0121話:2017年05月22日

◇入門講義で思い出した「先の者が後になり、後の者が先になる」

土日で色々と行事が続きまして、今日は少ない人数ですね。京都でやっている人はこれから片付けて帰ってくるそうです。土曜日が第7種の伝授でした。入門講義ということで、まだ皆さんの中でも入門講義を受けていない方がいらっしゃったり、あるいは受けた方もいらっしゃいますね。その時に感じたことは、入門講義は14回やっているんですね。本当は、自分でいつも半分以上、下世話な話ばかりしていて、一向に本題にいかないんですね(笑)。もの凄く迷惑をかけた、反省もあったのですけれども、今度は本当に真剣に話そうとするとマニュアル通りで話していて、結局、凄く焦燥感にかられるようなこともあります。救われたのは、その話を聞いた後の人で、入門されて4、5年経っているような古くから学んでいる人も何名かいらっしゃって新しい発見があったと言って下さったことです。その時にすぐ例え話を思い出しました。「先の者が後になり、後の者が先になる」というね。聖書のマタイ伝の20章に書いてある中身ですね。それで色々と思い出すことがあって、例え話があるんですね。

要するに、元々の例え話というのは、教会の説教では良くあるんですね。ぶどう園の労働者の例え話があります。最初にぶどう園に朝行った人が1デナリという給料で契約する。昼くらいに行った人も1デナリという給料で契約する。労働の終わり頃に行った人も1デナリという給料ということでした。そしたら朝からやっている人たちが不平を言いました。その時に例え話が出るわけですね。「先の者が後になり、後の者が先になる」というね。

それは天国に入る話の例えですね。天国に入るということは後から行っても、先に行っても天国に入れるんだと。ですから、先に行ったからと言って、自分が一生懸命働いたのに、同じ1デナリということで不平が出たということですね。

今、我々が使う時は、情報から見たら、情報が後から行った方の人が情報の全てを得るわけですね。中国は電話を団地全体で共有するというのが、ついこの間まで当たり前でした。今は携帯電話が普及しています。一番情報の新しいものが使えるようになるんですね。だから、情報もそうではないのかなと非常に感じました。一番新しい情報を掴むという意識があれば、そういう時は早く掴めますね。一番新しいものが掴めるのではないかと。その情報は知っているということでも、例えば、今このお祓いも今週あたりから鈴を振って拍子を取ろうかと考えています。それはみんな古い人は知っているわけ、僕がよく言うからね。江戸時代に人が多くなった時に合わせる為のものが鈴だったんですね。指揮者のように全体が合ってくるかもしれませんし、もっと酷くなるかもしれませんね(笑)。

新しいということは問題があるかもしれませんが、情報の世界や技術の世界から行くと最先端のところを見るというか、もちろんその為には、過去にやったことをどういう風にやったかということの知識も必要なわけですね。

◇キリスト教から受けた影響

ただ、最後にやればいいというカソリックで言う「終油(しゅうゆ)」ですね。非難してはいけませんが、免罪符と同じように亡くなる直前で懺悔をして、油を塗ってもらえれば、それで天国に入れるというものですね。それが死ぬ直前にということですが、それまで放蕩していても、死ぬ直前に油を受ければ、最後の終わりの油で天国に行けるということになってしまうのですけれども。

言ってみれば、西洋文明を、ある面では最後に受けて、日本に入って聖書なんかもそうですね。日本の国文学というか、文学はこの150年間の中での明治の文豪たちが沢山いますが、大概の場合は新約聖書、旧約聖書文語体の文章の聖書を読んで、それが言葉の辞書、宝庫になっているんですね。例えば、色々とありますけれども、そういうものから文化が始まります。日本の文学というものは聖書の翻訳から始まるというかね、音楽もそうですね。賛美歌や聖歌によって、その音楽が入ってきて、それを取り入れて進化するわけですね。

◇ロゴス=言霊

御多分に漏れず、我々はロゴストロンと言っていますけれども、実はロゴスというのはギリシャ語ではありますが、最初にヘボンという人が日本語に翻訳した時に言霊という言葉を使ったんですね。これが明治4年くらいの翻訳なんですけれども、その時に使ったのが言霊ですね。初めに言霊ありき、と書かれていますね。これはヨハネ伝の第1章1節にあります。そういうものからロゴス(言霊)とコンピューターと結び付くんですね。その恩恵に浴しているわけですね。

そのことは父韻と母音と子音という新しい概念を表現する時に、これが役に立ったわけですね。我々の機械の中身の言語と情報と技術というものが一つに結ばれて、その中身がロゴストロンという機械になるわけですね。あるいは、父韻と母音と子音という言霊の理論にも繋がっていくわけですね。そのことが非常に大切な部分ですね。

◇日本の、文化の受け入れ方

後から西洋文明を聞いたけれども、日本の文化の取り入れ方が、漢字でもって経済学用語や哲学用語など、膨大な数を生み出しているんですね。それが中国や朝鮮の経済学や哲学を含めた学問に漢字を使う時、役に立っているということもあるわけですね。ということは、そういう日本の文化の受け入れ方があるんですけれども、そういう新しいものをどういう風に消化していくのか、受け入れていくのかということが得なんですね。それはまさに天国というか、一種信仰の世界であるけれども、天国ということの意味合いは理想社会、イソノミヤであり、それを実現する為の様々な方策というか、基本的な原理が沢山頂けるということになるわけですね。

そのことが最後に西洋文明を聞いても、それを情報や言語の中で役立てるということによって、それが大きな価値を生むということになると思いますね。ですから、その辺の工夫を前提とした生き方というのは、その根底に古神道的な捉え方があります。自分よりも優れていると思えるものを神として見立てて、そして、それを頂いていくというかね。神を掴むというかね。そういう発想というものが有益な結果となり、そしてそれをみんなに巡るような知識や知恵になっていくということが起こるんですね。そういうことがポイントとしてありますね。単なる、後から来た人が先になるという例えではないんですね。それを根本的に考える必要があるのではないかと思いました。

今日も一日よろしくお願いいたします。