0146話:2017年06月22日

◇救世主とシステム

今朝、Oさんと、藤井聡太さんが28連勝してすごいねということを話していました。僕はニュースを見ていた時、最後の手が将棋のソフトと同じだったと聞いて、あっそうかと思いました。要するに、全ての知識が入っている機械と同じということですよね。ポイントは、藤井聡太四段ということで、僕は八段くらいの実力だと思いました。段というのは、色んな都合があると思いますが。今の機械というのは、名人を負かすくらいのソフトになっていて、言ってみれば、八段くらいということですね。それは何故かというと、高速学習ではないですかということですね。小さい時から親から教えられたんですね。

Sさんもそうですけれども、2歳で百人一首を暗記したとかね。若い時に高速学習をしたんですね。なのでそのことを考えたかと言うと、今は救世主というと人のように思うのですが、人として世を救う人、あるいはそういう役、今度はそういうミッションを持つと、役柄に名前を付けるということになるんですけれども、更に進むと、もちろんお釈迦さんや、イエス様は救世主として何千年も崇められているわけですね。近々でも、日本、あるいは外国の色んな新宗教運動の教祖たちは、救世主と言われたり、あるいは我こそは救世主だ、と名乗って出てくるわけですね。

日本も戦争に負けた後、いっぱい出てきたわけだけれどもね。長い間、人が救世主だとみんな思っているのですが、どうも今の時代というのはシステムと言うかですね、救世主がもたらすシステムが、それを可能にするというか、それは学習もそうだし、極端に言うと、エネルギーもそういうもので出てくるだろうし、食べ物がパッと出てくるとかね、これは22世紀の話かもしれませんけれども。

要するに、エネルギーと食料と知識が機械的に出てきたら、ほとんどそれが、救世主の条件みたいなものになりますね。それをもたらすものというのは、そういうシステムとしてあると言うかね。科学、あるいは機械として、サイバネティックスや、コンピューティングとか、今の時代のシステムというか、そういうものの生物学と合うようなシステムが何かというと、オートポイエーシスとかですね。そういうシステム論が出てくるわけですね。そういうシステムとして、どこまで完成されるかということがポイントになります。

◇「私の全ての知識と能力の上にあなたがいるんだ」

その辺りをこの70年、様々な企業がシステムに基いて作ってきているわけですね。それが社会のシステムのところまでようやく来て、相当その恩恵を装置やソフトから享受しているわけですね。我々もその仕事をやっていると言ってもいいわけですが、その中で何をするかということが大事なところです。毎朝、大祓をしているというのもシステム的に捉えると、宗教ではないということの意味は、救世主という、一つの人間に頼るということではないということですね。

白川や言霊や鎮魂というのは、要するに、これは高濱浩先生の言葉にもありますが、学ぶ者は先生よりも賢いということが前提なんですね。だから、先生は「私の全ての知識と能力の上にあなたがいるんだ」という教え方ですよね。それがキリスト教では、師に勝る弟子はない、とはっきり書いてあるんですね。ということは、弟子になったらお師匠さんより上に上がれないことになります。

禅では黄檗という大和尚が、弟子の臨済に顔を張り倒されて、ハッと気付き、印可(悟りを証明すること)を与えたことがあるという記録が経典の中にあります。要するに、禅の中でも、師匠を超えても良いという原則もあるけれども、ほとんどの宗教はそうはいかないんですね。それで結局、お師匠さんの言うことを聞いて、お師匠さんの知識の中に縛られてしまうということになります。それでは、師を超えることはどんな宗教でも無理ですよね。

時代が先に行ったら、イスラム教は同じ根っこのユダヤ教から出てきて、キリスト教になって、最後に出てくれば救世主と言わなくても預言者で出てきたら経典の方が進んでいる。これは時代の社会システムとしては優れているから、コーランには、お金なんかは利息を取ってはいけないよということが書いてあるんですね。イエスさんもそういう為替の元になるようなお金を持っていって、神様にお礼を書いてもらって、お札をあげてお金は取ってしまうというかね。そういう為替みたいなものをやっているわけですからね。進化しているわけですね、後から出たものですね。

◇誰にでも実現できるということが、世を救う

それは当たり前のことで社会システムもそうです。我々が22世紀を目指していくということを考えた時に、やっぱりそれは、その時代に向かって進化していくということですね。それは要するに、世を救うということは人にあらずということですね。今の時代で言えば、こうすればこうなるというような、それが科学でもあるんですけれどもね。もちろん、宗教も魔法から科学になっていく過程で、神話から哲学、科学というように進んでいくんですね、この2000年は。

我々も、現実化するという言霊を使うということであるから、誰にとってもそうならないといけないというかね。若干のトレーニングが必要だったり、でも必ずシステムとして誰にでもそうなる、機械的にそうなる、ということをもたらさないといけないわけですね。

我々がソフトウェアとして、より効率的なものを作るということをやっていますけれども、それも瞬時に、それが実現しなければいけないということがあるわけですね。これからは、日本文明はネットの文明に組み込まれていく中身だと思うんですね。その時に、ネットの文明という新しい中身は当然、科学されていきます。しかも、それは誰にでも必ず実現できるというかね。誰にでも実現できるということが、世を救うということですね、世が変わるということですね。

システム的に世が変わらないといけないわけですね。救世というか、昨日も、白鳥さんとのテーマは、弥勒菩薩ですね。それはマイトレーヤ、救世観音とも言うのですけれども、要するに、世を救うということが56億年後という、その時代に降りてくる弥勒下生という概念が仏教にはあります。その時というのは、要するに、人類が全て救われる時ですね。キリストの再臨であったり、再臨するということの中身であるから、救済するということだと思うんですよ。救済するということを前提とした、そういう学びが、その時にはどういう形になるかというかですね。世が救われるということが、どういうことかということが、いよいよ、そういうことをテーマとして開発しなければいけないということになります。

システムとして誰もが、救世のシステムを使えば救われるような、それらは、22世紀の全体の社会体系になるんだろうと思います。その辺りを少しずつでも出来るということが非常に今、高速学習で学んでいくということで、機械と人の争いのように見えますけれども、機械をフルに活用しているという脳になっているんですね、藤井さんはね。僕はそのように感じました。もう四段とかではなく、八段くらい。だから、名人戦に出てしまうくらいの能力を持っていますね。それは高速学習の結果なのではないのかと。

それは、機械が発達したことによって、人間の意識の中で、それが可能になっているのではないのか。機械に出来るということは、人間にも出来るわけですね。機械を作ったわけですから、それはアナログでも、それが可能になるという時が来るわけですね。それは同時共時ですから。将棋のソフトと藤井さんの手が全く同じだったということは、それを証明しているのではないのかなと今日は感じました。

今日も一日よろしくお願いいたします。ありがとうございました。