0153話:2017年06月30日

【大祓祭祀】

全くいろいろ新しい試みで、ゼロポイントフィールドという感じで、頭の中も真っ白というか、いよいよまた、いっぱい罪をしでかしても大丈夫そうな感じで(笑)。今日はご苦労様でした。

◇誠。言った通りに事を成す

この数日というのは、「まこと」ということを、どうも古神道の中で、一番大事な部分というか、ハイライトというか、エッセンスといいましょうか。一神教の中では、神を信じるということが、文字通り信仰ということですが、我々はそれを、信仰の信を「まこと」と読むわけですね。昨日、はふりめくで間違ってですね、フェイスブックのfaceにしてしまい、faithだったんですが、みんなに笑われてしまったわけですが・・・。

やはり、それを我々は、真実の真という、これはtrueということですが、まぁ知らない英語を2つ言ってしまいましたが、すみませんでした。横文字を混ぜて、頭の中がおかしくなりそうですが・・・。

信というのが、「誠(まこと)」というか、言葉が成るというか、言った通りに事を成すという意味合いでの誠ということ。これはよく「心口意」というかですね、心で思うこと、言うこと、行動が一致しているということで、「心口意」が一体の時を、「誠」という意味合いで取る場合が多いですが、そのような「誠」というところが、平安清明という、我々が大事にしていることの、さらに行動原理というか、実践原理のところというか、踏むべき道、それが「おみち」ということにもなるのでしょうが、それが我々の心も、言葉も、それから行動も一致しているということが「誠」ということであり、そのまさにそれが、言葉は実現するということに繋がるのではないのかと思います。

まぁ考えてみますと、これは「虚」と「実」というか、真実ではないことを、真実に変えていくことの毎日であるわけですね。大祓ということは。ですから、当然、心、言っていること、行動が一致していることが一番大事な神道における生き方になろうかと思います。

そのあたりを、信仰では最終目標にしているのを我々はごく当たり前に、誠に生きるということを簡単に言ってしまっている。そのようなあたりが、神道はすでに高度な実践体系を持っているということになろうかと思います。

◇大伴氏の守るということの心、公

今日ですね、N君とSさんの演奏、あるいは歌というものを・・・。これは大伴家持というか、大伴氏が、日本というか、天皇というか、守るということの心に、いささかの疑念もなく、心で思っていることが、あるいは歌で歌ったものと、行動が一つである、という表明なんですね。いささかも変わらないところです、という誓いというか、宣言のようなものだと思うんですね。もちろん万葉集の中には、言祝ぎの歌や、国を守る歌が沢山ありますし、何千首という歌がありますが、その端的な言葉というものが、本当に歌う人たちの真実の、防人は防人、百官の人たちは百官の人たちの思いです。

大伴氏で一番ポイントになるのが、大君に対する忠誠ということになりますね。それは具体的に見える存在としては天皇陛下になりましょうが、抽象的には、その意味というのは、やはり「公」の為ということになるわけですね。

今日も先ほど、Oさんと話していたのですが、本来、政治的に「公」を実行するべき場所が実行できないと、これは大変なことになるというか。そのようことが一番大事な中身として、我々がそれを学んだことであるわけですね。まさに「公」ということが、本当にみんなの為に生きるということをお役人さんといったら、まずはですね、百官が実践するということが、あるいは部族長ですね、それを実践する実行部隊が正しく行うということが、本来の日本の民族の生き方であったわけでありますね。そのことが今、怪くなっているところがあるわけですね。権力闘争や、自己保身に動いて、なかなかそれが実行できないような事態もあるわけですが・・・。

我々が大君に、という意味合いということは、すなはち、それは「公」に、ということであるわけですね。「公」の為に生きる、「公」の為に生きるということが、こんなに楽しいことだ、ということを、この白川というものは、数千年にわたって伝えてきてくださったんですね。そのことを今、この大変な、まぁ仏教で言えば末世というか、そしてキリスト教的に言えば、この終末の時に、今まさに世が滅びんとするような時に、その一筋の光というか、今日もこの梅雨の中ですね、急にですね、いつもそうですが、ここでお祓いをすると、必ず上に光が差してくるのですが、それは毎回同じですね。よっぽど雨が降っている場合は、ほとんど止まってくるようになりますが、パッと日が差すという感じではないですが・・・。本当に雲の上の世界というか、それが我々は、天と呼んだりする世界でありますが、そのような光の差すところに社会が、新しい時代というものが、いよいよ移行していっているのではないのかということが、だんだん・・・。

我々はその先端にいますから、よくわかるというか、この修行というものが、少なくとも空中浮揚ではありませんが、相当、上の方で、太陽を見ているのではないのか?ドラゴンボールではありませんが、結構上の方で見ているから、光り輝いているのではないのか?その光が差してくるのが、非常によくわかるのではないのかと思っております。

そのような中で、「公」ということを実践することが可能な仲間、あるいは、これからの役人といったら失礼ですが、官僚とかが中に沢山いるかと思いますが、祓ってより良い日本にしていくということ。その一番見える形が、大君に対するその大伴家、あるいは大伴家持の歌や、その素晴らしい和歌が、我々に残されているということですね。そのことを明らかにしていく。

それがたまたま、大祓も年に2回やっていたことでありますが、祓いの言葉が、そのような伴の男(とものを)というんですかね。大伴の伴ですけれども、日本の国、あるいは守る人たちの為に、間違っていたらお祓いをあげましょうということの意味が、この大祓の内容だと思います。その意味で、序章というか、大祓を上げる前の前文のようなところを今日はS君に読んで頂いたわけですね。

ちょうど、Oさんの出現で、我々も本当に神武天皇の時に、最初に日本の国を守った血筋の方々が現れて、そのヤタガラスというか、最初の部族ですかね、3部族、5部族というか、そして大君の周りに集まって、そしてそれが「公」の為に生きるということを実践する部隊として出来たわけですね。

そのことを今、我々が、まさに熊野からの使者として、Oさん御兄弟がそのことをハッキリと知らせてくださったというか。そして共にやるという誓約というものを結ばせて頂いて、今、日本の為に生きようという決意をさせて頂いたわけですね。このことは非常に、後々といいますか、本当に125代という日本の天皇の繋ぎがありますが、我々はそれを美しい心の根として、今日のSさんとN君が演奏してくれた、まさに清い想い、清ら、清らかということの最上級の言葉でもって、その言葉と心と、そして実践を共に出来る仲間でありたいということを誓ったわけであります。

ですから、これは単なる政治的な右とか左とか、あるいは宗教の何々教ということを超えて、我々が今の時代に、それは当然音楽としても、この大祓というものが、単なるリズムや、音楽というものではない、メロディーではないものとして、地球と太陽系の公転が、無事に運行して、そして、その中で安全に生きられる、そのような宇宙空間として存在する為に、この音色が、また太陽系に響くというところまで高められた境地で行きたいなと思いました。

そんなことでございまして、今日は本当に、まだ一年の半分でありますが、その中でもう一度、毎日あげている大祓というものの本来の精神というか、そのようなものを再確認して、またあと半分を、平成29年度というものを清め尽くしていくという、そのような境地で共にやっていきたいと思っております。

本日は、本当にお集まり頂き、ありがとうございました。