0133話:2017年06月06日

◇繋ぐもの

「ここにあって、世界にないものは何?」謎掛けみたいですね(笑)。

要するに、八神殿に代表される霊という形であるわけですけれども、繋ぐものですね。我と宇宙を繋ぐもの。我と神を繋ぐもの。我と人を繋ぐもの。

その繋ぐ間に何があるのか、もちろんエネルギーがあると思うのですが、その教えがどこにもないんですね。ここだけに最後に残った情報があるし、これが全ての道に通じるというかですね。この接着する作用がないと、宇宙も存在しないんですね。みんな存在していると思っているのですが、自分が繋げた時に存在しているのですけれどもね。

そういうものは今まで神と人の関係でも、王様とか、救い主とか、なかとりもち、預言者とかが入って、それが繋ぐ役割をしてくれているわけですね。それで何とか説明を付けていたのですね。だから、世界では王という捉え方、これは神道では、君とか、大君という存在が中心的な役割をしてくれていたわけです。東アジアとしては、満州族や朝鮮族、日本族というのは、みんな同じ繋げる役があったわけですね、三本足のカラスなんですね。これはとんでもない発見なんですけれどもね。八咫烏ですね。

昨日も話しましたが、東アジアは動乱の予兆が起こっていますけれどもね。王と民を結びつける一番肝心な、要するに情報ということですね。繋ぐものは情報というもので繋がるわけですね。情報がちゃんと入らないと、裸の王様のようなことになってしまいます。繋ぐものを神と王、王と民を繋ぐということを日本でやっているのが、臣(おみ)としての白川伯王家であったわけですね。それは精神と神を繋ぐということになるわけですね。魂と神を繋ぐのを霊と言っているわけですね。霊と言っている中身は、日本でも八咫烏ではないですけれども、そういうものが初めの君であったり、大君が天皇になるわけですが、神武天皇から125代へ繋がるように、どのように繋がりを付けたのかということが、万葉集の中にいっぱい収められているわけですね。

君と天皇と各皇族たち、あるいは皇族の元にいる民を結びつけるということを何でやっているかということですね。これは「おみち」ということになるのですが、それはどういう精神でいくかと言うと、その頃あったのは、大伴氏の世界ですね。第2国歌と呼ばれている「海行かば」ですね。

海行かば 水漬く屍(かばね) 山行かば 草生す屍

大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ

という一文の部分的な長歌を取ったのが歌になりました。それが戦前の第2国歌になるわけですね。そういう、世界が義、忠誠という意味合いになりますが、一体である、繋がっているという意識ですね。それは武家になってもそうですね。同じことがあるわけですね。大名と家臣の間で、義、忠誠が行われます。情報の部門でいくと葉隠という世界になります。鍋島藩に伝わっているものもあるわけですが、明治になって新しい形にしようとしたわけですけれども。

◇真実と自己とが繋がった時の確証

最終神と人の関係を繋ぐということに一番のポイントがあるわけですね。結ぶ為に、様々な倫理的な言葉で示されていますが、それはひとえに真実と自己とが繋がった時の確証のことですね。地球との関係を自覚すれば、そういうことが悟りの第一歩になります。そういう宗教で言う所の世界、あるいは仏教の禅の最後の境地にある悟りという世界までも含めて、そういうことをやっていこうとすることなんですね。一致するということの為に、そういう心のあり様を問うているだけなんですね。それは真実というか、神というものに繋がる為の一つの道ですね。まさに「おみち」ということになるわけです。それを我々は、今の時代にやろうとしています。それは科学であり、当然、全ての宗教を含んだものであるし、願っていたものを我々が今実践するということですね。そこに一番肝心なものが結合というかですね、そういうものに結ぶエネルギー場を掴まないと決して解決できないんですね。それが非常に大事なところになります。このあたりを掴む為の一つの道が、我々が普段発声している祓いにしても、神の名というものの最小単位を一音にして、その一音の連続によって、単語になり、単語が一つの意味を持って、語法的なものとして出てきて、それを我々が発することによって、神と繋がるという道があるわけですね。ですから、そういう自己から他者、あるいは自然、自己から神という存在にいく為の一つの道が、そういうことを確実にしてくれる。

宇宙も一つの道ですが、宇宙も創造で出ていって、それは宇宙の位相から一つのひっくり返って、陰と陽がひっくり返って、また元に戻ってくるということが、宇宙そのものの姿になるわけですけれども、それを実感しながら、私と宇宙との関係を掴むということが、まずはこれは地球でもそうですし、そういうものが関係性の中にあって、そういう2項のものが理解に繋がるということの論理性は当然ながらあって、その上で、その論理を超えて実感する、確信するということを、このエネルギー場を使ってするということが非常に大事な技になりますね。

◇自分自身に対する納得、自己が自己に対する存在を良しとする

その辺り、お祓いというものがまさにそれをしているわけですね。自己でもって振動させて、宇宙に共振、共鳴、シンクロして、そしてまたそれが自分の自覚の中に返ってくるという一連の作業を、瞬間のうちに祓いの中でするということの一つの実験でもあるんですね。これをやっていくとそのうちに捕まえ、証確することが出来るようになるわけであります。ですから、それに時間が若干かかるかもしれませんけれども、瞬間の中に永遠があって、永遠の中に瞬間がある。

非常に皮肉な表現ですけれども、それがあとは時間を組み込んで理解するということが4次元的な理解で、そしてまたそれが5次元に進化していくということの中身ですね。それを力あるものというか、力をそういうものに蓄えてやっていくことが可能になるということが、そしてそれを自分でもって、自分が証明できる道があるということですね。それを日本は1万5千年の歴史の中で守ってきたし、その守るという意識が、白川でもそうですが、今までは全てあるということですね。大君の、あるいは、武家にしても義というものがあるということですね。その流れの中で、自分自身に対する納得ということは、自己が自己に対する存在を良しとする、そういうところまでいくということが、ですから、心の中ではまだ得られていないということを通じて、ハッキリと一致する時が見えてくるというかね。それを普段のお祓いの中でやっているんだということを、もう一度戻して頂ければと思います。言語学や、物理学や、様々な学問の中では、もう論理は十分だと、あとは実感するだけですね。

掴み取るということが、神を掴むということの中に入っているのではないのかと。神を掴むということは、神と我とが振動し、共鳴し、共振して、それを良しとすると言うかですね。神と我の関係がしっかりと結びつくということですね。それが八神殿の生き方であり、それを伝えてくれたのが白川であり、天皇家である。それをありがとうということで受け入れていくということが、この時代の我々の役割ではないかと思います。

今日は難しい話になってしまいました。ありがとうございました。