0126話:2017年05月26日

◇知られていない日本の良い点

今日は色々と行事がありますが、よろしくお願いいたします。

今日感じたのは、今、世界で色々と騒いでいますが、宗教的、哲学的、経済など色々と絡んでいるのですが、要するに大きな対峙というか、向かい合っているということは、世界文明が丁度、ほとんどが日本文明が初めてここでネオジャパニスクというか、世界が日本を知って頂く最初の取っ掛かりみたいなものが、2020年に向かってあるわけですけれども、言ってみれば、まだほとんどこの研究はされていないんですね。これは今までの日本と戦争する為に、他国が色々と研究した歴史があるんですけれどもね。ですからキリシタンが来る時とか、対アメリカとの戦争とか、事前に研究していたところがあります。要するに、日本の弱点がどこかということを探して攻撃するわけですね。そういう意味合いでしかなくて、良い点を探してくれないわけですね。なので、まだ良さに気が付いていない。

戦争ではないのですが、まだ世界に知られていない日本文明というものが世界に向かって開こうということをしようとしているわけですね。その中で特に一番開示していなかったのが白川のおみち、あるいは言霊、それから鎮魂です。この3つが全然開示されていないんですね。ですから、それをどのような形で世界にお示しするのかは非常に大切なところです。最初から大変なミッションですけれどもね。

◇一神教は外に置いた神様

今日、気がついたことは、一神教というものと多神教というものの代表が、ある面では、世界で問題を起こしているものは全部一神教の流れなんですね。もちろん、中国やロシアとかは若干違っていますが、共産主義という社会科学の原則を元にしてやってきた国ですので、そういうものの影響はありますけれども、基本的にユダヤ教、キリスト教、イスラム教というものが、現代文明の中核、根底にそれがあるわけですね。一神教の弊害は様々なものがありますが、そういう一神教と日本が代表する多神教、シャーマニズム、アニミズム、トーテミズムのようなものは全部滅ぼされてきたんですね。白川もそうですけれども、一種のシャーマニズムを持っていたり、霊の信仰を持っていたりで一種の多神教みたいなものを持っているわけですね。それが丁度、今、向かい合っているわけですね。

そういうわけで一番気がつくところは、一神教というのは人間と一神とが関わって創られていく神話というかね。それが外に置いた神様ですね。創造神ですね。クリエイターという存在なんですけれども、それが人間を作ったということになっているんですね。今の世の中は、丸い平和の世の中になっているかというと、そうではないですね。その批判の大命題は、一神教は神は全知であるけれども、全能ではないということです。そこに行き当たるわけですね。

◇創る瞬間に、創造の源に還していくという技

ところが多神教になると、神様は最初から創造神が出てくるわけではないんですね。神は、木に実が生るように、成るような話ですね。そういう神様なんですね。その神様が天でもお祓いするし、地にもお祓いするというかですね。その神様、天津神、国津神と分ける訳ですが、階層的にも1つ1つの神様方が、いわゆるオートポイエーシスではないですけれども、役割を決めてラグビーでトスをするように、リレーションで引き渡しをやるわけ。その姿が1つの天津罪の世界での祓いは、最後は天照大御神・月読命・須佐之男命の1神に託すわけですね。その間にある罪は全て消しましょうということですね。今度は国津罪というか、大祓になると、それぞれの神々がリレーションで罪を消していく。それによって創造から維持、破壊して綺麗に消していくという、全き世界を大祓の中で創れるわけですね。創る瞬間に、創造の源に還していくという技が多神教の持っている良さですね。

特に日本の白川、言霊というものの中にある世界ですね。言霊というものが、言葉としてそれを清めていく力を付与されていけるということが50音であるし、言霊、百神ということになるんですね。そういうもので、魂が出来上がる初めの時は、鎮魂ということを見ると、そういう全体で一つの神という存在がまさに全知であり、全能であるということを実践知として行える方法が、白川、言霊、鎮魂ということの中にあるということですね。この中身が、まだ一神教の人たちには知られていないところですね。一神教とか、多神教とか、神観を争う宗教とか、哲学とか色々ありますけれども、神の創造された世界が実現されるのかということを掴んでいくということが日々の我々の役割ですね。もちろん、そういうことを実践するにあたっては、神をお迎えしてやるということによって、自分自身が神になってしまうということ、あるいはそれによって慢心するということがないようにするということが、次の実践の意味としてあるということですね。

◇スピリチュアルな世界ということは限界がある

それも慢心しないということしかないと言いますけれども、確かに、それも当たり前の中身ですが、そこにどうしても生きれない場合は、要するに、スピリチュアルというか、守っている、実現してくれる神という存在以外のスピリチュアルな霊とか、守る働きをしている守護霊とか、守護の神という存在が世界にあるスピリチュアルな世界ということなんですね。ですから、スピリチュアルな世界ということは限界があるということですね。ある面では、一つの多神教的というか、色々あるよ、ということですね。色々あるよ、の中身を自覚したら、守りというか、指導してくれるということが、子どもが指導されて学んでいくように学べる中身だと思います。それが唯一の存在であって、その生き方をするということがこの霊的な妖怪になる時の姿ですね。その辺も自分自身の中にそういう指導意志をおくと上手く掴めないというかね。それは全て軽くなって、そういう指導意志を置いていくという方法論が大祓でありますね。

祓いと大祓、あとは人間としての感謝が一二三ですね。その言葉によって、我々が存在を自覚できる為の二人称、三人称ではないですが、そういうものを自覚できる為に言語というものがあるんですね。それが無ければ、外という存在と対峙する動物的な意念しかないわけですね。それを客観視するというかですね、お祓、大祓、50音というものがあって、それで掴めるというかね。

◇神を神にさせて頂くという共同作業

決して慢心しないということの中身があるということですね。そして全ての存在を「とほかみえみため」と言うわけですね。もちろん、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神で全てだけれども、更に全てを足りるという意味で、「ひふみよいむなやこと」「とほかみえみため」と言って意味があるわけですね。

単純な4つの祓いですが、それが落とし込まれていくというか、それでもって十分しっかりと神を掴んで、ある面では、一神教の大事なところがもしあるとすれば、全知であるけれども、全能であると。人間が足りない所を補って、神を神にさせて頂くというね。間違えると傲慢になりますが、そういう共同作業でもあると言えるかもしれませんね。我々はそれを大祓という形で全てをゼロにして、そして創造を良しとする。神様の宇宙創造を実現したということを言えるというところに持ってくることによって、一神教と多神教の世界の混乱を鎮めていくような内容というかですね。その辺の内容は、哲学者が言って頂ければ、非常に綺麗な内容になると思います。私が言うから半端な内容になってしまっていますが(笑)。

そんなことを今日感じたことでありました。よろしくお願いいたします。

ありがとうございました。