0137話:2017年06月13日

◇安藤広重 雨の場面

安藤広重の展覧会をやっているそうです。六十余州の景色を版画にした人ですね。昨日テレビで見ていました。御田植えの絵で雨の場面があり、白い雨と黒い雨の違いを比較していました。白い雨が柔らかいということでした。安藤広重は雨の場面が沢山あります。考えてみたのですが、江戸時代に、すぐ近くにある酒折神社で日本武尊が翁との問答が旋頭歌というものになるのですけれども、秩父から甲斐に来て何日経ったとか、それが歌の原点になっていますけれども、そこは江戸時代は雨の名所だったんですね。景色も良かったかもしれませんが、雨の音がとても印象的なものだったからではないのかと思います。それで貴族達が集まって歌会をしていたようです。雨というのは、天というのも、雨というのも、今、甲斐犬の本を出版予定ですが、県外の人と県内の人はすぐに違いが分かるんですね。雨宮さんという著者なのですが、「あまみや」さんと県外の人は言いますが、山梨では「あめみや」さんが正しいのです。

◇水の行

五行の中の水の行があります。白川は水を祀る家元みたいなものですが、最初にミズハノメの神様が、一つのこれがオシッコから出てくる神様で、これが水の神様ですね。漢字をあて漢字で別にしている場合もあるのですけれども、天水分神(アメノミクマリ)という神様がいらっしゃいます。天から水が降ってくる、天から分かれる。対応して国水分神(クニノミクマリ)もあります。山に降った水が分水嶺に分かれるというのをクニノミクマリと言います。大地から水が湧き上がってきて、これもクニノミクマリではないのかなと思うんですね。天から降ってきて、地に雨が降った時に、そこから分かれるのもミクマリと言いますけれども、その水が地中に染み込んで地中から水が湧いてきて、大地から水が分かれるということもあるのではないのかなということを感じるんですね。

この水の修行というのは、実はミズノハノメの神の修行、それからアメノミクマリ、クニノミクマリのご修行というもので出来ているわけですね。

◇風と水、息と声

我々がある面では、息というものの中にあるものは、端的に言えば、空気なんですけれども、水蒸気が含まれるわけですね。口から出しているのは、一種の水蒸気ということがある。水蒸気が無かったら声が枯れてきますね。口から丁度、水が出て行くというかですね、だからクニノミクマリの働きと言っても良いと思うんですね。オシッコはミズハノメの神ですが、口から出るものはクニノミクマリ、大地から出てくる水と近いのではないのかなと感じました。

ですから、そういう修行が一つひとつの白川の中にある。そして風のようになって、級長戸辺神、志那都比古神、志那都比売神という呼び名になりますけれども、風と水とそういうものが同時に出ていくのが息であり、声であるというか。そういう修行が白川にはひとつひとつあるということですね。そういうような意味合いを込めてお祓いをして頂けると事情が分かってくるということが今日の感じたことです。

◇事向け和す発信

ある病院に入っている方の両親に頼まれたのですけれども、すぐに発信ということを分かって頂いて、次の段階でどういう発信内容かということが非常に大事なところとなります。主に、精神の病ということになるとDNAの問題とか、酵素の問題とか色々とあるのですけれども、今、我々が一番気にしているものは憑依的なものですね。憑依精神病ということが、今の時代は病名にないですね。病名から取り除かれているということがあって、逆にその症状が認識されないで困っているという現象が起こっています。

まず概念を知って、理解していくという実験的な試みだったなと感じました。取り組みを始めるということ、発信するということでまず変わるのですけれども。発信する内容は、例えば、家系の中で自殺された方がいらっしゃる場合は、その人の名前が正確な呼び名でないと、正しく発信されていないのではないかと感じるわけですね。どのように変化しているということと、正確にストロークする装置が必要だなと感じました。今、開発中ではありますが・・・。

そのところまで機械的に出来ると納得できるのではないのかと、検査機としてあると、非常に良いなと思いました。そういうことがわかった時に、どういう構文が一番ストローク出来るかということが次のテーマとしてあります。それも非常に大事なところに差し掛かっています。

その構文をどのように作るのかということは、いつもOさんに言っていますけれども、我々の最終的な仕事というのは、そういう構文に対しての単なる技術的な問題だけではなくて、情緒的に納得できるかということもあります。和語では言向け和すと言いますけれども、言葉を向けて心が和むということにするということが、本来の天皇や言霊の働きだということになるんですね。その辺りをどのように出来るかというかね。例えば、亡くなった人に対しての言向け和す言葉は基本的なものがあるのではないのかと。

◇言葉で言向け和しの言葉を作る

今、起こっている精神的な病の多くは供養ということが大切なのではないのかと。上手くやると、別に病気の人でなくても、我々の遠津御祖神と同じように、効果を持つということがあると思います。その時、どういう言葉を発するのかということが大事なところになるのではないのかと。例えば、感謝の言葉ですね。その人達が人生において成仏してくださいということは、辛い経験を和ませるというかね、そういうストロークがあると、悪いところが消えていくというかね。そういうものを体系化して、発信の大事なところにしていくということですね。

兎に角、要するに、これからのソフトウェアの一番大事なところとして変わらずに必要なものは言霊というか、言葉で言向け和しの言葉を作るのが我々のミッションでもあると思っています。そういう観点からやっていくと、効果的にいくのではないのかと思います。そんなことは今日は感じました。

ありがとうございました。