0124話:2017年05月24日

今日、気がついたことが2つあります。あまり長くなるといけませんので、簡単にお話しします。

◇五神をお祀りする

祝殿は、五神が真ん中に祀ってあります。天之御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神、天照大御神、豊受大神の五神です。

元々、宮中祭祀というのは伊勢神宮が出来る前、宮中の中に同床共殿と言って天皇陛下が寝起きするところに本来は祀られていたわけですね。それが基本的には五神となるわけですね。天皇10代から11代くらいの時に、26年位かかって、倭姫という天皇の皇女が探して、伊勢に辿り着くわけですけれども、笠縫邑、伊勢にお祀りをすることになるわけですけれども、その時には、たぶん全てをお祀りするような形をとっていたと思います。要するに、天照大御神というか、直接の皇室の先祖をお祀りするような形というか、そういう形をとって内宮にお祀りされたと思うんですけれども。その上に、三神、特に天之御中主大神を迎えるということであったわけです。白川は今もその五神全てですね、内宮、外宮の神様と、最初の造化三神をお迎えしてお祀りするということになっているんですね。

伊勢神宮の内宮、外宮が出来る前の形を、同床共殿から和光同塵と言って、祭祀の形が変わるわけですね。元はこの形だと理解した方が良いかなと思ったのが1つ目の話です。

◇信仰体系の証明

あと今日感じたのは、一種の我々は宗教的な形をとるというか、礼拝するような形をとるから、何か宗教的な、神道は宗教ではないのかということなど、色々な議論が世界ではあるんですね。宗教学的に言うと、宗教ではないと。創始者もいないし、理論も立っていないということで、宗教ではないという捉え方があります。一般的にある宗教というものが現代で信仰する人が少なくなったかという理由は色々あると思います。宗教というのはひとつの信仰体系で、信仰という形をとります。要するに、それはこの間、京都に白いカラスが出てきましたけれどもね。黒いカラスを白いと言えば、白いと言わないといけないと言うかですね。そういうような信じるということを使うんですね。知の時代では、そういうことで問題が起こっているわけですね。信じるということの体系もありますが、一方では宗教というのは一種の証明なんですね。絶対にありえないことがあると証明するということなんです。

だからキリスト教でいけば、イエスは聖母マリアの処女懐胎ということになっています。それを証明しなさいということですね。あるいはキリストは救世主であるということを、信仰の中で証明しなさいということを言うから難しいんですね。数学的に言うと、それを証明しなさいということですね。それをみんな信者となって助け合って証明しようとするということですね。

我々がもし信仰体系の証明という捉え方をするならば、我々は言霊というものが実際、物や事を創造するということを証明しないといけない。あるいは、祓いという、言葉をあげるとその通り実現すると、1000年も、2000年も前の言葉がですね。内容が確かにその通りだという、そういうことを掴むという意味合いを持っているか問われるわけなんですね。

私はそういうことがこの古神道というのは特にですね、いわゆる論理体系を言わなかったから、不得手ではあるんですね。その時その時の、仏教や色々な理論を借りて、説明知を求めて、そしてその説明に納得して、そしてそれを確かにその通りだと確信に至るようにやるわけですね。そういう理論が必要になるわけですね。

◇科学も99%が仮説

今の時代だと科学という体系に基いているのですが、ほとんど99%が仮説であるから、科学というものを知っていても、応用の力になり難いというか、そういう言霊という、言った通りの事が出来るということを言っているわけですから、本来は力になるはずなんですね、確信すれば。ところが、それが力にならないということは、要するに今の時代の科学は、それを技術化して、それを使うということをやっているわけですけれども、そこまで落とさないと使えないということになるわけですけれども。

我々は今の言霊というか、毎日、生きていく中で人間関係や自然や神と言ったものに対して、確かに言った通りになるということを我々の普段の中で行われないと証明したということにならないし、価値がないということになります。そういう難しさがありますけれども、今の科学はそこのところをオーバーしたり、結局、人間が意識すれば、それが存在になるんだというくらいの物理学の理論であったりして、オーバーしたりして物足りないわけですね。完璧な仮説が合理性のある法則になっていないということが多々あります。

重力の法則や引力の法則も、今の時代の中では、無重力という理論が出てくると、我々の体系が狂ってくるわけでしょ、感じている世界とですね。これはもちろん、地球上における体感ですけれどもね。宇宙に出るとそれが無くなったりするということを宇宙船の中を見ながら感じているくらいの話で、自分たちは感じたことがないわけでしょ。せいぜい飛行機で一気に落ちてくる時に、無重力を感じるようなくらいでしょ、僕もその体験を飛行機でしましたが(笑)。

◇お祓いを挙げる中で言葉がその通りになるんだという体感をする

そういう科学というものの仮説だけではなくて、我々はお祓いをあげる中で、そういう言葉が確かに然りと、その通りになるんだという体感をするという一つの命題というか、証明する生き方をしながら、これをやっていくということであって、単なる言葉を出せばそれがそのまま実現するというような信仰ではないということですね。そのあたりが非常にポイントとなるところだと思います。そういうものが長い間、日本人が古神道というものに関わった中身だと思うんですね。

それは単純に、神と一体となるということが出来れば、確かにその通りということを感じるわけですけれども、なかなかそれが出来ないから遠津御祖神から徐々にやっていくというシステム体系になっています。そういう方法を、我々が白川として持っているということでありますから、そういう意味での良さもあるということになります。そんなことがあって、単純に信仰しているのではない、証明をしながらやるんだ、ということをお伝えして今日の話を終えたいと思います。

ありがとうございました。