0152話:2017年06月30日

◇大祓は古代の簡素な美しい言葉

今日は晦の大祓の日です。後ほど、また宜しくお願いいたします。

昨日、信じるfaithを顔のfaceのまま送信してしまって、申し訳ございませんでした。信仰のfaithでしたね。

今日感じたのは、大祓の言葉というのは、古代の簡素な言葉だと思うんですね。1000年以上前の言葉で、万葉集の時に、柿本人麻呂さんが訂正を入れたくらい、非常に古いものです。その言葉が非常に綺麗で、一つ一つの単語も動詞も非常に美しい言葉で出来ていると思います。

聖書の翻訳の時に、ヘボンが我々日本人に父韻という概念を伝えてくれたことになりました。その時、聖書に厄介になっているわけですね。西洋文明の大きな柱でもあるわけですが、それが新約聖書、旧約聖書の翻訳を日本でしているわけですね。その文語訳の単語とか、言葉を、日本の翻訳者たちが全部探してきて、適切な用語にして、膨大な聖書を作ったわけですね。それが結局また、国文学の素晴らしさになっているというかね。旧約聖書を名だたる学者、作家、文学者たちが読んで、それを自分のものにして、そして、文体、文章を作っていくということをしたわけですね。ですから、そういう基本があって、哲学用語なんかでも、明治以降、漢字でもって、何百と作った。経済学用語もたくさん作っているわけですね。それが非常に高度な芸術を生み出す元にもなっているということですね。

我々も大祓は非常に簡素な言葉で出来ていると思うんですけれども、一つ一つの単語が美しく並んでいるというかね。だいたい聖書なんかでは、モーセの十戒では、神の名前をみだりに呼ぶなということが書いてあります。ですから、神の名前が分かんなくなってしまうんですね。呼ばなくなってしまう。もちろん創造神というのを、YHWHと言うんですね。ヤハウェですね。音があるような無いようなですね。母音がないから、音にならないというかね。母音がない、要するに、音にならないのではないのか、非常にテレパシー言語みたいなものですね。ヤハウェ、YHWHですね。色んな呼び方があって、分かんなくなってしまうんですね。

我々は、先ほどの気吹戸主神でも、速秋津比売神でも、そういう神の名を綺麗に並べてあるわけですね。最初の祓いでは、祓いは87神から97番目の神様を、伊豆能売神だけあげていないんですね。汚いものを処理する神様というようなことかもしれませんけれどもね。そういう神様は言わないというか、だけれども10神は全部言っているわけですね。堂々と神様の名前を言って、一神教と多神教ということもありますけれども、言ってお祓いをあげられるというかね。これもある面では幸せなことかもしれませんけれどもね。

大祓を、柿本人麻呂がいじったくらいの噂しかないくらい確定しているのは、凄いことではないのかということになると思うんですね。もちろん、江戸時代までは、みんな印刷がなかった、活版くらいですけれども、みんな良い本は写していくということでやっていたということでありますけれども。一部、印刷技術がない時は、かわら版みたいなものも出来ますが、学問の世界では、なかなか出来なかったと思うんですけれどもね。

みんなで学ぶことが出来る時が来たということですね。我々の5世代、6世代くらいの間で、一気にそれが進んで学びが出来ているということは非常にありがたいことですね。先ほどの神の話で、神の名前をあげて、そして一番強い神様と一緒に、それを迎えることを出来るような体系を残してくださった、ということは非常にありがたいことだと思います。今日、大祓をあげていて、非常に素晴らしい、一つ一つの単語同士が美しいものだなと。

今日の夕の大祓祭は、一部、大祓の序文を祭祀の時に読んで頂いたり、更に大伴家持の歌を、Sさんに演奏して頂くということをやろうと思います。楽しみにして頂ければなと思います。

今日は宜しくお願いいたします。