0144話:2017年06月20日

◇創世神話

最近は、救世主の齎すものということをチラホラ話し始めています。救世主というのは、キリスト教で言うと、イエス・キリストですね。救世主イエス・キリストを迎える人の信仰がキリスト教になったんですね。その方が、2000年前に亡くなられて、もう一度、再臨するということで、再臨のイエス・キリストということで、その時には空中に浮かんだりですね。

当時、一回現れて来られた時は、トマスという人が槍で刺された痕があるのではないかということで、槍の刺さった傷を触ったということで、世界の合理主義の哲学の始まりの人がいるんですけれどもね。使徒行伝の中に書いてありますけれどもね。だから、印があるということですね、現れる時に。また、空中携挙ということで、イエスが空中に浮かび上がって現れるということが書かれているんですけれどもね。仏教にはマイトレーヤがいます。仏教では弥勒菩薩ですね。弥勒菩薩とキリストという概念は非常に似ているんですね。我々も救世主の条件は何かということをあげなければいけない時に来ていると思います。今日感じたのは、その条件の一つに創世神話を持っているかどうかということが、非常に大事になるということです。

今の科学は、ビックバンを否定されているような論があるのですけれども、古事記の創世神話は、今の科学の概念から見ても、創造した時はこうだっただろうということは、いまだに新しいですね。いまだにピッタリとあっているんですね。もちろん皆さん、奈良先生の漫画古事記を読んだら、神様というのはこんなことをやっていたんだと思われるかもしれません。先生も一生懸命、解釈で気持ちだとか、いっぱい書かれています。先生はとても優しいですね。科学から見ると、何もおかしくないのが、日本の古事記の創世神話だと思います。その創世神話を持っているかどうかですね。極端に言うと、その創世神話を毎日、お祓いであげているわけですね。イザナギ・イザナミの神の創造というのは中間にあるけれども、神様さえも失敗することがあるわけですね。最初にイザナミから声をかけたから、上手く創造が出来なかったとかね。イザナギから声をかけたら、上手く創造が出来たとかね。その為に右回りしたり、左回りしたりするんですね。「あなにやし、えおとこ」あんた良い男だねと言われたら、駄目と言われた。「あなにやし、えおんな」あんた良い女だねと言ったらセーフ、それが始まりになるということでした。

天津の祓いを我々はやっているわけですがそういうことをする。もちろん、言葉一音一音も神の働きとして出来たということが一番ですね。言語中心に、哲学や科学を構築しなければいけない時代に来ているのですが、その言語からしても一番綺麗な音というかね。今の太陽系の振動、惑星の振動が父韻となったとかね、そんなことも言えるような論とかね。

あとは振動数が合って証明されれば良いんだけれどもね、それはもうちょっとかかるかもしれませんね。惑星が創造された時に、その時に言語の祖が含まれているというかね。だから、フトマニ・フルベ、鎮霊、鎮魂という一つの創造の段階みたいなものまで、きっちりと出来上がっているわけですね。言語の元も言霊として出来上がっています。そういう条件が、たぶん本当に世の中に平和を齎すということを問われた時の内容にあるということですね。その一つが神話ということになります。神話をもって、神話が現代の科学的な言い方から見て全然大丈夫というところの、そういう神話があるかどうかがポイントになります。その点は、なぜ神話なのかということは創造があるか、ないかなんですね。ずっと宇宙がありました、何兆年とか関係なく、ずっと宇宙はあったということですね、そして今も、ずっとあるということですね、初めというと終わりがあるからですね。救世主ということは、初めがあって終わりがあり、それを解決するという役割ですね。我々はそれを毎日、中今の中で大祓をして清めて、またゼロに戻って、またやるというかね。言ってはいけませんが、罪を犯しても、絶対また朝にお祓いすればいいですね(笑)。これは非常にマズイですね(笑)。それくらいの自信がないと、とてもこんなことやっていられません。

