緯があります。神社に行くということは、違う私的な願い事と交換するということになってしまいがちですので、行ってもスッキリしないということが出てくるということを承知しておいて頂きたいというかですね。

日本の各地域を守って頂くという全国一宮の神々を祀り、右側ですね、真ん中は別天水ではありませんけれども、別天津神の三神と、伊勢の内宮と外宮の神様ということであります。

もちろん、この中では私の意味合いで祈るということは、自分自身を自覚して、自という方法を取っています。自分の外においたら、自分がそれと向かい合ってそれを解決していきますということが祈りということになります。そして、そこで願望をお祓いするということになるんですね。それが祓いであり、清めであるんですね。だから取っ替えているわけではないですね。自分自身が自己を出して、それに対してお祓いをあげるということになるわけです。その問題を解決して、また自己に帰ってくるという祈りなんですね。その辺は全く違います。

ただ神社にお参りするということは、私的な思いが沢山そこに置いてあると。ある面では、それに触れたら大変ですね。もし神社に行ってお祈りするんだったら、綺麗な神社はありますから、そこの神社の祭神をお迎えして、そこにお参りに来られる方が平安であるように、健康であるようにということを願うということが、まず一番安全で心地よいことであるということになると思います。

ありがとうございました。