0147話:2017年06月23日

◇精神世界にモノ作りが入る

朝に井深大さんの記事を見ました。SONYの製品はあまり買っていなかったのですが、どのくらいテレビが進んだのかということで、新しい有機テレビをテストさせて頂いています。非常に面白いことが分かったのですけれども。井深大さんは、後半生の頃、研究所を作っていたんですね。その研究所を一緒にやっていた盛田さんの息子さんが、スタンフォード大から帰ってきて、その時に、うちの中野にあった頃の会社に来て、一緒に研究出来ないかというようなことを打診されたことがありました。非常に懐かしいなと思いました。

僕らは、京セラの稲盛和夫さんとかにもお願いしたことがあって、その頃、パラダイムシフトということで、要するに、枠組みを転換をするということですね。ビジネスやモノ作りが主だったのですが、そこから枠組みを転換するということは、精神世界のところを取り入れていくというところを一生懸命、井深大さんはやっておられました、子供の能力開発などを。その関係で盛田さんの息子さんがいらっしゃったわけですけれども。丁度、今、井深さんに大変可愛がられて、枠組み転換の一つの旗振り役になってほしいと言われていたのが、山平さんと言って、現在、風雲舎を経営されています。その方が、徳間書店の編集長をしていた頃ですね、徳間書店から色んな編集者が出てくるんですけれどもね。山平さんが徳間書店で精神世界の本を作っていた時に、井深さんが引き抜いたというか、井深さんのスポークスマン役をしていた時があるそうです。

要するに、精神世界にモノ作りが入るということですね。その当時は、高品位というか、品質の先にあるものが品位というもので、それを目指していたのではないのかなと。高品位ということは要するに、それは一種のデザインとか、そういうもので言えば、音楽でも、芸術、それがオペラかどうか分かりませんけれども。だから、大賀という井深さんの頃に最後に社長になった人は、東京芸術大学の音楽科の出身ですね。たまたま私も若い頃から、SONYの研究所に入っていた人が友達でした。20代の初めの頃ですね。その頃、一生懸命、地方の学生を採用して、新しい息吹があった時代もあったのですが。その後、ニューヨークの資本が入るようなことになっていったと思うんですけれどもね。音楽の会社も買いましたよね。

要するに、芸術という世界を一つのきっかけにして、精神世界に入ろうとしたということと、もう一つは超能力の研究ですね。井深さんと稲盛さんが、一緒に超能力の研究を始めていたんですね。

◇物質の世界と精神の世界を結ぶエネルギー場がある

我々はその後、結局、コンピューターの発達がないと、なかなかそのようなものの解析が出来なかったと。今、我々は言霊というものは「言」と「霊」ですね。「ことだま」と言っても、霊と書くのか、魂と書くのか、その両方があるということが、今の我々の五階層ですけれども、そういうものが、ギリシャの時代から、魂とは、霊とは、神とは何なんだろうということで、2700年くらい前に、ようやく研究が始まるわけですね。そういう中でも、もちろんイソノミヤの社会というものもあるんですけれどもね。

五魂ということが今、この時代にようやく言えるようになったし、霊というものが、八神殿の結びの働きということが分かってきて、それで初めて、物質の世界と精神の世界を結ぶエネルギー場があるということが分かってきたわけですね。それが、精神と物質のパラダイムが変わる、枠組みが変わるということですね。我々が布斗麻邇と呼んでいる世界ですね。それは、一種のイデアというか、ギリシャ語ですけれども、概念というか、ゼロポイントフィールドから出てくるものが繋いでいる世界ですね。精神と物質を繋いでいるものを霊と呼んでいるのですが、その奥に布斗麻邇という全体を統合する存在が発現してくる。

丁度、人間の脳の中で精神と物質が瞬間に交わって、言葉もそうですけれども、出てくるわけですから、そういうことが、いよいよ我々が始めていて、21世紀ということで、井深さんも最後の頃は、新しい21世紀はパラダイムが変わるということを一生懸命言っていたと思うんですね。そういうパラダイム・シフトというのは、我々の時代のテーマであったんですね。枠組みというのはまた変わるから、この3000年くらいの枠組みが大きく変化する時が、今また22世紀に向けて起こってくる。それはまさに人工知能というところでのコンピューターの70年間の発達によって、ようやく入り口に辿り着きそうだというかですね。