◇ストーリー

本当に素晴らしい社会が来るかということは、悪い社会が終わらないといけない。だから、毎日終わりにしているんですね。毎日というか、瞬間瞬間、初まりで終わりであるというところまで極めていくというかね。そういう創世神話を持たないといけないということですね。単に何兆年前からありました、ということでは駄目なんですね。初めがありましたということですね。途中が上手く行かなかったですが、最終的に解決して上手くいきました、ということがストーリーですね。創世神話のストーリーが初めから幸せでしたでやると物語にならないでしょ。シンデレラでも何でもそうですが、初めから幸せでした、仲良く暮らしていましたということでは何の意味もありません。大変な苦労をして見つけてもらうんですね。ガラスの靴に合わないといけないわけですからね。これがストーリーであり、物語ですね。それが神話ということの話で、ストーリーがないと何の意味もない。それを持っているかどうかということですね。

今の時代では、それが非常に科学的なストーリーとして、納得できるというものでないといけないですね。進化なんていうことは、一種のストーリーの中なんだけれども、それをデザインしなければいけないんですね。デザインしないと今の時代に合わないんですね。

旧約聖書は6千年前に、この世は生まれましたと言っているんですよ。それは進化論で、ダーウィンが出てくる前は良かったのですけれどもね。ストーリーが今の時代に合っているのかどうかと。宇宙の進化のストーリーを混ぜこぜで作らないといけない。大変苦労していますね、アメリカの学者、教育者は、進化論はキリスト教では否定されているわけですからね。政治家も聖書に手を置いて、そこで誓わないといけない。そういうことで6千年前に出来たということを書いてあるわけですね、今でもそうですよ。

コーランを国教にしている国はあるわけですね。コーランが国の法律になっている。160カ国以上ある世界の中にはもちろん憲法がない国もありますが。我々は神話学ということがあります。民話学ということもあります。神話学ということから見て、創世の物語があるかどうか、そしてその物語が現代の先端の科学から見て、整合性があるかどうかということが大切です。全然問題ないということであるかどうかですね。そして中身をどのように掴むかということですね。

今、我々はイザナギの大神の故事にならって、それを解決していくというかね。創造の時の失敗も解決しましょうということですね。それが祓いですね。天津神は天の岩戸を押し開き、国津神は高山短山の末より、ということで一番元から解決していくように、大祓の言葉を与えて頂いて、そしてそれでもって創世神話の源に戻る為の祓いをするんですね。言語をもたらされた一二三ということで、最後にひふみよいむなや・・・で、ありがとうございますと感謝をする。この五十音があるから、あるいは75声、あるいは言霊百神があるから、今、祓いが出来て清まって、元の創造の源に帰って、またそこから創造が行われてきますということで感謝することが可能なんですね。

◇鎮魂ー無ー神を掴む

感謝ということは、創造されたということがなければ、感謝なんてないわけです。そういう概念、そういう情緒もない。感謝がなかったら、この世界は真っ暗闇ですね。感謝の気持ちを持てるということがあるということが、救世主の齎すものであるかもしれません。それは神話とセットですね。

我々は神を掴むと言っていますが、創造の神を掴むと言っていますが、創造の神を掴むという時には、無に行く世界ですね。無にいく為に、鎮魂という世界も頂いているということですね。救世主が齎すというものの条件というのは、それは人に関わるものとは限らないわけですね。エネルギーなのか、概念なのか、色々とありましょうけれどもね、少なくとも、そういうものを何かということが今から追求していくということ、あるいは条件をあげていきますから、それに基いて、そういう存在、あるいはそういう働きを我々は頂いて、新しい社会を、あるいはそれがイソノミヤと言いますか、そのような社会にしていくというところに至ると思いますので、その辺りを日々の祓いの中に、創世神話とそれに基いた祓いがあって、元に戻っていく。創世神話を毎日、実は言語を出すということによって確認しているということをやっているのではないのかと。ということが今日の感じたことです。

ありがとうございました。