0136話:2017年06月12日

◇作法も器の教え、器教

一昨日もお作法確認講習を東京でやって頂きました。要するに作法も器の教え、器教ということで、みんな形から見えない精神のところに入る方法ですよね。目指すところは見えない神とか、分からないところですね。風の神様とか、水とか色々、音とか、音もそうですね。音も形ですね、周波数のような、自然で見えるもの、それは天文、地文ですね、もちろん人は見えますから、人の文、人文というようなものもあります。見えるものから見えないものを掴む為の方法が、形から入るというような、言霊、音霊、形霊とか色々とあります。お作法も形ですよね。形から精神、あるいは神という世界のような見えないものに入っていくから、なかなかはじめから見えないものが分かったり、感じたりするということが出来る場合もあれば、出来ない場合もありますよね。ですから、白川の教えというのは形から精神が出来た時に、はいここで第何種を伝授しますということで、作法を教えるわけですね。

今、作法をはじめからやるということは、形からやるわけですけれども、形ばっかりではいけないですね。要するに精神が分からないで、格好ばかりしているといけないということですね。我々はそれを今の時代のシステム学習という方法でしようとしています。

◇後で見えないものが分かってくる

もともと密教も、禅も、本質を掴む為のシステム学習だと思うんですね。それは形というようなものから入っていくというやり方でやっているわけで、毎朝の献饌をする為に、第5種も伝授してあるわけですね。その境地が出来たからやるということだけではないということですね。それは後で、そういう境地というか、見えないものが分かってくるということで良しとしているんですね。

お祓いもそうですが、よく声をひと声出したら分かってしまうので、禅なんかでも兎に角、何か言ってみろというように、ご修行一回ごとに言わされるんですね。そうすると上手く言えないとか、悟っていないと棒で叩かれますね。言っても叩かれるし、言わなくても叩かれますね(笑)。そういう方法もあるんですけれどもね。見えない世界を知るということ、水や空気というものは見えないわけです。

初期のご修行では、遠津御祖神、あるいは自然の神を体感するとかですから、やりやすいということなんですね。次第に今度は、空中に神を見たり感じたりするんですね。それが若干、霊的なと言うか、形があるように見えるという視覚表象力に頼るものから、そのところが霊という問題の一番大きな問題になるわけですね。スピリチュアリズムというものが間違いやすいところは、見えないものが見えるというところで、見えないものは見えないということを前提にして、しっかりと技を掴むというかですね。

◇神道では全ては神である

世界中の聖典の中には、みんな神が現れる時の表現があるんですね。例えば、あめんどうの花のようなとか、だからと言って、花だけは神が現れるものではないですね。あるいは渦では、渦巻きとか、そういうものが神の入り口ということを言う聖書のような聖典があります。自然そのものを我々が混ぜないで、そのままが神という捉え方が日本の古神道ということですね。その辺は違いがありますが、入った後、あるいは何か形があるように見えるものではないということですね。その途中経過でも、そういう何か花とか、美しいものが確かに星も全て見れば神だから、何百万ということでないでしょ。何十億、何百億もの神と言えば神ですね。イスラム教の戦線に従事して、聖戦に加わって殉死したものは星になるというように言うのですが、神道では全ては神だということですね。そういう風になるのですが、更に進むと見えない世界、見えない神というがありますね。

造化からの五神の別天神は一旦出てきたけれども、また身を隠したまえり、ということですね。身がない、形がないということが特徴ですね。そういう神様まであるわけですね。その世界まで我々は掴むことが可能ですということが「おみち」ということになります。今日はお作法確認講習のことで、フッと感じたことを話しました。

また一週間お願いいたします。