0143話:2017年06月19日

◇救世主

個人個人の悩みとか、心の問題を解決するというのは、愛行というか、菩薩行というのかですね、そういう存在をマイトレーヤ、弥勒菩薩とか、上行菩薩など言ったりします。仏教でもそうですし、預言者という存在もあり、人の苦しいことを解決してくれるということがあります。

いわゆる「おみち」というのは、天皇に関するご修行のところであるわけですけれども、それは要するに、個人個人の、もちろん心を救えないこともないのですが、そういうものが中に入っているということですね。要するに、救世主ということですね。世を救う存在者です。それはキリストという意味ですね。ある面では、キリストということと、天皇ということが、ほとんどイコールで繋がる世界であります。要するに、国全体を変えるということが、世界を変えるということに繋がっています。世界を変えるということの条件は、たぶん役割をする時に大事なテーマになります。それが言ってみれば、今、5次元のワープもやっていますが、次元を変えるということ、時間と空間を超えたということは、この世というものの新しいあり方を表現するということですね。それは一つの救世主というか、そういう役割をする一つの条件になると思います。それが人間としての様々なカルマとか、業とか、原罪という、いわゆる宗教で言う変えられないと思っているところが変えられるのかどうかとか、それも条件の一つになります。

それを昔の人は、弥勒菩薩の格好に似ていないと駄目だから、手相を切ったり、印を付ける人もいますが、自分が救世主になりたいという願望を出す人もいます。これは形の上での問題ではなく、どうこれからの中で、救世主に匹敵するような条件、あるいは意識というものを持っているかがあると思います。それを今度は明確にしていくと、非常にはっきりとしてくるのではないのかと。

今の社会の問題点と新しい社会というものですね、我々は少なくともイソノミヤということを言っていますが、そういう存在を表現できるかということの大事なところだと思います。だから、言霊と鎮魂と祓いというものが、どれ一つとっても、そういうものを指し示す指標と言いますか、救世主ということをとっても、世を救うという意味合いを持った、これは荒唐無稽というか、それは6千年間無かったと言っている宗教もあれば、2千年前にあったという宗教もあり、また救世主が再臨するということを言う場合もあれば、あるいは56億年という時間が要るんだということなど、色々と云われますけれども、少なくとも現代において、救済をもたらすような方法というものがどういうものかということがこれから問われるのではないのかなと思います。

一人ひとりの心の悩みも持ちながら、今、時代もそういうところに来ているとすると、少なくとも5次元、あるいはワープするということを言うということは、そういうものが前提にないと解決しないですね。ですから、自分の健康や悩みを解決しながら、同時に救世主ということは、どういう存在としてあるのか、ということの雛形は、どうも日本の中にあるのではないのかと。それはあまりにも我々が当たり前に鎮魂、言霊、祓いというものを頂いていますから、それの一つの雛形というものが、古神道の中の、天皇というものの中に含まれているのではないのかなと。そういうことを、なかなか当たり前になっていて自覚しようがないかもしれません。憲法第一条に書いてあるわけですけれども、それをみんながやっていこうということで、右も左もなくやっているわけですから、それもあるのですけれども、なぜそうしたら良いのかということがなかなか分かりづらいことですね。

◇クラインの壺

我々が一つ一つ実践していくことが必要になってきます。こういう部屋の中でお祓いをするということ、あるいは鎮魂するということは、イメージとして全ての自己の中の問題を解決しようという中身を出して、それが少しずつ軽くなって自分自身に戻ってくるというかね。祝殿の中が一つのクラインの壺なんですね。中には我々の心が入っていて、どんどん清らかになっていくというかね。自分自身が吐きながら、清らかになっていくというかね。自分自身が吐きながら、この中を回っていくものだと自覚するということが出来ると、非常に楽しくなるというかね。

私は後ろでお祓いをあげているので、それがよく分かります。メビウスのようにグルグル回って、どんどん自分の気持ちが少なくなるんですね。お祓いをあげた後、少なくなるということは、多分この中で思いが透過して、うっ滞エネルギーにならないような形になっているのではないのかと。

皆さんの脳の中もクラインの壺かもしれませんけれども、この全体がまた壺のようになって、みんなの思いが大祓によって少なくなっていくという感覚を後ろで凄く感じるんですね。それはそういうものが神器、今、十種神寳は神器とか言っていますが、色々なものを開発しています。昨日は、はやぶさを作った門人の松林さんが、世界で一番の平面鏡を開発してくれました。そういう神器というものを考えています。

多分、ヨーロッパ流に言うと、クラインの壺というのが神器ということですね。クラインの壺ということで、要するに、みんなが洗礼を受けるように、その中で神の息吹というか、そういうものを受けて、清まっていくということがあるんですね。祝殿の中がクラインの壺のようにグルグル回って、一つの問題が解決していくということをもたらす神器ではないのかと思っています。今日は後ろで、フッとクラインの壺という言葉を感じました。みんなそれぞれの壺があって、それが混乱しなくて、少しずつ、うっ滞が取れていくということが感じられて凄く嬉しかったです。そんなことを感じましたので、お伝えしていこうと思います。

今週もどうぞよろしくお願いいたします。