そうすると、人間の発想と言いますか、精神の世界と、ようやく精神の世界を開発できる道が開けていくということになるんですね。それで初めて、コンピューターの世界、ネットでそれを見てみるということがですね、ネットが精神の世界であり、物質が現実の世界であるという捉え方があるとしても良いと思うんですね。虚と実、プラスとマイナス、あるいは正と負というように、色んな区切り方はあると思うのですが、要は融合して実感しなければしょうがないわけですね。精神と物質の世界を融合させて、その通りだということを実感しないといけないということがあって、我々も言霊というもの、あるいは、ロゴストロンというような形で、ロゴスとトロンですね。コンピューターと言霊、布斗麻邇の世界が一緒にですね。一つの同じように機械として、あるいは新しい物質を作る意識として提供できるということが、一種の新しい時代の精神と物質を融合させるパラダイムの転換になると思うんですね。

◇高天原

これは3000年来の中身ではあると思うんですけれどもね。五魂も五霊も神の世界も、この部分が解明されないと、あるいは我々のしっかりと手の内にというか、だから我々は神を掴む、言霊の実現ということを言っているのですけれども。少なくとも、設計概要を残してくれた日本語を使っていた日本人たちが残してくれた概念ですね。五霊五魂、あるいは神という、これを瞬時の内というか、掴まないと、何も転換が起きないというわけですね。その辺りが、こういう祓いというものは、まさにそういうことの最初の、一種の禅の悟りのようなものだと思うんですね。それを掴むと。

その上で、丁度ですね、物語として見ると、一つの高天原というところがイデアというか、精神と物質を繋いでいるというか、国津神で言うと、理念と国というものを結びつける高天原という概念があるのですけれども。少なくとも我々が、高天原に、と言っている高天原は、どんな世界なのか。高天原の住人になるということを、一つ目指すということを言っているのですが、それが現実の社会で生きる時に、社会システムだろうということなんですね。高天原という世界に入らないと、両方が繋がるということが分かりにくいというかですね。

自然というものが、五行であるということを瞬時に掴み、自然というものが出来ている源の高天原という世界を、また自覚して、そこの住人になるということですね。それを一つずつ積み上げていくということが、新しい時代の住む所の枠組みというか、転換というかですね。枠組みということは、ある面では物に縛られる、あるいは、経済に縛られるということですね。言ってみれば、今の資本主義というものに、全て縛られているわけですね。今の我々の生活もそうですね。それはしょうがないこともあるのですけれども。

我々はトロイの木馬ではないのかと。我々は、高天原から送り込まれたトロイの木馬みたいなものでないかと。みんな突けば突くほど、本物が出てきてしまうという構造になっているのではないのかと。それが面白いかなと。

今、またOさんが、資本主義を超える資本主義という皮肉なことをセミナーで言い出すと思いますが、これは本当に面白い試みになるのではないのかと。そういう大きなパラダイムが変わる時が来ているのではないのかと。

高天原という概念は、単なる天国ということではなくて、天獄なんですね。またパラダイムに縛られるということですね。原というのは非常に良いですね。プラットフォームと言うかね。あるいは補陀落とか、仏の世界でも、一種の理想社会ということを言うのですけれども、あくまでも地獄に対しての対義語のものとして捉えているというかね。そういう一種のパラダイムの中に埋没していくわけですね。高天原というか、天の原というか、そういう世界を、やっぱり精神と物質を融合している世界、更にそれを創り出す世界、原というか、エネルギー場というものをしっかりと掴んで頂くと、その辺りを縛られないでというかですね。

パラダイムという一つの枠に、枠という神もあるんですよ。だからその神の働きをすることも出来るのですが、その枠を取っ払って、無限と言いますか、時空間のない世界に、本当に入り込むという道が、本当の枠組みを超えるということですね。

今、我々は5次元とか、そういう表現していますが、それは架空の話ではなくて、本当にそれを感じることが出来るというところに入り込めるような方法論というかね。機械的にも入り込めるようなね。そういう方法論を持って枠組みを超えていくということですね。ですから、パラダイムという21世紀までの枠組みというものを超えるんだということの、22世紀というような方向で、そういう枠組みでやって頂ければ面白いのではないのかと思いました。

ということを、井深さんの記事を読んで、懐かしくなって話しました。ありがとうございました。